計算化学による高性能リチウムイオン2次電池の負極炭素材料設計
―特異な炭素骨格構造モデルの探索―

松本 高利, 長嶋 雲兵, 田辺 和俊, 小野 修一郎


Return

1 緒言

携帯電話に代表される移動体通信機器や電気自動車等のバッテリーの容量増加,小型軽量化,低価格化等の要求が強まっている.特に,次世代携帯電話や高性能CPUを持つノートパソコンにおける消費電力,自動車の環境負荷低減化の面から,リチウムイオン2次電池の用途が急速に拡大している.このリチウムイオン2次電池の負極材として,様々な炭素材料が使用されている.リチウムイオン2次電池の高性能化を図るために,炭素材料へのLi/Li(+)の吸蔵・放出機構やその構造の解明が必要不可欠である.ところが,負極材として使用されている炭素材料は不定形のため,実験手段による詳細な解明は極めて困難である.
そこで我々は,分子軌道法による計算化学的アプローチにより,炭素材料へのLi/Li(+)の吸蔵・放出機構やその構造の解明に取り組むことにした.既に,山邊等は同じ問題について半経験的分子軌道法MNDOを用いて研究を行っている[1].今回我々は,山邊等よりも計算精度の高い非経験的分子軌道とより現実の不定形炭素材料にちかいモデルを用いて,電子移動によるエネルギー損失が少ない新たな炭素骨格の探索を行った[2].

2 計算方法

リチウムイオン2次電池の負極材で起きている充電及び放電過程では,Figure 1に示すように負極材を介在してLi/Li(+)からなる軌道エネルギーの間で電子移動が行われる.この範囲から外れた軌道エネルギーを持つ負極材では,その差に相当するエネルギーを供給しなければならない.電池から見れば,電子移動する際に余分な仕事をしたことになる.その結果,電池全体としては,放電により取り出すことができるエネルギー量は減少し,充電での際は外部から余分な仕事量に相当するエネルギー量を投入しなければならない.このように負極材とLi/Li(+)の間で電子移動がスムーズに行なわれるためには,負極材の軌道エネルギーはLi/Li(+)の軌道エネルギーの範囲内になければならない.


Figure 1. Electron transfer between Li, cathode and Li(+)

そこでHOMOとLUMOの軌道エネルギーを指標とし[3],不定形炭素材料の基本的骨格である数々の多環芳香族炭素骨格について電子状態の計算を行った.今回用いる炭素骨格では,C-C距離を1.415A,層間距離を3.354A,全ての結合角を120°[4]に固定した.
実際のリチウムイオン2次電池では、過充電した際に,水素とLi/Li(+)との間でラジカル交換反応を起こし,水素ガスが生成し爆発する危れがあるため、物理的に過充電を防ぐ機構の使用と水素濃度を極力減少させ、水素とLi/Li(+)との間でラジカル交換反応が起きにくい材料が用いられている.この意味から,水素原子がない炭素材料が用いることができれば,電極材料としては理想である.またLi/Li(+)に比べて極めて大きな多環芳香族炭素骨格の上または層間にある場合,Li/Li(+)が炭素骨格末端近傍にある場合を除き,骨格末端にある水素とLi/Li(+)との間に働く相互作用はほぼ零に等しいと考えられる.これらのことから,リチウムイオン2次電池の負極炭素材料としての不定形炭素材料中の多環芳香族炭素骨格に近い環境を作り出し,また電極材料として理想的な多環芳香族炭素骨格の可能性を探索するために,今回用いるモデル多環芳香族炭素骨格の末端水素原子は全て除去した.
計算は,Q-Chem Ver.1.2[5]を用いてIBM RS/6000 SP2上で全て行った.基底関数は,可能な限り大きな炭素骨格の計算を行うために3-21G[6]を用いた.Li/Li(+)の軌道エネルギー範囲は,Li : -0.146 a.u. (SOMO)[7]とLi(+) : -0.196 a.u. (LUMO)とした.Li(+)については,RHF/3-21Gでは,-0.194 a.u.であり,RHF/6-311G[8]では,-0.196 a.u.である.しかし今回は,軌道エネルギーの下限値として -0.196 a.u.を用いた.計算された電子状態はすべて一重項である.

3 結果と考察

今回計算を行った48種類の炭素骨格をFigure 2に示し,各骨格でのHOMOとLUMOの軌道エネルギーをTable 1に示す.Figure 1に示す-0.146 ~ -0.196 a.u.のLi/Li(+)の特定軌道エネルギー領域の範囲内に入る骨格を調べた結果,幾つかの候補が見出された.HOMO側から特定軌道エネルギーの領域を満たす骨格は,pyreneのみである.もう一方のLUMO側から特定軌道エネルギーの領域を満たす骨格は,pentacene, benzo[pqr]naphtho[8,1,2-bcd]perylene, tetrabenzo[bc, ef, kl, no]coronene, tricoronene, tetracoronene, pentacoronene, circumcircumcoronene, circumcircumcircum-coroneneの8種類である.これらを組合せれば,Li/Li(+)の特定軌道エネルギーの領域内に入れることが可能である.しかし,これらの骨格を組合せて作製することは現実的に不可能である.また特定軌道エネルギーの範囲内にHOMOとLUMOのエネルギーが同時に入る骨格は見い出せなかった.更にこれ以上大きな骨格では,骨格パターン数の急激な増加と計算機の物理的制限により,骨格探索の続行は極めて困難であった.
そこで別の観点から炭素骨格の探索を試みた.SONYの研究者等がリチウムイオン電池の高性能化研究において,竹を炭化させて作成した炭素電極が優れた特性を示すことを示した[9].竹の植物繊維又は植物細胞に由来して,ある幅を持ちつつ一定方向に延びた構造が保持されている点である.この点に着目し,2次元展開方向として特定方向に伸長させた炭素骨格を計算した.そこで,前述したLUMO側で特定軌道エネルギー領域に入る8種類の炭素骨格について検討を行なった.しかし,tricoronene, tetracoronene, penta-coronene, circumcircumcoronene, circumcircumcircum-coroneneの5種類は,特定方向のみに伸長させることができない.これより,候補骨格としては不適当である.次にpentaceneを特定方向に伸長させた場合については,既に計算した48種類の骨格の中に類似の実例が含まれている.その実例とは,anthraceneを伸長させた場合のdibenzo[bc, kl]coroneneと,naphthaceneを伸長させた場合のtetrapyreneの2例である.いずれも,骨格末端部分の外周構造が一様なエッジ構造のみを取る[10].この場合は,Li/Li(+)を捕らえて保持できる構造としてベイ構造を持たないことから,候補構造としては不適当である.ここで,エッジ構造とはFigure 3に示すようにジグザグ部分の構造を意味し,ベイ構造とは凸凹部分の構造を意味する.残る2つの骨格であるbenzo[pqr]naphtho[8,1,2-bcd]peryleneとtetrabenzo [bc, ef, kl, no]coroneneは,いずれもLi/Li(+)を捕らえて保持できる構造のベイ構造を持つ.更にFigure 4に示すように単位構造当たりC6Liを満たすサイト数は,それぞれ4と5である[1].C6Liを満たすサイト数が多いことは,電池全体の充電容量増加に直接結びつく.しかも前述の竹電極では一定の幅を持つことから,骨格構造の内部にもLi/Li(+)を保持することが可能である.benzo[pqr]naphtho[8,1,2-bcd]peryleneでは,骨格内部までLi/Li(+)を保持できないことから,候補構造として不適当である.以上の8種類の炭素骨格の検討結果から,繰り返し単位の構造としてtetrabenzo[bc, ef, kl, no]coronene (TBC)を用いて,特定方向に伸長させたTBCnの検討を行なった.


Figure 2. The calculated carbon skeletons in a search of specific structures


Figure 2(Continued). The calculated carbon skeletons in a search of specific structures

TBCを特定方向に伸長させた場合,構造を一義的に特定する命名が複雑になることが予想される.そこで,Figure 5(a)に示す表記方法を用いる.この表記方法では,4連続の6員環部分(表記:4)と3連続の6員環部分(表記:3)を数値で表し,3連続部分を数えることで構造を一義的に規定する.例えば,3連続部分が2であれば,Figure 5(b)に示すようにTBC2となる.これ以降は,この表記方法を用いる.
TBCnの計算結果を横軸を伸長方向の長さにして,Figure 6に示す.TBC6から骨格のHOMO及びLUMOの両軌道エネルギーが,Li/Li(+)の特定軌道エネルギー領域の範囲内に入る.TBC6以降のTBC7及びTBC8の骨格においても,全て特定軌道エネルギー領域内にある.この結果は,伸長方向の長さのみに依存し,TBC6が最小構造であることを示している.これより伸長させた骨格モデルを考えた際には,長軸方向に28.30Aの長さを持つTBC6が最小の炭素骨格モデルとなる。

Table 1. HOMO-LUMO energy of various kinds of carbon skeleton models (unit : a.u.)
CompoundTotal CLUMOHOMOCompoundTotal CLUMOHOMO
Li-0.146-0.196Li-0.146-0.196
Benzene6-0.139-0.290Phenanthro[1,10,9,8-opqra]perylene28-0.095-0.290
Naphthalene10-0.049-0.317Benzo[pqr]naphtho[8,1,2-bcd]perylene28-0.154-0.224
Phenanthrene14-0.043-0.318Dibenzo[bc, kl]coronene30-0.107-0.248
Anthracene14-0.066-0.336Ovalene32-0.092-0.322
Pyrene16-0.082-0.188Tetrabenzo[bc, ef, kl, no]coronene36-0.171-0.233
Triphenylene18-0.052-0.317Dicoronene44-0.106-0.292
Benz[a]anthracene18-0.075-0.327Tetrabenz[bc, ef, mn, pq]ovalene44-0.111-0.254
Chrysene18-0.056-0.303Tetrapyrene48-0.199-0.273
Naphthacene18-0.104-0.323Circumcoronene54-0.110-0.318
Perylene20-0.087-0.273TBC254-0.147-0.202
Benzo[a]pyrene20-0.109-0.224Tricoronene61-0.157-0.268
Benzo[e]pyrene20-0.145-0.225TBC372-0.160-0.230
Benzo[b]chrysene22-0.073-0.323Tetracoronene78-0.188-0.233
Picene22-0.058-0.303TBC490-0.177-0.210
Dibenz[a, h]anthracene22-0.083-0.322Pentacoronene95-0.160-0.267
Benzo[b]triphenylene22-0.080-0.317Circumcircumcoronene96-0.195-0.256
Dibenz[a, j]anthracene22-0.084-0.315TBC5108-0.178-0.201
Benzo[a]naphthacene22-0.102-0.321Hexacoronene112-0.111-0.273
Benzo[c]chrysene22-0.084-0.302Heptacoronene126-0.114-0.278
Benzo[g]chrysene22-0.082-0.299TBC6126-0.177-0.195
Naphth[1,2-a]anthracene22-0.113-0.274TBC7144-0.154-0.172
Dibenzo[b, h]phenathrene22-0.139-0.284Circumcircumcircumcoronene150-0.169-0.212
Pentacene22-0.149-0.276TBC8162-0.173-0.185
Coronene24-0.038-0.303Bisheptacoronene252-0.126-0.271


Figure 3. Notation of edge and bay structures


Figure 4. Sites of C6Li on each carbon skeleton


Figure 5. Notation of TBC series


Figure 6. The relation between length and HOMO-LUMO energy for TBCn series

4 結論

リチウムイオン2次電池の炭素負極材とLi/Li(+)の間で電子移動に伴うエネルギー損失を最小にする理想的で特異な炭素骨格について,HOMOとLUMOの軌道エネルギーを指標として探索を行なった.その際,Li/Li(+)に由来する特定軌道エネルギーである-0.146 a.u. ~ -0.196 a.u. を探索範囲とした.その結果,理想的で特異な炭素骨格としてtetrabenzo[bc, ef, kl, no]coronene(TBC)を繰り返し単位とする構造として用いて,特定方向に伸長させたTBC6が最小構造であることが明らかになった.また見出されたTBC6の構造上の特徴として,同一の構造中にエッジ構造とベイ構造が同時に共存するという特異な構造を有していた.
1層の理想的な炭素骨格を制御することにより,Li/Li(+)由来の特定軌道エネルギーの範囲内に入るように分子設計を行うことができた.更に1層の最適な炭素骨格を積層できれば,現状のリチウムイオン電池を越える高性能リチウムイオン電池を作り出すことができると考えられる.今回見い出されたTBC骨格のLi(+)に対する電子特性と構造との関係や水素原子があるTBC骨格のLi(+)に対する電子特性に関しては,現在詳細に検討中である.

参考文献

[ 1] H. Ago, K. Nagata, K. Yoshizawa, L. Tanaka, T. Yamabe, Bull. Chem. Soc. Jpn., 70, 1717 (1997), and references therein.
[ 2] T. Matsumoto, U. Nagashima, K. Tanabe, JCPE Journal, 11, 171 (1999).
松本高利,長嶋雲兵,田辺和俊, シミュレーション, 19(1), 3 (1999).
[ 3] Y.-D.Gao, H. Kumazaki, J. Terai, K. Chida, H. Hosoya, J. Math. Chem., 12, 279 (1993).
[ 4] M. Grayson, Kirk-Othmer, Concise Encyclopedia of Chemical Technology, John Wiley & Sons, Inc. (1985), pp. 823-833.
[ 5] C. A. White, J. Kong, D. R. Maurice, T. R. Adams, J. Baker, M. Challacombe, E. Schwegler, J. P. Dombroski, C. Ochsenfeld, M. Oumi, T. R. Furlani, J. Florian, R. D. Adamson, N. Nair, A. M. Lee, N. Ishikawa, R. L. Graham, A. Warshel, B. G. Johnson, P. M. W. Gill and M. Head-Gordon, , Q-Chem, Inc., Pittsburgh, PA (1998).
[ 6] J. S. Binkley, J. A. Pople, W. J. Hehre, J. Am. Chem. Soc., 102, 939 (1980).
M. S. Gordon, J. S. Binkley, J. A. Pople, W. J. Pietro, W. J. Hehre, J. Am. Chem. Soc., 104, 2797 (1987).
W. J. Pietro, M. M. Francl, W. J. Hehre, D. J. Defrees, J. A. Pople, J. S. Binkley, J. Am. Chem. Soc., 104, 5039 (1982).
K. D. Dobbs, W. J. Hehre, J. Comp. Chem., 7, 359 (1986).
K. D. Dobbs, W. J. Hehre, J. Comp. Chem., 8, 861 (1987).
K. D. Dobbs, W. J. Hehre, J. Comp. Chem., 8, 880 (1987).
[ 7] 藤永 茂, 分子軌道法, 岩波書店 (1980).
藤永 茂, 入門分子軌道法‐分子計算を手掛ける前に‐, 講談社サイエンティフィク (1990).
[ 8] R. C. Binning Jr, L. A. Curtiss, J. Comput. Chem., 11, 1206 (1990).
A. D. MaLean, G. S. Chandler, J. Chem. Phys., 72, 5639 (1980).
R. Krishnan, J. S. Binkley, R. Seeger, J. A. Pople, J. Chem. Phys., 72, 650 (1980).
A. J. H. Wachters, J. Chem. Phys., 52, 1033 (1970).
P. J. Hay, J. Chem. Phys., 66, 4377 (1977).
K. Raghavachari, G.W. Trucks, J. Chem. Phys., 91, 1062 (1989).
L. A. Curtiss, M. P. McGrath, J.-P. Blaudeau, N. E. Davis, R. C. Binning Jr., L. Radom, J. Chem. Phys., 103, 6104 (1995).
M. P. McGrath, L. Radom, J. Chem. Phys., 94, 511 (1991).
[ 9] 化学工業日報,1999.11.09.
[10] M. Fujita, M. Igami, K. Nakada, J. Phys. Soc. Jpn., 66, 1864 (1997).
K. Kusakabe, K. Wakabayashi, M. Igami, K. Nakada, M. Fujita, Mol. Cryst. Liq. Cryst., 305, 445 (1997).
K. Wakabayashi, M. Fujita, K. Kusakabe, H. Ajiki, J. Magn. Magn. Mat., 177-181, 1484 (1998).
T. Matsumoto, U. Nagashima, K. Tanabe, Trans. Material Research Soc. Jpn., 25(4), 1015 (2000).


Return