X-及びXO4- (X = F, Cl, Br, I) の核磁気遮蔽定数
−相対論的効果と電子相関効果の検討−

谷村 景貴, 波田 雅彦


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1 緒言

核磁気遮蔽定数(s)は共鳴核近傍の化学的環境を鋭敏に反映して変化し、その変化は核磁気共鳴(NMR)スペクトルによって化学シフトdとして観測することができる。即ち、分子Aの化学シフトd(A)は、
d(A) = s(標準試料) - s(A)
となる。重原子核sを計算する場合、共鳴核近傍の電子分布を正確に記述するために相対論の考慮が必要であり、その有無によってのs値は数倍も変化することもある。2つのs値の差である化学シフトdではこのような単純な相対論的効果は相殺される傾向にある。但し、共鳴核に隣接する重原子が存在する場合は特殊であり、例えば、ハロゲン化水素HX (X=F,Cl,Br,I)におけるプロトン化学シフトのほとんどがハロゲンのスピン−軌道相互作用に起因している[1 - 3]。過去にも半経験的3次摂動論を用いたHXのs値計算が報告[3]されていたが、定量性が不十分であったため確定的な結論には至らなかった。共鳴核と周辺原子の両方が重い分子では、周辺原子のスピン−軌道相互作用と共鳴核の相対論的効果が相乗的にs値を変化させ、d値にも重要な影響を与える場合が報告されている[4, 5]。これらの一連の報告は種々の相対論的効果が化学現象に重要であることを理論化学の研究者に強く認識させる契機ともなった。
一方、電子相関もsの計算値を大きく変化させ[7]、d値にも少なからず影響を与える[6]。また、分子ごとの微妙な化学的環境の相違を記述するためには電子相関は必須であると思われる。
以上のように、重原子核の磁気遮蔽定数は、相対論と電子相関の両効果に敏感な物理量であり、両者の個々の効果及び相乗的な効果を検討するために適している。本研究では、相対論的ハミルトニアンとして2次のDouglas- Kroll-Hess法(DKH2)[8 - 10]を使い、電子相関を2次のMoller- Plesset法(MP2)で考慮した。波動関数には、スピン−軌道相互作用と外部磁場の効果を最良に記述できるようにGeneralized UHF波動関数(GUHF)[10]を用いた。相対論と電子相関が磁気遮蔽定数の絶対値へもたらす影響と2分子の差にあたる化学シフトへの影響がどのように相違するのか、また、両者の間では加成性が成立するかどうかについて着目して考察した。計算の対象とする分子には、ハロゲン化物イオンX-および過ハロゲン酸イオンXO4-(X=F, Cl, Br, I)を選んだ。

2 理論の概略

2. 1 相対論的ハミルトニアン

本論文の相対論的ハミルトニアンは2次のDouglas- Kroll-Hess法(DKH2)で与えられる。このハミルトニアンの導出は既出の論文[10, 11]と一部重複するが、本論文で完結するように記述しておく。
核遮蔽定数sを計算するためにはベクトルポテンシャルAを含めたハミルトニアンが必要である。ベクトルポテンシャルは核Nの核磁気モーメントmNと均一外部磁場Bによって生成される。

GNは原子核の形状に依存する関数である。本研究では原子核には点電荷モデル(GN = rN-1)を用いた。
Aを含むDirac方程式は次式となる。

pは運動量演算子であり、abはDirac行列と呼ばれ、

で与えられる。ここで、Iは2行2列の単位行列、sは2行2列のPauliスピン行列

である。
Foldy-Wouthuysen変換UFWを施すと、

を得る。ここで、

また、HintOはそれぞれ を偶行列と奇行列に分解したものである。

残っている奇行列部分Oを消去するために、さらに2次Douglas-Kroll変換UDK2を(5)に施す。UDK2は、

である。Wは運動量空間における積分演算子で、次の関係を満たすように選定する。

得られたハミルトニアンは、

展開はVAの2次までの項で打ち切る。そして、4×4行列であるの左上部、2×2行列の部分が本研究で用いた2次Douglas-Kroll-Hessハミルトニアン である。

2. 2 核磁気遮蔽定数

核遮蔽定数sは分子の全電子エネルギーに関する2次の物性である。すなわち、

上式の具体的な表現は(1)を(16)に代入して、mNBでべき展開して与えられる。(16)ではVAが等価に扱われており、磁場項はDKH2法のレベルで相対論的に記述されている。即ち、本報告のsは完全にDKH2のレベルである。式の詳細は他報[2]に譲る。

2. 3 Generalized UHF法

波動関数には、スピン−軌道相互作用と外部磁場への応答が記述できるように、UHF法を一般化したGeneralized UHF法(GUHF)を用いた。UHF法の一電子波動関数は次式で表される。

j(x)は空間軌道fとスピン関数{a,b}の積からなる。即ち、aスピンとbスピンには異なる空間軌道が割りあてられる。一方、GUHF法では、j(x)を次のようにaスピンとbスピンの線形結合で表現する。

N電子波動関数は、この一電子波動関数のSlater行列式で表す。

このN電子波動関数を参照関数として2次のMoller- Plesset(MP2)法を適用する。

3 結果と考察

ハロゲン化物イオンX-と過ハロゲン酸イオンXO4-(X=F, Cl, Br, I)のX核磁気遮蔽定数の計算値をTable 1に示した。化学シフトの実験値はClO4-とIO4-のみで存在する[12]。計算値はNon-Relativistic (NR)-MP2以外では実験値と概ね良く一致しており、この計算結果は妥当であると考えられる。NR-MP2でのClO4-の化学シフト値のみが実験値と大きくずれているのは、電子相関効果が大きく見積もられすぎているためと推測される。

Table 1. X Magnetic Shielding Constants and Chemical Shifts (X=F, Cl, Br and I) (ppm) calculated by Generalized UHF (GUHF), RHF, and MP2 methods with Non-Relativistic (NR) and Relativistic Second-order Douglas-Kroll-Hess (DKH2) Hamiltonians.
NR-RHFDKH2-GUHFNR-MP2DKH2-MP2Exptl.b
F-484.5492.6484.0492.2
Cl-1150.31201.61150.31201.5
Br-3128.53535.23127.63534.1
I-5507.46856.85507.16855.0
FO4----- 
ClO4-183.2256.8-538.3-
(967.1)a(944.8)a(1688.6)a(1003±100)
BrO4-537.8921.7149.5530.6
IO4-1614.62961.71289.62559.7
(3892.8)a(3895.1)a(4217.5)a(4295.3)a(4100±100)
a Values in parentheses are chemical shifts d ( = s(X-) - s(XO4-) ).
b Experimental values are taken from ref[12].

3. 1 相対論効果

相対論的効果を以下の2通りに分類した。
これらの結果をFigure 1にまとめた。X-とXO4-ではともに同じ傾向を示し、電子相関の有無に関わらず、相対論的効果は重ハロゲンになるにしたがって大きくなっている。


Figure 1. Relativistic Effects in agnetic Shielding Constants of X- (left-hand side) and XO4- (right- hand side)(X=F, Cl, Br, I) without and with Electron Correlation (EC).

最も相対論的効果の大きかったI-とIO4-s値を各成分に分解した(Table 2)。各成分の詳細な式は他報[2]に譲り、定性的な概略を示す。

sFCはスピン−軌道相互作用を導入したことによって発生するので相対論的効果の一種と考えられる。I-原子のsFCは、電子相関の有無に関わらず全sの約18%を占めている。同様に、IO4-では、電子相関がない場合は約49%、電子相関がある場合は約59%を占めている。I-とIO4-ともに相対論的効果におけるsFCの寄与は全相対論的効果の90%以上を占めている。

Table 2A. Relativistic Effects of I- Magnetic Shielding Constants without and with Electron Correlation(EC)(ppm)
Without ECsdiasparasSDsFCTotalWith ECsdiasparasSDsFCTotal
s(DKH2-GUHF)5501.8123.62.81228.76856.8s(DKH2-MP2)5501.5123.42.71227.46855.0
s(NR-RHF)5507.40.00.00.05507.4s(NR-MP2)5507.10.00.00.05507.1
Relativistic Effect-5.6123.62.81228.71349.4Relativistic Effect-5.6123.42.71227.41347.9

Table 2B. Relativistic Effects of IO4- Magnetic Shielding Constants without and with Electron Correlation(EC)(ppm)
Without ECsdiasparasSDsFCTotalWith ECsdiasparasSDsFCTotal
s(DKH2-GUHF)5479.9-3929.4-45.61456.72961.7s(DKH2-MP2)5479.5-4369.5-75.81525.52559.7
s(NR-RHF)5485.4-3870.80.00.01614.6s(NR-MP2)5485.2-4195.70.00.01289.5
Relativistic Effect-5.5-58.6-45.61456.71347.1Relativistic Effect-5.7-173.8-75.81525.51270.2

X-は球対称な閉殻系電子状態を持つためspara値はHartree-Fock法の範囲ではゼロである。このため、spara値は磁気許容な励起配置をとりこむことによる電子相関効果としてあらわれている。

3. 2 電子相関効果

電子相関効果を以下の2通りに分類した。
これらの結果をFigure 2にまとめた。X-での電子相関効果は非相対論でも相対論でもほぼゼロ(+0.5~-2ppm)である。一方、XO4-では非相対論でも相対論でも比較的大きな値をとっている。即ち、非相対論は-721~-325ppm、相対論は-402~-391ppmであった。X-に比べてXO4-では電子相関効果は無視できない。また、非相対論では重ハロゲンになるにしたがって電子相関効果が小さくなっているが、相対論ではBrO4-よりIO4-の電子相関効果が大きくなっている。これについては後で議論する。


Figure 2. Electronic Correlation Effect of X-(left) and XO4-(right) (X=F, Cl, Br, I) with Non-Relativistic(NR) and Relativistic(Rel.) Hamiltonians

BrO4-sを各成分に分解してTable 3に示す。非相対論でも相対論でも電子相関効果は主にsparaに寄与する。これは、磁気遮蔽の観点から見ると、電子相関が電子密度よりも核運動量の磁場応答の記述に影響を与えることを示している。相対論ではsFCの寄与も若干大きくなる。

Table 3. Electronic Correlation(EC) Effects of BrO4- Magnetic Shielding Constants with Non-Relativistic(NR) and Relativistic(Rel.) Hamiltonians
NRsdiasparasSDsFCTotalRel.sdiasparasSDsFCTotal
s(NR-MP2)3093.1-2943.60.00.0149.5s(DKH2-MP2)3082.4-3026.0-23.8498.0530.6
s(NR-RHF)3092.3-2554.50.00.0537.8s(DKH2-GUHF)3081.7-2590.2-12.3442.4921.7
EC Effect0.8-389.10.00.0-388.3EC Effect0.7-435.8-11.555.6-391.0

Table 4. Coupling Effects between Relativistic Theory and Electron Correlation(ppm)
F-Cl-Br-I-FO4-ClO4-BrO4-IO4-
Coupling Effect0.0-0.1-0.3-1.5---2.7-77.0

3. 3 電子相関と相対論の相乗効果

相対論効果と電子相関効果の加成性について考察する。以下の分類を定義する。
ここで定義された相乗効果をTable 4 に示す。IO4-では
相対論的効果 D(R) = 1347.1 ppm
電子相関効果 D(EC) = -325.0 ppm
     D(R) + D(EC) = 1022.1 ppm
相対論と電子相関を同時に考慮すると、
     D(R+EC) = 945.1 ppm
となり、両者の間では加成性が成り立たず、-77.0ppmの相乗効果が存在することになる。この相乗効果は定量的な計算では無視できない大きさである。
前節で電子相関効果は非相対論では重ハロゲンになるにしたがい小さくなる傾向を示したが、相対論で逆であった。これは電子相関と相対論の相乗効果と解釈できる。即ち、Figure 2(○)のグラフには電子相関効果だけではなく、相乗効果が含まれている。相乗効果がBrO4-に比べてIOO4-で急激に大きくなるため、IOO4-の電子相関効果はBrO4-よりも大きくなる。

高次相対論を考慮した磁気遮蔽定数の計算プログラムは著者(M.H.)が京都大学の中辻博教授と共同で開発した。京都大学の福田良一博士には有益な助言を頂いた。本研究の一部は文部科学省科学研究費補助金基盤研究B(課題番号14340179)によって行われた。

参考文献

[ 1] H. Nakatsuji, H. Takashima, and M. Hada, Chem. Phys. Lett., 233, 95 (1995).
[ 2] C. C. Ballard, M. Hada, H. Kaneko, and H. Nakatsuji, Chem. Phys. Lett., 254, 170 (1996).
[ 3] I. Morishima, K. Endo, T. Yonezawa, J. Chem. Phys., 59, 3356 (1973).
[ 4] M. Hada, H. Kaneko, and H. Nakatsuji, Chem. Phys. Letters, 261, 7 (1996).
[ 5] M. Hada, J. Wan, R. Fukuda, H. Nakatsuji, J. Comp. Chem., 22, 1502 (2001).
[ 6] 福田良一, 波田雅彦, 中村暢孝, 中辻博, 分子構造総合討論会(神戸), 3P093 (2002).
[ 7] J. Gauss, J. F. Stanton, J. Chem. Phys., 103, 3561 (1995).
[ 8] B. A. Hess, Phys. Rev. A, 32, 756 (1985).
[ 9] R. Fukuda, M. Hada, H. Nakatsuji, J. Chem. Phys., 118, 1015-1026 (2003).
[10] R. Fukuda, M. Hada, H. Nakatsuji, J. Chem. Phys., 118, 1027-1035 (2003).
[11] R. Fukuda, M. Hada, H. Nakatsuji, Rec. Adv. Comp. Chem., 6, in press.
[12] J. Mason, Multinuclear NMR, PLENUM (1987), pp.447-461.


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