演 題 理論計算による赤外スペクトルの予測
発表者
(所属)
○田辺和俊、松本高利(物質研)
連絡先 〒305-8565 茨城県つくば市東1-1 物質工学工業技術研究所
TEL/FAX 0298-61-4432
E-mail:
キーワード 理論計算、非経験的分子軌道法、赤外スペクトル
開発意図
適用分野
期待効果
特徴など
非経験的分子軌道計算により、赤外スペクトルの予測がどこまで可能かを検証する
環 境 適応機種名  
O S 名  
ソース言語  
周辺機器  
流通形態
  • 化学ソフトウェア学会の無償利用ソフトとする
  • 独自に配布する
  • ソフトハウス,出版社等から市販
  • ソフトの頒布は行わない
  • その他:未定
具体的方法

 

1.目的
 赤外やラマンなどの振動スペクトルは構造決定の手段としてはNMRスペクトルに遅れをとっている。この原因はNMRが確実な構造情報を提供するのに対し、振動スペクトルの解釈は未だ経験的な手法に止まっており、NMRのような確実な構造情報が得られないためであると考えられる。しかし、振動スペクトルの解析には経験的手法の他に理論的手法も考えられ、この手法を用いるとより確実な構造情報が得られる可能性がある。近年の計算機能力の進展により分子軌道法や分子動力学法などの高精度の計算化学的手法を駆使した振動スペクトルの理論的な解釈が可能になりつつある。中でも分子軌道法による振動スペクトルの計算については多くの研究が行われている。しかし、これまでの理論計算では専ら振動数の再現に重点が置かれており、振動スペクトルの3大要素である振動数・強度・線幅を総合的に再現することを目的とした理論的研究はほとんどない。そこで、我々は振動スペクトルの理論的解釈がどの程度まで可能か、すなわち現状の計算化学的手法が実測の振動スペクトルをどの程度まで再現するかを検証するために、非経験的分子軌道計算による気相分子の赤外スペクトルの再現を検討した。

2.方法
 本研究では対象分子としてジクロロメタンCH2Cl2を取り上げ、この分子の気体の赤外スペクトルが非経験的分子軌道法でどこまで再現できるかを調べるために、各種の基底関数と電子相関補正法の組み合わせについてGAUSSIAN 94を用いて非経験的分子軌道計算を行い、振動数・赤外強度の計算結果を実測値と比較した。用いた組み合わせは10種類の基底関数6-31G, 6-311G,6-311G(d), 6-311G(d,p), 6-311G(3df,3pd), 6-311++G(3df,3pd), D95, aug-cc-pVDZ, aug-cc-pVTZ,aug-cc-pVQZと3種類の電子相関補正法HF, B3LYP, MP2(FC)の組み合わせ、および基底関数6-31Gと8種類の電子相関補正法BLYP, B3PW91, MP3, MP4SDQ, CID, CISD, QCISD,CCDの組み合わせである。

3.結果
 基底関数や電子相関補正法の選択は計算値に大きな影響を与えており、塩素原子の振動に対応する低波数の振動(ν3, ν4, ν9)の振動数の計算には分極関数を含む基底関数を使うことが不可欠である。分極関数を含む基底関数を使ったHFレベルの計算は振動数を1割程度過大評価する。ただし、過大評価の大きさはどの振動の場合もほぼ等しいので、scale factorを使って補正をすれば実測値を良く再現することができる。電子相関を補正したMP2レベルの計算ではscale factor補正を行わなくても数%の誤差で振動数が再現される。これは振動数の再現には電子相関の補正が重要なことを示している。また、密度汎関数法の一つであるB3LYP法の場合も電子相関が考慮されているため、計算値は実測値とよく一致している。MP2法と比べると、HF法やB3LYP法では必要なメモリーや計算時間が圧倒的に小さいので、分極関数を含む6-311G(d)等の基底関数を使ったB3LYP法やscale factor補正を行うHF法が現実的な振動数の計算方法であると言える。
 赤外強度の再現は振動数の場合よりも難しく、基底関数や電子相関補正法の選択が赤外強度の計算に与える影響は大きい。基底関数として6-311G(3df,3pd), 6-311++G(3df,3pd), aug-cc-pVDZ, aug-cc-pVTZ などを使い、MP2 法で電子相関を補正した場合は誤差が比較的小さいが、それでも数十%の誤差が残る。他の小さな基底関数を使った場合は誤差はさらに大きくなる。HF法では赤外強度が全体に過大評価される。これは電子相関が補正されないHF法では双極子モーメントが一般的に10〜20%過大評価されることが原因かもしれない。HF法の場合はscale factorを使って補正を行っても、MP2法に比べ誤差がかなり大きい。一方、B3LYP法では誤差はMP2法よりもわずかに大きいだけである。したがって、あまり大きな基底関数ではないが、赤外強度を比較的良く再現するaug-cc-pVDZ 基底関数を使い、B3LYP 法を使うのが現実的な計算方法と考えられる。
 分子軌道計算が赤外スペクトルをどの程度まで再現するか、という観点からは、振動数や赤外強度の計算値の絶対値が実測値と大きくかけ離れていても問題ではなく、重要なことは計算値と実測値の比率が一定であることである。すなわち、その比率が一定であれば比率をscale factorとして計算値を補正すれば実測値が再現できることになる。
 この観点から最適の計算法は6-311++G(3df,3pd)またはaug-cc-pVTZの基底関数とMP2計算の組み合わせであり、これらの計算法を用いれは振動数と赤外強度はその実験測定誤差とほぼ同程度の計算誤差で予測可能であることがわかった。

BACK