ビグアニドトリカチオン、ビウレットトリカチオンの基底高スピン状態の予測と新規な高分子強磁性体の分子設計

畠中 正志, 柴 隆一


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1 緒言

有機化合物は通常、反磁性体であるが、非ケクレ型分子と呼ばれる一連の化合物では高スピン状態が発現し、分子内のスピンの間に強磁性的な相互作用が見られることがある。
非ケクレ型分子は完全なケクレ構造をもたないp共役系分子で、その独特な結合様式から非結合性分子軌道(NBMO : Non-Bonding Molecular Orbital)が生じるという大変面白い性質をもっている。NBMOは、Huckel分子軌道法において固有値がゼロとなるものである。非ケクレ型分子に関する理論はすでに半世紀以上前にHuckel分子軌道法のレベルでLonguet-Higgins によって展開されており [1]、p共役系炭化水素の炭素数をN、二重結合の数をTとするとき、NBMOが(N-2T)個生じることが証明されている。これにHund則を適用すると、非ケクレ型炭化水素のスピン量子数Sは次式のように予想される。
  S=(N-2T) / 2              (1)
また、Mataga [2]、Ovchinikov [3] は、それぞれ分子軌道法、原子価結合法に基づいて非ケクレ型炭化水素を骨格とする高分子強磁性体の可能性を示した。このような分子設計理論に基づいてこれまでに多くの高スピン有機分子が設計、実現されたことは、これらの優れた理論の先見性を見事に裏付けるものである。昨今ではその研究対象は炭素ポリラジカルをはじめ、ヘテロ原子を含むものや荷電を帯びたものにまで拡張されている [4 - 7] 。
最も簡単かつ重要な高スピン状態の非ケクレ型炭化水素としてトリメチレンメタン(TMM : Figure 1(a))がある。トリメチレンメタンについて(1)式を適用するとS=1となり、基底三重項が予想されるが、これについては既に理論、実験の両面からその基底三重項状態が明らかにされている [8, 9]。特に、BordenとDavidsonは、ビラジカルのNBMOが共通の原子上に広がっているnondisjoint 型の場合に基底三重項状態が発現するという重要な理論を展開している [8] 。
トリメチレンメタン骨格を無限個連結した非ケクレ型の高分子強磁性体(Figure 1(b))もすでに理論的に予測されており、その基底状態は「スピン分極」として知られる正と負のスピン密度の交替を伴った強磁性状態とみられている [10] 。これらの結果を踏まえると、トリメチレンメタン骨格を複数連結した分子(Figure 1(b) においてnが有限の場合)もまた高スピン状態であると考えられるが、その最も簡単な例として、トリメチレンメタン骨格を二個連結した構造をもつ非ケクレ型トリラジカル「テトラメチレンプロパン(TMP : Figure 1 (c))」が挙げられる。この分子はトリメチレンメタンの拡張として興味がもたれ、その基底状態が四重項であることは分子軌道法、原子価結合法等による定性的な予測 [11] の他に、BordenとDavidsonの理論および非経験的分子軌道法を用いて予測されている [12] 。本稿ではビグアニドのトリカチオン(BG3+ : Figure 1(d))、ビウレットのトリカチオン(BU3+ : Figure 1(e))がTMPと類似したp電子配置をもつことに注目し、それらの高スピン状態の安定性を予測したのち、ポリグアニド、ポリウレットを骨格とする高分子強磁性体の分子設計を試みる。
TMP、BG3+、BU3+ はいずれもp電子に関して等電子的な非ケクレ型分子である。本稿ではまずヘテロ原子を含まないTMPのスピン状態の本質をHuckel分子軌道法の枠内で考察し、半経験的分子軌道法によってその高スピン状態の安定性と高スピン有機分子に特有なスピン分極について論じる。さらに、そのアナロジーとして、BG3+、BU3+の高スピン状態の安定性について検討し、その計算結果の応用として、ポリグアニド、ポリウレットからなる高分子強磁性体の可能性を示す。


Figure 1. Molecular structures of (a) trimethylenemethane (TMM), (b) the simplest model of organic ferromagnet based on TMM, (c) tetramethylenepropane (TMP), (d) biguanide trication (BG3+), (e) biuret trication (BU3+)

2 Huckel分子軌道法による考察

TMPは本稿の研究の中心であるBG3+、BU3+ の比較例として重要な炭化水素等電子体であるから、そのNBMOや電子状態の対称性を詳しく検討しておく。
まず、TMPをC2v対称と仮定して、その電子状態をHuckel分子軌道法に基づいて考察する。この分子はその非ケクレ構造から三つのNBMOをもつことが示唆される。J. PranataはこれらをTMMとアリルラジカルの軌道相互作用から図式的に求めているが [12]、NBMOや電子状態の対称性についてはふれていない。ここではNBMO法 [1] による解析解を求め、その対称性を分類しておく。その解と、四重項および二重項に対応する電子配置をFigure 2に示す。四重項状態の電子配置は4A2一つしか生じないが、二重項状態としては縮退した2B12A2が生じるので、単一の電子配置で記述することはできない。
三つのNBMOはHuckelレベルでは偶然に縮退しており、不対電子は三つであるから、Hund則によってこの分子の基底状態は四重項、電子状態は4A2であると予想される。また、各NBMOは共通の炭素上に広がったnondisjoint 型であり、このことからもその高スピン基底状態が予想される [12] 。
しかし、電子間反発をあらわに考慮するとその縮退が解けるため、Huckel分子軌道法の枠内でその基底状態の安定性を論じることには限界がある。


Figure 2. Schematic non-bonding molecular orbitals (NBMOs) of planar TMP and the electronic configurations for quartet and doublet states. The symmetry classification is given for C2v point group.

また、2B12A2のどちらが最低二重項状態であるかはHuckelレベルの考察から結論づけることはできない。分子構造的には、立体障害による平面性からのずれも検討する必要がある。この分子が中心の水素同士の立体障害によって対称性がC2vからC2に変化した場合の各NBMOおよび四重項、二重項状態の対称性の分類は次のように変わることに注意する。
  a2 → a,  b1 → b,  b1 → b         (2)
  4A24A,  2B1 → 2B,  2A22A    (3)
BG3+とBU3+はTMPと等電子的であるから、近似的には三重に縮退したNBMOをもつが、これらはヘテロ原子を含んでおり、その基底状態が四重項であることはそれほど自明ではない。このようなわけで、これらの分子のスピン状態をさらに詳しく検討するためには、電子間反発をあらわに含むハミルトニアンとスピン対称性を考慮した波動関数が必要になってくる。

3 計算方法

本稿の主目的は分子設計であって、精度の高い定量性を目指すものではないから、計算にあたっては簡便な半経験的分子軌道法を採用した。以下の計算は全てPM3法 [13] によるものである。ポリラジカルのスピン状態の本質的な考察にはPM3法は大変有力な方法である [6] 。計算プログラムとしてMOPAC [14] を用いた。
開殻系の計算には非制限Hartree-Fock(UHF : Unrestricted Hartree-Fock)法が多用されるが、UHF波動関数は正確にはスピン二乗の固有関数にはならないので、同一分子で異なるスピン量子数をもつ状態の最適化構造やエネルギーを比較検討するには不適当である。また、四重項状態は単一の電子配置で十分に記述できると考えられるが、二重項状態は電子状態が縮退しているため、単一のスレーター行列式で記述するのは困難である。そこで、スピン対称性を満たす制限付き開殻Hartree-Fock(ROHF : Restricted Open-shell Hartree-Fock)法に基づく波動関数を参照配置とし、三つのNBMOを活性空間とする配置間相互作用(CI : Configuration Interaction)法を採用した。
この条件下で中心の二面角の変化も考慮に入れて四重項、二重項状態の最適化構造を計算した。二重項状態については最もエネルギー的に安定な状態(最低二重項状態)を求め、それ以上の励起状態は本稿の目的とは関係がないので追求しなかった。
さらに、四重項状態については上記のCI計算で求めた最適化構造の下、UHF法による解析を行った。UHF法によると、ROHF波動関数を参照配置とするCI法では得られない正負のスピン密度が得られ、スピン分極の効果を調べることができる。

4 計算結果と考察

TMP、BG3+、BU3+いずれも基底状態は四重項であった。
各分子の四重項、最低二重項状態の最適化構造と四重項状態を基準とした相対エネルギーをFigure 3に示す。
TMPの基底状態は4Aで、最低二重項状態は2Bであった。4Aは結合交替がほとんど見られないが、2BではFigure 1(c) の右辺に示した共鳴構造の寄与が示唆される。また、水素同士の立体障害のため、平面構造からずれているが、四重項-二重項エネルギー差は12.2 kcal / mol で、四重項状態の十分な安定性を示している。非経験的分子軌道法によるこの分子の四重項-二重項エネルギー差は20.37 kcal/mol と見積もられている [12] 。四重項状態の安定性を論じるにあたって、計算値の細かな差異は重要なことではないが、トリメチレンメタンの三重項-一重項エネルギー差の実験値(16.1±0.1 kcal/mol [9])、非ケクレ型四重項分子1,3,5-トリメチレンベンゼンの四重項-二重項エネルギー差の非経験的分子軌道法による計算値 (14.5 kcal/mol [5] ) 等と同じオーダーの値が算出されることからみて、本稿の計算結果は定量的にも穏当かつ信頼性のあるものと考えられる。


Figure 3. Optimized geometries and relative energies of TMP, BG3+ and BU3+ at the PM3-CI level of theory.

ヘテロ原子を含むBG3+、BU3+ではNBMOの縮退が解けるために四重項-二重項エネルギー差はTMPのそれより小さいが、いずれも基底四重項であると予測された。
BG3+の基底状態は4Aで、最低二重項状態は2Bであった。イミノ基のC-N結合は他のそれより短く、4A、2BともにFigure 1(d) の右辺に示した共鳴構造式でよく記述できる。この分子の平面構造からのずれはイミノ基の孤立電子対同士の反発が原因と考えられる。四重項-二重項エネルギー差は3.8 kcal / mol であった。この分子はヘテロ原子として窒素を含み、また、アミノ基とイミノ基が混在しているにもかかわらず、NBMOの特性が保たれて基底四重項状態が発現するという興味ある特徴をもっている。
BU3+はC2対称ではなく、C2v対称の平面構造が安定で、基底状態は4A2、最低二重項状態は2B1であった。カルボニル結合は他の結合よりはるかに短いので、4A22B1ともにFigure 1(e) の右辺に示した共鳴構造がよく対応している。四重項-二重項エネルギー差は1.2 kcal / mol であった。この四重項分子は炭素以外のヘテロ原子として窒素のみならず酸素も含んでいるが、この事実は従来の高スピン非ケクレ型炭化水素の分子設計理論が複数のヘテロ原子を含む荷電した系にも拡張しうることを示している。
Figure 4は、CI計算による最適化構造に基づいたUHF法による各分子の四重項状態のpスピン密度と、スピン二乗の期待値を示したものである。一部に非対称な分布が見られ、UHF波動関数も正確にはスピン対称性を満たしてはいないが、本質的なスピン密度分布は十分に観察できる。どの分子にもスピン分極として知られる高スピン有機分子に特有な正と負のスピン密度の交替が見られる。分子全体としては、正のスピン密度が負のスピン密度より多いために高スピン状態が実現される様子がよくわかる。これはOvchinikovが予想した分子内スピン配列の原子価結合法的な描像に相当する [3]。
最後に、Figure 1(b) に示した高分子のアナロジーとして、ポリグアニド、ポリウレットを酸化して得られる高分子強磁性体の可能性を提示する。BG3+、BU3+ にはグアニド、ウレット単位が二つしかないが、Figure 5に示すように、これを拡張したポリグアニド、ポリウレットを適当な方法で酸化すると、非ケクレ性を維持した新規な高分子強磁性体が得られるものと考えられる。


Figure 4. p-spin densities of the quartet states of TMP, BG3+ and BU3+ at the PM3-UHF//PM3-CI level of theory. <S2> is the spin-squared expectation value.


Figure 5. Possible organic ferrromagnets based on (a) polyguanide and (b) polyuret.

5 結論

分子軌道法によって非ケクレ型分子テトラメチレンプロパン、ビグアニドトリカチオン、ビウレットトリカチオンのスピン状態を計算し、その高スピン状態の安定性を予測した。高スピン状態にはスピン分極として知られるスピン密度の交替が認められた。さらに、ポリグアニド、ポリウレットを酸化することによって新規な高分子強磁性体が得られることを予想した。

参考文献

[ 1] H. C. Longuet-Higgins, J. Chem. Phys., 18, 265 (1950).
[ 2] N. Mataga, Theor. Chim. Acta, 10, 372 (1968).
[ 3] A. A. Ovchinikov, Theor. Chim. Acta., 47, 297 (1978).
[ 4] K. Yoshizawa, M. Hatanaka, A. Ito, K. Tanaka and T. Yamabe, Mol. Cryst. Liq. Cryst., 232, 323 (1993).
[ 5] K. Yoshizawa, M. Hatanaka, Y. Matsuzaki, K. Tanaka and T. Yamabe, J. Chem. Phys., 100, 4453 (1994).
[ 6] K. Yoshizawa, T. Kuga, T. Sato, M. Hatanaka, K. Tanaka and T. Yamabe, Bull. Chem. Soc. Jpn, 69, 3443 (1996).
[ 7] H. Murata, M. Takahashi, K. Namba, N. Takahashi, and H. Nishide, J. Org. Chem., 69, 631 (2004).
[ 8] W. T. Borden and E. R. Davidson, J. Am. Chem. Soc., 99, 4587 (1977).
[ 9] P. G. Wenthold, J. Hu, R. R. Squires, W. C. Lineberger, J. Am. Chem. Soc., 118, 475 (1996).
[10] N. Tyutyulkov, P. Schuster and O. Polansky, Theor. Chim. Acta., 63, 291 (1983).
[11] D. J. Klein, C. J. Nelin, S. Alexander and F. A. Matsen, J. Chem. Phys., 77, 3101 (1982).
[12] J. Pranata, J. Am. Chem. Soc., 114, 10537 (1992).
[13] J. J. P. Stewart, J. Comp. Chem., 10, 209 (1989).
[14] J. J. P. Stewart, MOPAC 2000 in ChemOffice version 8.0, CambridgeSoft


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