量子化学計算によるチオフェンおよび五員環系アゾ色素の配座と吸収スペクトルに関する研究

古後 義也, 時田 澄男, 西本 吉助


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1 緒言

チオフェン系アゾ染料は古くからポリエステル繊維用染料として重要な位置を占めてきた。このタイプの色素は対応するアゾベンゼン類と比べ可視吸収スペクトルの最長波長吸収帯が約100nmも長波長側にみられる例も知られている[1 - 3]。このような深色性に対して硫黄原子の3d-AOが寄与している可能性が考えられていたが[4]、すでに、われわれはその可能性が低いことを指摘しておいた[5]。すなわち、チオフェンおよびチアゾールアゾ色素のpp*第一励起エネルギー(DE1)に対する硫黄原子の3d-AOの寄与についてCNDO/S計算によって検討したところ、pp*第一励起においてはHOMOからLUMOへの1電子励起配置の寄与が圧倒的に大きく、HOMOおよびLUMOにおける3d-AOの寄与が小さいことから、定性的にDE1に対する3d-AOの寄与は無視しうる程度であると結論された。ただし、このCNDO/S計算においては分子の構造は完全に平面型とし、構造データは標準的な結合距離、結合角が用いられており、配座についてはConformer-Aが仮定されている。


今回は、ベンゼン、チオフェン、フラン、ピロール、シクロペンタジエンおよびこれらのアザ置換体からなるアゾ化合物について、AM1、PM3およびB3LYP/6-31G*等によって配座解析をおこない安定配座を検討した。ついで、チオフェン系アゾ化合物については3d-AOを含めた場合と含めない場合のCNDO/S計算を行い、DE1の値そのものに対する3d-AOの影響を求めた。さらに、すべての化合物についてCNDO/SとTD-DFTによる吸収スペクトルの計算を行い、チオフェン系アゾ色素の深色性について考察した。


2 計算方法

化合物19について、二面角N-N-C-Yを10°きざみで変化させて配座エネルギーを求めた。この二面角を除く構造パラメーターはすべて最適化した。計算法はAM1、PM3、B3LYP/6-31G*である。このうち、B3LYP/6-31G*レベルで得られたConformer-AおよびBについてはさらに同じレベルで構造最適化計算を行った。チオフェン系アゾ色素の構造最適化計算はさらにB3LYP/6-311G**およびB3LYP/6-311++G**レベルにてもおこなった。計算にはGaussian03Wを用いた。
吸収スペクトルの計算はB3LYP/6-31G*によって得られた2つの安定構造Conformer- AおよびBに対しておこなった。CNDO/S計算は硫黄原子の3d-AOを含めた場合と含めない場合とで行った。CNDO/S計算における配置間相互作用(CI)計算にはすべての1電子励起配置を含めた。使用したプログラムはMOS-Fである。TD-DFT計算における汎関数はB3LYP、基底関数は6-31+G*であり、Gaussian03Wを使用した。

3 計算結果と考察

3. 1 配座解析

チオフェン系アゾ化合物S1S9にたいするAM1、PM3およびB3LYP/6-31G*による配座エネルギー計算結果をFigures 1 - 3に示した。Figure 1のAM1計算結果から、S1S9の9個の化合物すべてにおいてConformer-Aがエネルギー的に最安定であることになる。3'-アザ置換体S2S5S8の場合、Conformer-BはConformer-Aと比べ約4kcal/molだけエネルギー的に高く、直交型と同程度に不安定である。これら以外の6化合物のConformer-Bは局所エネルギー極小構造であり、Conformer-Aとのエネルギー差は高々 1.5 kcal/mol程度である。


Figure 1. AM1 Conformational Energy of Thiophene Derivatives S1~S9


Figure 2. PM3 Conformational Energy of Thiophene Derivatives S1~S9


Figure 3. B3LYP/6-31G* Conformational Energy of Thiophene Derivatives S1~S9

Figure 2に示したPM3計算結果はFigure 1のAM1計算結果と類似の傾向を示すが、3'-N置換体、特にS5は捩れ構造が最も安定となっている点が大きく異なる。
Figure 3に示したDFT計算結果はAM1およびPM3の結果とは大きく異なり、9個の化合物すべてにおいてConformer-BがConformer-Aより安定であることを示している。さらに、Figure 4にB3LYP/6-31G*、6-311G**、6-311++G**によるConformer-AとConformer-Bの最適化構造のエネルギー差を示す。エネルギー差における基底関数依存性は小さく、6-31G*でも特に問題ないと判断される。5'-ニトロ置換体S4S6は無置換体S1S3とほぼ同程度のエネルギー差であるが、5'-アミノ置換体S7S9は無置換体より1.5倍ほどエネルギー差が大きくなっている。


Figure 4. Energy Difference between Conformer-A and B. :B3LYP/6-31G*, :B3LYP/6-311G** :B3LYP/6-311++G**

以上のようにConformer-AとBのいずれが安定であるかについてはAM1、PM3およびDFTにより異なった結論を与えるが、チアゾールおよびチアジアゾールアゾ化合物(X1X2X3)のX線結晶構造解析結果[6, 7]によると、いずれもConformer-Bであることから、以後の配座解析および構造最適化においてはDFT計算を採用することとする。


Figure 5にはConformer-AとBのそれぞれにおいて3'-および4'-アザ置換体のエネルギー差を図示した。5'-無置換体S2S3および5'-ニトロ置換体S5S6ではConformer-AおよびBともに3'-アザ置換体S2S5が4'-アザ置換体S3S6よりエネルギー的にやや安定である。他方、5'-アミノ置換体S8S9では逆に4'-アザ置換体S9が3'-アザ置換体S8より約7kcal/molも安定となっている。


Figure 5. Energy Difference between 3'-N and 4'-N Isomers. Conformer-A :B3LYP/6-31G*, :B3LYP/6-311G**, :B3LYP/6-311++G** Conformer-B :B3LYP/6-31G*, :B3LYP/6-311G**, :B3LYP/6-311++G**

Figures 6 - 9にベンゼン、シクロペンタジエン、フラン、ピロールとこれらのアザ置換体からなるアゾ化合物のB3LYP/6-31G*レベルによる配座解析結果を示す。Figure 10には化合物19に加え1012のConformer-AとBの最適化構造におけるエネルギー差を示している。なお、この図には零点エネルギー補正後のエネルギーもあわせて示しておいたが、補正前の値と大きな差は認めがたい。


Figure 6. B3LYP/6-31G* Conformational Energy of Benzene Derivatives


Figure 7. B3LYP/6-31G* Conformational Energy of cycloPentadiene Derivatives


Figure 8. B3LYP/6-31G* Conformational Energy of Furan Derivatives


Figure 9. B3LYP/6-31G* Conformational Energy of Pyrrole Derivatives


Figure 10. B3LYP/6-31G* Energy Difference between Conformer-A and B. *:benzene, :furan, :pyrrole, :cyclopentadiene, :thiophene ; solid line:SCF Energy, dotted line:Corrected by Zero Point Energy

以上のことからフラン誘導体の一部(O1O4O10)はわずかにConformer-Aが安定であるが、これら以外の化合物においてはConformer-BがAより安定であると言える。とくに、チオフェン誘導体S1S12においてはConformer-Bがより安定であると言える。

3. 2 スペクトル計算

3.1で得られたチオフェン系アゾ化合物S1S12のConformer-AおよびBの最適化構造において硫黄原子に3d-AOを含めた場合と含めない場合とでCNDO/Sによるスペクトル計算を行なった。その結果をFigure 11に示す。図より明らかなように、pp*第一励起エネルギー計算値DE1に対する3d-AOの寄与はわずか0.02 eV程度であり、しかも3d-AOを含めたDE1の方が大きくなっている。第一励起状態においてはHOMOからLUMOへの1電子励起配置が支配的であり、3d-AOを含めるとHOMOはおよそ0.026 eV低下するのに対し、LUMOは0.016 eV低下する。このことが3d-AOを含めた場合のDE1の方が大きくなる主たる要因の一つと解釈される。以上の結果からチオフェン系アゾ色素の深色性は硫黄原子の3d-AOに起因するものではないと結論される。


Figure 11. 1st p®p* Excitation Energy DE1 Calculated by CNDO/S Including 3d-AO and Excluding 3d-AO.

つぎに、ベンゼン、チオフェン、フラン、ピロール、シクロペンタジエンおよびこれらのアザ置換体からなるアゾ化合物のConformer-AとBに関するCNDO/S計算結果をFigure 12に示す。両者のDE1の差は最大0.1 eV程度であり深色性の議論に影響を与える大きさではない。そこで、Figure 13にはConformer-BについてのCNDO/SおよびTD-DFT計算値DE1を示す。


Figure 12. Comparison of CNDO/S Excitation Energy DE1 of Conformer-A and B. *:benzene, :furan, :pyrrole, :cyclopentadiene, :thiophen


Figure 13. 1st p®p* Excitation Energy DE1 Calculated by CNDO/S (left) and TD-B3LYP/6-31+G*(right). *:benzene, :furan, :pyrrole, :thiophene, :cyclopentadiene

CNDO/S計算結果をみると、アゾベンゼン誘導体のDE1は他のすべての五員環系アゾ化合物のそれより約0.3 〜0.4 eVも大きくなっている。五員環系アゾ化合物の間ではDE1の差は小さく0.2 eVをこえることはない。特に、チオフェン系アゾ化合物が他の五員環系アゾ化合物よりDE1が小さいとは言えない。すなわち、チオフェン系アゾ色素が対応するアゾベンゼン系色素より深色的である事実は五員環系アゾ化合物に共通した特性であると結論される。
DE1に対するアザ置換の位置による効果の相違に注目すると、5'-ニトロ置換体456では3'-アザ置換体5DE1が大きく、5'-アミノ置換体789では4'-アザ置換体9が大きくなっている。このようにアザ置換の効果が5'-置換基の種類によって逆転することはHOMOとLUMOのエネルギーレベルやLCAOの係数の大きさから説明可能である[5]。
TD-B3LYP/6-31+G*計算結果においてはCNDO/S計算結果と比べ、アゾベンゼン系化合物と他の五員環系アゾ化合物とのDE1の差は小さい。また、五員環によるDE1の差が大きくなっている。しかし、一般的傾向として五員環系アゾ化合物の方がアゾベンゼン誘導体より深色的であるということができる。

4 結論

チオフェン環を含む各種五員環系アゾ化合物についてB3LYP/6-31G*計算に基づく配座解析をおこなった結果、ほとんどの化合物においてConformer-AよりConformer-Bが安定であることが推定された。チオフェン系アゾ色素が対応するアゾベンゼン系色素に比べ深色性を示す事実は、硫黄原子の3d-AOに起因するのではないことがCNDO/S計算結果から示された。この深色性は五員環系アゾ化合物に共通した特性であることがCNDO/SおよびTD-B3LYP/6-31+G*スペクトル計算結果から示唆された。

参考文献

[ 1] J. B. Dickey, E. B. Towne, M. S. Bloom, W. H. Moore, H. M. Hill, H. Heynemann, D. G. Hedberg, D. C. Sievers, M. V. Otis, J. Org. Chem., 24, 187 (1959).
[ 2] J. B. Dickey, E. B. Towne, D. G. Hedberg, D. J. Wallace, M. A. Weaver, J. M. Straley, Am. Dyestuff Rep., 1965, 596.
[ 3] A. D. Towns, Dyes Pigments, 42, 3 (1999).
[ 4] J. Griffiths, Colour and Constitution of Organic Molecules, Academic Pess, London (1976).
[ 5] Y. Kogo, Dyes Pigments, 6, 31 (1985).
[ 6] S. K. Apinitis, Zh. Strukt. Khim., 19, 177 (1978).
[ 7] K. Singh, A. Mahajan, W. T. Robinson, Dyes Pigments, 74, 95 (2007).


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