双方向・成長型薬物催奇形性情報コミュニティの構築

山内 あい子, 中田 栄子, 中馬 寛


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1 はじめに

IT革命・ゲノム革命・医療革命などと呼ばれるように20世紀末の科学技術の著しい進歩は,研究者のみならず一般市民にさえパラダイムシフトと言えるような大きな意識変化を起こしている.実際,革新的IT技術により実現したインターネットの普及は,情報伝達における距離と時間を地球規模で消失させ,画像を含めた大量情報の安全な双方向通信を可能にした.これにより,今や様々な分野横断的研究が加速しつつあり,早急に,あらゆる分野の研究者が共通のプラットフォーム上で膨大な知見を共有し有効に利用できる情報基盤を整備する必要がある.
DNA二重らせん構造の発見から五十年経った今年4月14日,国際ヒトゲノム解読プロジェクト・日米欧など六カ国がヒトゲノム完全解読を宣言し[1],いよいよ,生体構成要素の構造・機能解析により生命体を統合的なシステムとして研究する時代に突入している.薬物などの外的因子による生体機能の変化を生体関連機能物質との相互作用という観点から情報化学的に解析することは,ポストゲノム研究の進展にとっても大きな意味を持つ.
生物における発生・分化の過程では,薬物などの生体外異物に対する反応性が定常時と異なっており,種々の予期せぬ反応が誘起される可能性が大きいため,これをヒトで予測することが特に重要である.実際,遺伝子や蛋白質などの生体高分子と結合し変異を起こさせる物質は,ヒトに対して癌や胎児奇形を発現させることが多い.特に,妊娠初期の胎児は薬物感受性が高いため,医薬品の研究開発や薬物治療において,薬物の変異原性,発癌性および催奇形性に関する情報の重要度は非常に高いが,これらの情報を共有できる統合データベース(DB)は未だ整備されていない.
そこで,今回,徳島大学薬学部情報薬局に薬物催奇形性に関する高度な情報提供・収集システムを整備して,創薬研究者や医療関係者等に情報コミュニティの場を提供し,情報化学的裏付けに基づいた医薬品の研究開発と根拠に基づく医療の実践,および国民の健康保持に資することを目的として開始した著者らの取り組みについて紹介したい.

2 薬物と催奇形性

日本においては,過去半世紀の間に急速に少子高齢化が進んでいる (Figure 1) [2].2000年には,合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの数)は1.36,65歳以上人口は17.4%となり,今もその進行は加速している.特に,少子化問題は深刻で,経済,社会保障,労働市場などへの大きな影響が懸念されている.このような中で,人々の健康を支えるために,医療分野では薬物治療の重要性が増している.しかしながら,一方で,サリドマイド児(アザラシ肢症)の誕生[3, 4]に見られるような薬物の有害作用による深刻な薬害問題も発生しており,その予測・予防を目的とした医薬品安全性情報の収集とその有効利用が極めて重要である.


Figure 1. Changes in the birthrate and in the population rate according to age, from 1920 to 2001 in Japan. Data were from "Summary of Vital Statistics" in Statistics and Information Department, Minister's Secretariat, Ministry of Health, Labour and Welfare, Japanese Government [1].

ヒトで先天異常が発生する確率は新生児の約3〜4%と報告されている[5].そのうち,明らかに環境因子が原因と考えられるものは10%未満であり,さらに医薬品や環境化学物質などによるものは1%程度と推定されている.1960年代初頭のサリドマイド禍以来,妊娠中の薬物服用で胎児に先天異常が誘発される場合があることが広く知られるようになった.しかし一般に,どのクスリにも催奇形性があると思い込んでいる人が多く,薬物による先天異常が過大に評価され恐れられる傾向にある.Figure 2は,1996年11月から1977年3月の間に,NTT東日本関東病院産婦人科に来院した150人の初産婦に対して妊娠とくすりに関する意識についてアンケート調査を行った結果である.54%の妊婦が,妊娠に気づかずクスリを服用したと答え,そのうち95%が生まれてくる子供に対するクスリの有害作用を心配していた.現在もなお,単に「妊娠に気づかずクスリを服用してしまった」として夫婦ともに強く中絶を希望するケースが多い.


Figure 2. Consciousness of primiparas regarding "drugs in pregnancy". The questionnaire was administered to the 150 primiparas who visited the obstetrics and gynecology section of NTT-East Kanto Medical Center between November, 1966 and March, 1977.

このような妊婦の不安を解消し,無用な生命の中断を防ぐ意味でも,妊婦への適切な情報提供と指導が望まれる.しかしながら,わが国には,TERIS (Teratogen Information System,米国)[6], Motherisk(カナダ)[7],OTIS (Organization of Teratology Information Services,オーストラリア)[8]のような薬物催奇形性に関する情報提供機関が設立されておらず,薬物の胎児への危険度を評価するために必要な情報があまりにも不足している.この情報不足こそが医療関係者による適切な助言を妨げ,妊婦の不安を助長する要因となっている.
サイドマイド薬害を教訓として,1963年,旧厚生省により,医薬品の製造(輸入)承認申請に際し動物による催奇形性試験が義務づけられ,1989年には毒性試験のガイドラインも定められた.これにより,医薬品の研究開発において生殖・発生毒性に関する試験が必ず実施されるが,試験の結果,開発が中断された薬物に関する情報は広く有効に利用されることなく各製薬企業の研究所に眠っているのが実状である.
また,2000年12月の医薬品GPMSP改正により,従来の市販後調査に加えて,2001年10月1日から新たに市販直後調査が義務付けられ,特に新薬発売後6ヶ月間の医薬品の副作用・感染症報告が強化された.しかしながら,未だ,臨床現場から催奇形性情報を含めた医薬品安全性情報が効率的に収集・提供され,医薬品開発にフィードバックされているとは言い難い.

3 医薬品開発と催奇形性情報

サリドマイド(a-N-phthalimidoglutarimide)は,フタル酸イミドと結合した光学活性グルタミン酸誘導体である(Figure 3).この薬物は1957年旧西独で副作用の全くない鎮静催眠薬として発売され,妊娠初期の抗つわり薬としても使用されたが,その催奇形性のために4年後に市場撤退を余儀なくされたことは有名である[9, 10].一方,最近,ハンセン氏病,HIV,癌,ベーチェット病,あるいはクローン病などの難病に有効であるとして注目され,再び治療薬として使われ始めている[10].サリドマイドの催奇形性発現機構については,未だ明らかにされていないが,腫瘍壊死因子αの産生に対する修飾作用が報告され,その構造活性相関に関する研究も行われている[11].また,サリドマイドの化学構造の一部であるフタル酸,あるいはフタル酸エステル(プラスチック可塑剤)が体内で内分泌撹乱物質として働くことが証明され,近年,生殖発生への影響が議論の的となっている[12].したがって,あらゆる催奇形性化合物の情報を収集し,最新の情報化学的手法を用いて解析すれば,生殖発生毒性の予測が可能ではないかと考えられるが,この分野の研究については限られた報告しか見当たらない[13].


Figure 3. Chemical formulas of a teratogenic compound, thalidomide and an environmental endocrine disrupter, phthalic acid.

近年,創薬の流れが変わりつつあり,新薬開発には,コンビナトリアル合成やハイスループットスクリーニング等のロボットを使ったラボラトリーオートメーション技術と情報化学的解析技術が導入されている.しかし,国内製薬企業18社が1996年から5年間に探索合成した422,653化合物のうち,前臨床試験まで進んだのは238個であった[14].A社によると,前臨床試験で約13%の化合物に遺伝子毒性(Ames試験と小核試験で陽性)が認められたと言う[私信].続いて臨床試験が開始されたのは162個で,最終的に医薬品として承認されたものはわずか63個であった.このうち自社開発で上市されたものは35化合物にすぎず,新薬開発の成功率は実に12,076分の1と低いことから,今後の開発効率の向上が望まれている.
薬物による催奇形性は,頻度は低いが薬物治療において決して起こしてはならない副作用である.そこで,有用な催奇形性化合物情報DBがあれば,催奇形性のある化合物,あるいはその疑いのある分子については,予め候補化合物ライブラリーから除外することが可能である.また,催奇形性化合物情報DBを利用して,定量的構造活性相関等の手法を用いてデータマイニングの過程で疑いのある化合物を予測し,除外することができる.さらに,生殖・発生毒性関連の様々な試験結果や臨床症例を新たな催奇形性毒性情報としてDBに加えることにより,DBは更に成長していくことになる.このように,創薬の現場においても,「先知恵」としての催奇形性情報は極めて重要な意味を持つ.催奇形性に関する毒性・副作用情報がドラッグデザインの中に組み込まれることによってはじめて,効率的な新薬開発がなされ,一般市民・妊婦にとっても安全な医薬品が誕生することになる.

4 双方向・成長型薬物催奇形性情報コミュニティの構築

このような背景から,著者らは,インターネット上で薬物の催奇形性情報を検索でき,かつ臨床からの症例登録や,研究者による生殖・発生毒性試験情報の登録等も可能な,妊婦(一般市民),医療関係者及び創薬研究者から成る双方向・成長型情報コミュニティの構築を目指している (Figure 4).


Figure 4. Circulation of information in the bi-directional and growing information community for teratogenic agents.

双方向とは,従来の成書やCDのような一方向的な情報提供ではなく,市民,薬剤師,医師,製薬企業,大学等公共機関からの情報の送受信,情報の共用を意図している.様々なコミュニティメンバーを対象とするため,利用層に合わせた階層構造を持つ広域分散型のDBとしてシステムを管理することになる.症例,分子構造と活性などの多様な情報を安全に交換,蓄積,利用できる環境を実現するために,データ記述言語XMLとデジタル認証技術およびデータマイニング技術を活用し,情報の安全性を確保する必要がある.
本システムにおけるもう一つの重要なコンセプトは,成長・知識獲得である (Figure 5).催奇形性に関する情報は,コミュニティから集積し,DBに登録される.市販医薬品の臨床症例情報については,登録される文書情報の信頼度レベルを審査するため,情報評価専門委員会による審査制度を考えている.市民からの苦情のようなものも,服薬に関する意識調査として貴重な情報となる.特に,妊娠初期に服薬したにもかかわらず異常の認められなかった症例のように,これまで収集されることのなかった無数の情報の蓄積は,妊婦の薬物治療に有益な科学的根拠を与えるものとなる.また,新規化合物については,情報化学的手法を導入し,定量的構造活性相関・分子情報化学的解析・生物的等価性などによる化学構造類似性評価を行い,催奇形性予測度をスコア化することにより,ドラッグデザインに利用することができる.


Figure 5. Outline of the system with growing and knowledge acquisitioning process.

このように,双方向・成長型薬物催奇形性情報コミュニティでは,単にDBを拡大させるのではなく,サイエンスにおけるInformationからKnowledge,そしてWisdomの獲得・成長を一般市民と共に実現することをゴールとしている.

5 薬物催奇形性試用データベース

Figure 5に示すようなシステムの構築に当たり,(1)市販ソフトウェアを使用でき操作が簡便であること,(2)ネットワークに関する専門的な訓練を受けていなくとも,クライアントがWeb上でデータベースを利用できること,(3)構造式を条件とする検索が可能であること,の三点を念頭に置き,以下に示す主なハードウェアとソフトウェアを使用する構成とした[投稿準備中].
ハードウェア;Mate MA86T/C (NEC)
OS;Windows NT Server 4.0 (Microsoft)
Webサーバー;
Internet Information Server 4.0 (Microsoft)
化学情報データベースサーバー;
ChemOffice WebServer 2000 (CambridgeSoft)
データベース管理システム;Access 97 (Microsoft)
化学情報データベース管理システム;
ChemFinder 6.0 (CambridgeSoft)
この様な構成のもと,薬物催奇形性情報の提供・収集に必要なシステムの構造・機能等について検討を行った (Figure 6).


Figure 6. Database system for the teratogenic agents.

本薬物催奇形性情報データベースの作成に当たり,医薬品一般名,販売名,製造・販売会社名,規格,薬効分類名,及び妊婦・産婦・授乳婦等への投与時の使用上の注意,化学構造式,CAS(Chemical Abstracts Service)登録番号,及び薬物催奇形性に関する研究報告等の項目を設定した.これらの情報を収集・整理・評価するため,医薬品の添付文書やインタビューフォーム,The Merck Index,成書Catalog of Teratogenic Agent,及びMedlineを情報源とした.今回作成した薬物催奇形性情報に関する試用データベースは,Webブラウザを介して,テキストだけでなく薬物の化学構造式も検索条件とすることが可能であった.
さらに,Webブラウザを介する症例登録機能についても,Active Server Pages(ASP)を利用したシステムを構築し検討を行った.登録項目は,今回,医療関係者を対象とする項目を設定し,テキスト情報の登録を行えるものとした.その結果,クライアント側から,登録者や薬物催奇形性に関する様々な情報をデータベースに登録する事が可能となった.
本試用DBにより,インターネットを介した化学構造式を含む薬物催奇形性情報の提供だけではなく,クライアントによるWebブラウザからの症例・研究情報の登録等もできる,双方向通信機能を持つDBシステムの構築が可能であることを確認した.本システムは,薬物催奇形性情報コミュニティの基盤となるものであり,その実用化に向けた準備を開始している.

6 まとめ

ヒューマンプロテクトの実現を目指して,科学技術の進歩が可能な限り人々の生活や医療現場にフィードバックされることが望まれる.薬物催奇形性情報コミュニティ構想の実現により,次のような効果が期待される.すなわち,(1)原著論文を含む薬物催奇形性に関する的確な情報提供が可能となり,医療関係者による根拠に基づいた医療の実践に寄与する.(2)各薬物の化学構造式と催奇形性の種類や程度との関係を,構造活性相関等の情報として解析でき,医薬品の研究開発にも有用である.(3)新規症例の追加登録によりDBの自己成長が期待され,催奇形性に関する薬剤疫学的研究の発展にも繋がることから,更に重みのある情報のフィードバックが可能となる.
医薬品は第3相臨床試験を経て承認された後,市販されるため,新薬は市場に出てはじめて妊婦をはじめ小児や合併症を持つ高齢者等の多くのヒトに試されることになる.したがって,第4相市販後調査の安全性情報は極めて重要である.現在,薬物催奇形性情報に加えて,薬物の母乳移行性や胎盤透過性に関するヒトのデータを収集し,薬物の物理化学的性質から臨床データを情報化学的手法により解析し,興味ある知見を得つつある[15].今後,貴重なヒトのデータから薬物の有害作用を予測すべく,クリニカルQSAR解析の可能性について検討を進めたいと考えている.

本研究の一部は,徳島大学薬学部研究助成金によって支援され,文部科学省科学研究費補助金 (萌芽) 15659039により行なわれた.

参考文献

[ 1] F. S. Collins, E. D. Green, A. E. Guttmacher and M. S. Guyer, Nature, 422, 835 (2003).
[ 2] 厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態統計年報http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii00/index.html (2003.05.30 アクセス)
[ 3] W. G. McBride, Lancet, 2, 1358 (1961).
[ 4] W. Lenz, Lancet, 1, 271 (1962).
[ 5] R. L. Brent, Pediatr Rev, 22, 153 (2002).
[ 6] TERIS. http://depts.washington.edu/~terisweb/teris/ (2003.05.30 アクセス)
[ 7] Motherrisk. http://www.motherisk.org/ (2003.05.30 アクセス)
[ 8] OTIS. http://www.otispregnancy.org/ (2003.05.30 アクセス)
[ 9] Y. Hashimoto, Farumashia, 39, 315 (2003).
[10] S. J. Matthews, C. McCoy, Clin. Ther., 25, 342 (2003).
[11] Y. Hashimoto, Bioorg. Med. Chem., 10, 461 (2002).
[12] C. A. Harris and J. P. Sumpter, Hand Book of Environmental Chemistry, 3(Pt. L), ed. by M. Metzler, Springer, Berlin, Germany (2001), p.169.
[13] C. Hansch, B. R. Telzer, L. Zhang, Crit. Rev. Toxicol., 25, 67 (1995).
[14] 開発段階別化合物数と承認取得数,製薬協DATA BOOK 2002.
http://www.jpma.or.jp/data/index_data.html (2003.05.30 アクセス)
[15] 藤原崇,岸理絵子,大山真由美,木原勝,山内あい子,中馬寛, 第3回CBI学会大会要旨集, 292 (2002).


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