QTVR ( QuickTime Virtual Reality ) を用いた水素原子の原子軌道の動画表示

時田 澄男, 杉山 孝雄, 近藤 智嗣, 菊川 健


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1 はじめに

 原子・分子など波動性と粒子性を併せ持つ量子力学的イメージを表現するには,種々の工夫が必要で,コンピューターを利用した可視化手法が最も効果的である.初期には大型計算機とグラフィック表示端末 [1] や,ミニコンピューター (DEC VAX) とマイクロコンピューター (Atari 520S ) の組み合わせ [2]を使用して原子軌道の静止画を表示する報告がある.近年,パーソナルコンピューター (以下 PC と略記) の発達によって,それを利用した静止画表示 [3 - 7]や動画表示 [8, 9]の報告が増加している.しかし,原子軌道の動画表示に QTVR (QuickTime Virtual Reality ) [10 - 12]を使ったものは知られていない [13].この方法を利用すれば,利用者はあたかも実際の物体を直接動かしているような操作感が得られる可能性がある.そこで, QTVR を利用し,量子化学の理解のために有用なこれまでになかった対話形式で取り扱える動画を作成することを試みた.

2 方法

 最初に静止画を作成し,次に動画に組み替えるという手順で行なった.描画対象としては,水素原子の 3d 原子軌道5種類 (3d3z2-r2, 3dyz, 3dzx, 3dxy, 3dx2-y2),および 4d 原子軌道5種類 (4d3z2-r2, 4dyz, 4dzx, 4dxy, 4dx2-y2) をとりあげた(Figure 1(a)).
  1.  静止画の表示と画像ファイル化
     グラフィックワークステーション (以下 GWS と略記) として日本シリコングラフィックス社製 INDIGO XS24Z (CPU : R4000) および Power ONYX (CPU : R10000) を使用した.静止画像表示は,前報 [5, 6]に従い,格子点 (51×51×51=132,651) における原子軌道の関数値(Figure 1(b))を計算した後,可視化ソフトウェア AVS ( Application Visualization System ) を利用して行なった(Figure 1(c)).静止画像のファイル化は,GWS に標準添付されている静止画像ファイル化ユーティリティー XWD (X Window Dumping utility)を利用した.ファイル形式は,XWD 形式 [14] である.ファイル容量は,今回使用した静止画像 1 枚 (400×400 pixels 32 bits ) では,約 700 k bytes であった.
  2.  静止画像ファイルの転送とファイル形式の変換
     静止画像作成用 GWS と 動画作成用 PC (使用機種は Apple 社 iMac (CPU : PowerPC G3, 233 M Hz) 以下 iMac と略記) を,学内 LAN (ethernet 10BASE-T 10 M bits/s) で接続して,ファイルの転送を行なった(Figure 1(d)).iMac 上で利用したソフトウェアは,Fetch 3.03 [15] である.次の動画化の段階では,静止画像ファイルが PICT 形式 [16]である必要があるため, Mac 上でグラフィックコンバータ3.5J [17] を利用してファイル形式を XWD 形式から PICT 形式に変換した.変換後の静止画像 (400×400 pixels 32 bits) は圧縮され,ファイル容量は 約 180 k bytes になった.
  3.  QTVRオブジェクト(対話形式で取り扱える動画)の作成
     複数の PICT 形式の静止画から,iMac 上で動画作成ソフトウェア (Apple QTVR Authoring Studio) [10 - 12]を使用して QTVR オブジェクトを作成した(Figure 1(e) およびFigure 2).
  4.  QTVR オブジェクトの動作条件および配布
     QTVR オブジェクトは,現在市販されている Macintosh ではそのままで動作可能である.Macintosh の旧機種および IBM PC/AT 互換機では,そのままでは動作しない.アップルコンピューター社のWeb Site [18] から QuickTime 3 Macintosh 版または PC/AT 版をダウンロードしてインストールすれば動作可能にできる.
     QTVR オブジェクトの配布は,筆者らの研究室の Web Site [19] で公開している.また,CD-R(追記型コンパクトディスク)などに記録して配布する事も可能である.


Figure 1. A process for generating QTVR object movie


Figure 2. An example of a display of QTVR authoring studio

3 結果と考察

 今回使用した QTVR は,複数の静止画像を基に仮想空間を作り出す技術で以下のような特徴がある.利用者は画面上にある画像を,あたかも窓から顔を出して実際の風景を見まわすような,あるいは実際の物体を直接動かしているような操作感を得ることができる.QTVR による動画のなかで,QTVR オブジェクト方式がある.これは,画面上にティーカップなどの立体的な物体を表示させて,マウス操作で上下左右に回転させて,いろいろな角度から眺めることを可能にする.通常 QTVR オブジェクトは,ある物体をあらゆる方向から撮影して複数の静止画をつくり,それを基にして作成する.原子軌道の場合はこの種の撮影は不可能である.そこで,静止画を作成するために GWS を使用した [5].最初に 3次元空間で原子軌道関数の値を計算し,その値をもとにして,等しい値の点を結んだ面(等値曲面)を描いた.また,前報 [6] で,等値曲面を水平軸まわり 1°きざみ 360° 回転させる動画を取りあげた.この動画のためには静止画が 360 枚必要であった.今回,等値曲面を垂直軸まわり 0°〜360° と水平軸まわり 0°〜90° 動作させるためには,何枚の静止画が必要になるかを数種類の組み合わせで試算したところ以下のようになった: 1° きざみ 32,760 枚,5° きざみ 1,368 枚,10° きざみ 360 枚,15° きざみ 168 枚,30° きざみ 48 枚,45° きざみ 24 枚.このとき多数の静止画を使用すればなめらかな動画が得られるが,静止画作成の作業量が膨大になってしまう.画質(なめらかさ)と作業量のバランスを考えて,垂直軸まわり 30°きざみ,水平軸まわり 30°きざみ計 48 枚の静止画から1個の QTVR オブジェクトを試作した.完成した QTVR オブジェクトは,あたかも原子軌道を手の平に乗せて自由に回転できるような感覚を与えた.この動画は,画素数 400×400 pixels 32 bits × 48 枚を合計したものなので,ファイル容量は 28.8 M bytes に達した.この容量では,大きすぎて種々の支障を生じる.そこで,QTVRオブジェクト作成時に利用可能な動画圧縮形式(シネパック,ビデオ,アニメーション [20]) を利用してファイル容量の縮小を試みた.今回の画像の場合には,画質の低下があまり目立たず圧縮率の高い (もとの容量の約 1/20) ビデオ圧縮形式が最適であった.圧縮後の画素数は 400×400 pixels 16 bits でファイル容量は,1.5 M bytes となった.
 複数の原子軌道を QTVR オブジェクトとして比較すると,3d 軌道と 4d 軌道の節面の数の違いや,3d 軌道5種類の中で 3dyz, 3dzx, 3dxy, 3dx2-y2 各軌道が同じ形で 3d3z2-r2 軌道が違う形であることが理解しやすいと考えられる(Figure 3およびFigure 4).
 ここで,原子軌道を対話形式で取り扱える動画として実現している他の方法との比較を行なった.まず映画のように再生,停止,巻き戻し,早送りが選べる動画としては,AVI アニメーション [6], GIF アニメーション [13],QT ムービー [9c] などがある.これらは 1 次元の画像の並びの再生法である.一方,今回の方法(QTVRオブジェクト)では,水平軸まわり回転と垂直軸まわり回転の2方向に画像を動かすことができるから 2 次元の画像の並びの再生法である点が優れている.ただし,事前に複数の静止画を保存する必要がある.


Figure 3. A snapshot of QTVR movies


Figure 4. Display of atomic orbital web site

 3 次元の自由な方向に画像を動かすことができ,しかも事前に複数の静止画を保存する必要がない動画として2種の報告がある.その第1は,Atom in a Box [9a] と呼ばれるものである.これは, Macintosh 上(CPU がpowerPC の機種)で単独に動作するソフトウェアである.計算しながら原子軌道の表示を行なっているが,巧妙な方法で高速に表示している( iMac で 10 frames/s 程度).ここでは,電子を雲状に表示しているので,電子の状態をより厳密に取り扱っているとも解釈できるが,等値曲面表示と比較すると,軌道の形は,やや認識しにくい.第2の報告 [9b] は,VRML (Virtual Reality Modeling Language) と呼ばれる動画システムを用いて原子軌道を自在に繰る方法を採用している.これは,等値曲面を多面体で近似した形状をテキスト形式のデータ( VRML 形式ファイル)として記述しておき,このデータを基にして VRML ブラウザ (Live 3D [21] や Cosmo Player [22]) を使用して立体的な画像を表示する方法である.この方法は,回転画像を表示するときに新に画像を作成しているので,QTVR よりも自由度が高い.しかし,このため使用するコンピューターによっては動作が遅く感じられることもある.特に 4d 軌道や 5d 軌道のように閉曲面の数が多い場合にこの影響が大きいと予想される.以上まとめると,複数の原子軌道を比較したいときに,向きをそろえてならべて差を見たい時などには,QTVR を用いる方法が最も適している.

4 結論

 原子軌道の表示に QTVR オブジェクトを利用すると,対話形式で取り扱える動画が,容易に実現できた.この方法は複数の原子軌道の比較に特に有効である.

参考文献

[ 1] 鐸木啓三, 菊池修, 電子の軌道, 共立出版 (1984).
O. Kikuchi, K. Suzuki, J. Chem. Educ., 62, 206-209 (1985).
[ 2] G. L. Breneman, J. Chem. Educ., 65, 31-33 (1988).
[ 3] 時田澄男, 目で見る量子化学, 講談社 (1987).
[ 4] 時田澄男, 現代化学, No. 190, p. 43-45 (1987); No. 191, p. 27-29 (1987); No. 192, p. 49-51 (1987); No. 193, p. 51-53 (1987); No. 194, p. 51-53(1987); No. 195, p. 51-53 (1987); No. 197, p. 61-64 (1987); No. 201, p. 27-30 (1987); No. 208, p. 51-54 (1988); No. 209, p. 46-49 (1988); No. 211, p. 57-61 (1988); No. 213, p. 50-55 (1988); No. 214, p. 27-32 (1989); No. 218, p. 58-63 (1989); No. 220, p. 51-55 (1989); No. 224, p. 55-59 (1989); No. 225, p. 48-53 (1989); No. 228, p. 51-55 (1990); No. 238, p. 26-30 (1991); No. 240, p. 50-54 (1991); No. 242, p. 51-55 (1991); No. 244, p. 30-33 (1991); No. 246, p. 51-54 (1991); No. 247, p. 45-50 (1991); No. 270, p. 51-57 (1993); No. 279, p. 28-32 (1994).
[ 5] 時田澄男, 渡部智博, 木戸冬子, 前川仁, 下沢隆,J. Chem. Software, 3, 35 (1996).
[ 6] S. Tokita, F. Kido, T. Sugiyama, N. Tokita, C. Azuma, 1995 International Chemical Congress of Pacific Basin Societies ( 05-D 62 ) (1995).
時田澄男, 木戸冬子, CACS FORUM, 16, 21-30 (1996).
[ 7] http://www.sccj.net/CSSJ/jcs/v3n1/a5/abst.html
[ 8] 時田澄男, 化学ソフトウェア学会研究討論会 '98 講演予稿集, 18-21 (1998).
http://www.sccj.net/CSSJ/symp/98conf/tokita/text.html
[ 9] たとえば,以下の URL で参照可能:
a) Atom in a Box, "Real-Time Visualization of the Quantum Mechanical Atomic Orbitals"
http://www.physics.ucla.edu/~dauger/orbitals/
b) VRML(Virtual Reality Modeling Language) の利用 http://quanta0.nihs.go.jp/vrml/
c) QuickTime Movie の利用 http://www-wilson.ucsd.edu/education/qm/Orbitals.html
[ 10] QuickTime VR Authoring Studio ユーザーズマニュアル, アップルコンピュータ (1998).
[ 11] QuickTime VRのWeb site, http://qtvr.apple.co.jp/
http://www.apple.com/quicktime/qtvr/
[ 12] 姉歯 康, QuickTime 3 ガイドブック, (株)びー・えぬ・えぬ (1998).
[ 13] 時田澄男,杉山孝雄,近藤智嗣,菊川健, 化学ソフトウェア学会 '98研究討論会講演予稿集, 84-85 (1998).
http://www.sccj.net/CSSJ/symp/98conf/a221/abst.html
[ 14] XWD 形式とは GWS 上で標準に利用されている静止画像ファイル形式.非圧縮のビットマップ形式.32 bits Colors を取り扱える.
[ 15] Fetch Web site, http://dartmouth.edu/softdev/fetvh.html
[ 16] PICT 形式とは Macintosh 上で標準に利用されている静止画像ファイル形式.圧縮可能なドロー形式.32 bits Colors を取り扱える.
[ 17] グラフィックコンバータ 3.5J ユーザーズガイド, (株)スペースリンク (1998).
[ 18] QuickTime 3 の Web site, http://quicktime.apple.co.jp/
http://www.apple.com/quicktime/
[ 19] 時田研究室の Web site, http://www.apc.saitama-u.ac.jp/~ygosei/atomic_orbital.html
菊川研究室の Web site, http://tkondo.nime.ac.jp/sugiyama/index.html
[ 20] この3種の圧縮法は動画の圧縮に適しており,以下のような特徴がある.
シネパック:広く利用されている.実写の映像に向いている.Computer Graphics (CG) の出力画像を圧縮すると画質の低下がある.
ビデオ:CG の出力画像に向いている.圧縮率が大きい.取り扱える色数はやや低下する( 16 bits) .
アニメーション:CG の出力画像に向いている.ビデオと比較すると圧縮率が小さい.取り扱える色数は低下しない ( 32 bits ) .
[ 21] Live 3D は,ネットスケープ社製のプラグイン方式の VRML ブラウザ
http://home.netscape.com/eng/live3D/mac/
[ 22] CosmoPlayer は,シリコングラフックス社製のヘルパー方式の VRML ブラウザ
http://www.cosmosoftware.co.jp/

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