フラーレン多付加体の効率的な探索戦略:円錐積絞込法

樋田 竜男, 内田 勝美, 石井 忠浩, 矢島 博文


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1 緒言

コンピュータの演算能力を従来どおり向上させるためには幾つかの技術的な問題が存在する。近年解決策の1つとしてフラーレンやナノチューブ等の単電子トランジスタの利用が期待されているが[1-3]、これらの有機材料を回路設計者の望む位置に配置させる具体的な方法は余り知られていない。「フラーレン誘導体を利用したナノ構造の構築」はその1つで、サッカーボール型フラーレンC60の30箇所ある反応サイトの空間的な位置が正確に決まっていることを利用し、予め適切な角度で幾つかの官能基を導入し、これをナノ構造単位として多数のフラーレン誘導体を立体的に構築するという手法である[4]。そのためには数多くのナノ構造単位を合成分離しなくてはならないが、僅か1種類の官能基付加の場合でも最も多いケース(h=0)で1791万種類、中程度の大きさの官能基(h=2)でも136種類もの誘導体が存在することがわかり、前駆体−誘導体の関係図である構造発展図すなわちGeometrical Evolution Graph (GEG)の利用が必然的に求められた[5]。そもそも実際に多付加体を合成した場合、フラッシュカラムによる付加数ごと分離は容易で、さらに同一付加数内での構造異性体の分離はHPLCを用いることである程度は可能だが、往々にしてNMRパターンのみによる構造特定は期待できない。そこで予め構造の特定された幾つかの誘導体を出発材料として、これより得られる誘導体を構造発展図から絞り込むなどの探査戦略が考えられる。しかしながら、構造発展図は複雑で、数多く考えうる探査戦略を検討するには専用の解析ツールの開発が望まれた。

2 構造発展図解析ツール

サッカーボール型フラーレンC60の反応サイトはFigure 1の通し番号で示された30箇所の二重結合とし、付加基は1付加体がC2対称であるとしたとき、誘導体の構造は30ビットの2進数で区別可能である。すなわちn番目の二重結合に付加している場合、n桁目を1とした。これを構造IDとして、この論文では冗長を避ける目的で0xに続ける8桁の16進数で表現する。付加基間の立体障害の度合いhは1〜7の7段階を仮定する [5] 。


Figure 1. Numbering system of hex-hex double bond on C60 in this work.

本ツールは任意の誘導体を要素とする多付加体集合を作り、集合演算を行うことが出来る。また、その要素をテキストまたは画像として出力することができる。ソースはMicrosoft Windows XP、C++言語(Visual C++ 6.0)で作られており、多付加体集合はSetクラスとして定義されている。Setクラスはコンストラクタで空集合を1つ作る。解析者はmain()関数内で必要な数だけSetクラスのインスタンスを作り、処理を記述し、コンパイルして実行することが出来る。Setクラスの主なメンバ関数は次に示すとおりであり、操作は基本的にSet自身の集合要素に対して行われる。

2. 1 Children

官能基を更に1つ付加させて得られる全ての誘導体を、与えられた多付加体集合の各要素に対し求め、それらの和集合で定義される子誘導体集合を求め、これを自身とする。

2. 2 Descendants

官能基を0個以上付加させて得られる全ての誘導体を、与えられた多付加体集合の各要素に対し求め、それらの和集合で定義される子孫誘導体集合を求め、これを自身とする。
与えられた多付加体集合要素を原料としたとき、最終的に反応系内に存在しうる全ての誘導体からなる集合が子孫誘導体集合である。0付加体すなわち未反応フラーレンを最上位とし、付加世代を降りる毎に描かれる構造発展図において、子孫誘導体集合は下に広がる仮想的な円錐域として理解することが出来る。頂点は原料に相当し、到達可能な全ての誘導体は円錐域の内側に存在する。もちろん、有限の世代後にdeadlock構造すなわちこれ以上付加し得ない構造に至るため、この仮想的な円錐域は際限なく下に広がるわけではない。

2. 3 Parents

官能基を1つ脱離させて得られる全ての前駆体を、与えられた多付加体集合の各要素に対し求め、それらの和集合で定義される親前駆体集合を求め、これを自身とする。

2. 4 Ancestors

官能基を0個以上脱離させて得られる全ての前駆体を、与えられた多付加体集合の各要素に対し求め、それらの和集合で定義される前駆体集合を求め、これを自身とする。
与えられた多付加体集合要素を検出された生成物としたとき、反応開始時点で存在した可能性のある全ての前駆体からなる集合が先祖前駆体集合である。0付加体すなわち未反応フラーレンを最上位とし、付加世代を降りる毎に描かれる構造発展図において、先祖前駆体集合は上に広がる仮想的な逆円錐域として理解することが出来る。頂点は検出された生成物に相当し、これらのうちどれかに到達可能な全ての前駆体は円錐域の内側に存在する。もちろん、有限の世代前に初期構造すなわち未反応フラーレンに至るため、この仮想的な円錐域は際限なく上に広がるわけではない。

2. 5 Or

与えられた多付加体集合と自身の重複の無い重なりからなる和集合を求め、これを自身とする。

2. 6 And

与えられた多付加体集合と自身の共通要素からなる積集合を求め、これを自身とする。

2. 7 Not

自身の補集合を求め、これを自身とする。ここで全体集合とは、0付加体すなわち未反応フラーレンの子孫誘導体集合として定義される。

2. 8 Clear

空集合を求め、これを自身とする。

2. 9 Count

自身の要素数を返す。

2. 10 Out

自身の要素をファイルや画面にテキストで出力する。

2. 11 SVG

自身の要素をW3C勧告のSVG1.1 (Scalable Vector Graphics)形式で出力する。

2. 12 GetCardID

8桁の16進数からなる構造IDより、整数値からなるカードIDを得る。

2. 13 GetStructID

整数値からなるカードID より、8桁の16進数からなる構造IDを得る。
本ツールは誘導体を前述の構造IDの他にカードIDという表現でも扱える。カードIDとは自身が持つことの出来る全てのバーチャルな要素に対して連続的に振られた一意に定まる整数値である。以下のメンバ関数達はchar型の構造IDとint型のカードIDの2種類に対して同等に機能するようオーバーロードされている。

2. 14 Add

指定された誘導体を自身に追加する。

2. 15 Sub

指定された誘導体を自身から削除する。

2. 16 GetEnantiomerCardID

指定された誘導体の鏡像異性体のカードIDを得る。

2. 17 IsElement

指定された誘導体が自身に属するかチェックする。

3 円錐積絞込法

構造発展図を利用したt付加体の目標構造( t )の初歩的な探索方法として、2つ以上の構造既知のp付加体( a, b )を出発物質に選び、それらを元に高付加体を合成し、クロマトグラムにおける両者の子孫誘導体と構造発展図におけるそれら(Da, Db )とを比較探索するという方法が挙げられる。状況としては次に示す3種類が考えられるが、ここでは共通要素は少なければ少ないほうが良い1番目のケースについて考える。

多付加体混合溶液が付加数ごとに分離できるならば、このケースにおける目標構造は出発物質を頂点とした2つの構造発展円錐域Da, Dbt付加体のみからなる平面Ptとが交わる領域TABに存在するものとして絞り込むことが出来る(Figure 2)。この時TAB領域の要素数はできるだけ少ないことが望ましく、またそうなる出発物質( a, b )を選ぶべきである。このとき( a, b )はtの先祖前駆体集合(At )に属し、tを頂点とした構造発展逆円錐域とp付加体のみからなる平面Ppとが交わる領域PTに属する。


Figure 2. Graphic representation of the Cones Product Strategy that selects the best precursor pair (a,b) for its derivatives including target structures mainly.

本研究の円錐積絞込法は、領域TABの要素数が最も少なくなる( a, b )の組み合わせを領域PTから探し出すという方法である。以下に具体例として、通常の官能基が有する立体障害度合い( h=2 )の下で、対称性の高い3種類のdeadlock構造6付加体の効率的な前駆体探索を本ツールのSetクラスから構成されたConesProductStrategy関数により検討した。

3. 1 Th対称 (0x0812 1081)

0x0812 1081 はTh対称を有する6付加体である。6つの官能基が互いに直交する3つの軸上に存在するため、ナノストラクチャ構築のための構造単位として興味が持たれる。0x0812 1081 はFigure 3の右下端であり、その構造発展逆円錐域は赤く記された領域である。図の一番左が0x0000 0000 すなわち未反応フラーレンであり、青く塗られている要素が2付加体である。


Figure 3. Geometrical Evolution Graph (GEG ) in the case of h=2. Gray is the all-possible pathway from C60 (left edge). Red is the all-possible pathway to Th symmetrical hexa-adduct C60 (right edge). Blue is the bis-adduct set.

さて、今2付加体の各異性体の構造特定が行われているものとして、これらの中から未知の目標構造0x0812 1081 を効率的に誘導する前駆体2つを円錐積絞込法により求めた(Figure 4)。これによると 0x0000 0081 と0x0800 0001 の2つが最も効率的な出発物質であることが解る。0x0000 0081 とは、2官能基がフラーレンに対し直角に付加したe異性体として知られる構造で、0x0800 0001 とは、2官能基がフラーレンの上下に直線状に付加したtrans-1異性体としてしられる構造である。青く塗られた前者の子孫誘導体集合と、赤く塗られた後者の子孫誘導体集合との紫色で塗られた両者の交わりは6付加体に於いて 0x0812 1081 の1種類であることが解る。


Figure 4. GEG for the most effective bis-adduct precursors of Th symmetrical hexa-adduct. Blue is e isomer and its derivatives. Red is trans-1 isomer and its derivatives.

3. 2 D3対称 (0x0412 8041)

0x0412 0841(もしくはその鏡像異性体である 0x2042 0881)はD3対称を有する6付加体である。2付加体を出発物質とした円錐積絞込法によると、最も効率的な出発物質は0x0000 8001 (trans-3 )と 0x0080 0001 (trans-2 )との組み合わせであることが解る(Figure 5)。青く塗られた前者の子孫誘導体集合と、赤く塗られた後者の子孫誘導体集合との、紫色で塗られた両者の交わりは6付加体に於いて { 0x1050 0141 ( 0x0490 0141 ), 0x20a0 0141 ( 0x0340 0141 ), 0x0412 8041 } の3種類(括弧内の鏡像異性体を区別すると5種類)である。この中から目標構造をNMRにより特定することは理屈では可能だが、それほど効率的ではない。


Figure 5. GEG for the most effective bis-adduct precursors of D3 symmetrical hexa-adduct. Blue is trans-3 isomer and its derivatives. Red is trans-2 isomer and its derivatives.

一方、3付加体を出発物質とした円錐積絞込法によると0x0200 0081 のみが抽出され、その子孫誘導体集合は6付加体に唯一目標構造を含むことが解る(Figure 6)。更に0x0200 0081 は2付加体を出発物質とした3つの円錐積絞込を行うと、0x0000 0081 (e異性体), 0x0000 8001 (trans-3異性体), 0x0080 0001 (trans-2異性体) の3ついずれからも合成可能な構造の唯一の3付加体であることが解る。


Figure 6. GEG for the most effective tris-adduct precursors of D3 symmetrical hexa-adduct. Red pathway is able to derive D3 symmetrical hexa-adduct.

3. 3 D3d対称 (0x0920 0141)

0x0920 0141はD3d対称を有する6付加体である。2付加体を出発材料とした円錐積絞込法によると 0x0000 2001 (trans-4異性体) と 0x0800 0001 (trans-1異性体) の2つが抽出される。青く塗られた前者の子孫誘導体集合と、赤く塗られた後者の子孫誘導体集合との、紫色で塗られた両者の交わりは6付加体に於いて { 0x0920 0141, 0x20a0 0141 (0x0340 0141) } の2種類(括弧内の鏡像異性体を区別すると3種類)であることが解り(Figure 7)、比較的効率よく目標構造にたどり着ける。


Figure 7. GEG for the most effective bis-adduct precursors of D3d symmetrical hexa-adduct. Blue is trans-4 isomer and its derivatives. Red is trans-1 isomer and its derivatives.

念のため3付加体を出発材料とした円錐積絞込法を行うと、0x0001 2001のみが抽出され、その子孫誘導体集合は6付加体に唯一目標構造を含むことが解る。なお0x0001 2001の先祖前駆体集合と子孫誘導体集合の和集合である構造発展双円錐域は要素数9種、パスの種類3種と、極めてシンプルであることが興味深い(Figure 8)。 


Figure 8. GEG for the most effective tris-adduct precursors of D3d symmetrical hexa-adduct. Red is tris-adduct (0x0001 2001) and a very simple biconical zone that is the union of the Descendants Cone and the Ancestors Cone.

4 まとめ

本研究では、サッカーボール型フラーレンC60多付加体の構造絞込を目的として、前駆体−誘導体の関係グラフである構造発展図の解析ツールを開発し、これを用いた効率的な構造探索戦略:円錐積絞込法を報告した。具体例として立体障害度合いh=2の官能基が付加したケースに於いて、3種の対称性の高い6付加体すなわちTh, D3, D3d対称の異性体に対し、構造を推定する上で効率的な前駆体を円錐積絞込法により探索した。その結果、Th対称6付加体0x0812 1081 は0x0000 0081 (e異性体)と 0x0800 0001 (trans-1異性体)の双方から合成される唯一の6付加体であること、D3対称の6付加体0x0412 0841 は3付加体0x0200 0081 から合成される唯一の6付加体であること、その0x0200 0081は、0x0000 0081 (e異性体), 0x0000 8001 (trans-3異性体), 0x0080 0001 (trans-2異性体) の3つから合成される唯一の3付加体であること、D3d対称の6付加体0x0920 0141 は 3付加体0x0001 2001 から合成される唯一の6付加体であることが解った。この例に示されるとおり、円錐積絞込法は数多く存在するフラーレン多付加体から目的とする構造を作りうる効率的な前駆体を探索する上で有用であり、これはフラーレン多付加体ナノ構造を用いた三次元回路形成に要求される各種多付加体を効率的に合成、選別するために将来不可欠なアルゴリズムの一つと考えられる。
本研究で作成したソフトウェアツールは下記のURLにて公開されている。Figures 3 - 8に描かれた構造発展図は拡大表示可能なSVG版として下記のURLより閲覧可能である。
http://www.toida.jp/tatsuo/2005/10/04/JCCJ/

参考文献

[ 1] H. W. Ch. Postma, T. Teepen, Z. Yao, M. Grofoni, C. Dekker, Science, 293, 76 (2001).
[ 2] S. J. Tans, A. R. M. Verschueren, C. Dekkar, Nature, 393, 49 (1998).
[ 3] 和田恭雄, 北沢宏一, 特開平11-266007.
[ 4] 樋田竜男, 倉田長幸, 特開2004-299039.
[ 5] T. Toida, Y. Hori, K. Nemoto, K. Uchida, T. Ishii, H. Yajima, J. Computer Aided Chem., 6, 11 (2005).


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