大規模分子の分子軌道計算
- LysozymeとモデルDNA分子の分子軌道 -

渡邊 寿雄, 稲富 雄一, 石元 孝佳, 梅田 宏明, 櫻井 鉄也, 長嶋 雲兵


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1 はじめに

新規物質設計・製造の高度化・低コスト化技法の開発や新薬の安価・高速・安全な開発技法の開発のニーズの高まりと、無駄な廃棄物を生む化合物の合成や動物実験などを行わないなど、環境負荷の少ない開発技法への強い要請を背景に、材料シミュレーションへの期待が高まっている。
材料シミュレーションの技法として、主に孤立系の電子状態の計算に用いられる、量子力学に基づいた理論計算の一種である分子軌道(Molecular Orbital, MO)法[1]がある。MO法では分子中の電子分布を表す多くのMOが得られる。そのうちフロンティア軌道[2]と呼ばれる2つのMOと、その軌道エネルギーの解析が、さまざまな化学反応のメカニズムを理論的に解明する際に重要となるというフロンティア電子理論で1981年にノーベル賞が福井謙一に与えられた。近年、DNAの1次構造や、多くのタンパク質の立体構造が明らかになってきたが、タンパク質などの巨大生体分子の反応機構の解明は、その分子の大きさゆえに、反応する部位を特定することすらままならないことが多い。したがって、DNAやタンパク質などの巨大分子のフロンティア軌道を求めることは、反応部位、および反応機構の理論的な解明に非常に重要であり、創薬などの分野で特に有用である。
従来のMO法によるMO計算では、全エネルギーや電子密度分布とともに、MOやその軌道エネルギーも同時に得られる。しかし、計算量が分子サイズの4乗に比例し、かつ行列の対角化など、並列化による高速計算が行いにくい部分が存在することなどから、1000原子を超えるような大規模分子に対して従来のMO法を適用すると、少し大きめのPCクラスタなどを用いた場合でも、10日〜数ヶ月といった長い計算時間が必要になる。いろいろな有機化合物から有効な薬品になる物質の候補を絞るスクリーニングなどにMO法を利用する場合には、この長い計算時間が大きな障害となる。
北浦によって提案されたフラグメント分子軌道(FMO)法[3 - 5]は、従来のMO法の計算量を大幅に削減するための計算手法の一つとして、最近注目されている。FMO法では、大規模MO計算をいくつかの小規模MO計算に分割して行い、その結果を用いて巨大分子全体のエネルギーや電子密度分布を求める。特徴的なことはその基本的な式からも判るように、タンパク質内部のフラグメント間の様々な相互作用を直接計算できることである。タンパク質のフラグメント間相互作用は、薬剤設計には欠かすことのできない情報であり、従来は研究者の知識と経験によって見積もられていたがFMO法を用いると自然な結果としてフラグメント間相互作用が得られる。
FMO法は並列化が非常に容易で高効率が期待できるため、すでに複数のグループが並列FMO計算プログラムの開発・性能評価を行っており、非常に高い並列性能が出ることが示されている[6]。FMO法による最大規模の計算は、今のところ2005年に池上らが行った光合成反応中心タンパク質のもので、原子数20581、電子数77754、基底数164442 (6-31G*)といった計算規模である[7]。彼らは高度に並列化されたプログラムを実装しDual Opteron (2 GHz) 300 ノード(600CPU)を用いて約90時間で計算を実行している。論文に書かれることはないが、この計算の入力データの作成には約3ヶ月程度の時間を要したと聞いている。すでに計算時間より信頼の置ける入力データの作成時間の方に時間がかかるという状況が目前に迫っている。
FMO法では、全エネルギーと電荷密度を得ることができるが、そのために分子全体に広がるフロンティア軌道を求めることはできない。しかし、我々はFMO法で得られた電子密度行列を使って全系のFock行列を再構築し、それの対角化を行う(FMO-MO法)ことで、フロンティア軌道をはじめとするMOや軌道エネルギーが精度よく求められることを確かめた[8]。Fock行列の対角化も従来のHouseholder-Bisection法やHouseholder-QR法を用いて全固有値・固有ベクトルの計算を行うのではなく、櫻井と杉浦によって新たに開発された対角化法[9]を用いると並列化が非常に容易であるため、計算量は多いものの、並列計算機を用いた高速化が図りやすい。我々の開発したFMO-MO法は大規模MO計算が可能なFMO法を拡張した計算法であり、FMO法では得られなかった大規模分子のMOを求めることを可能にする。これは、従来法ではとうてい解けなかった大規模系の分子軌道計算が可能となったことに他ならない。
我々は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究領域「シミュレーション技術の革新と実用化基盤の構築」の研究プロジェクト「グリッド技術を用いた大規模分子シミュレーションプログラムの開発」において、グリッド技術を利用したフラグメント分子軌道法に基づく分子軌道計算プログラムの開発と大規模MO計算の実現を目指している。特にFMO-MO計算に適した一般化固有値解法として櫻井-杉浦法[9]を利用することにより、グリッド環境下でも効果的な並列計算が可能となる。
本稿では紙面の都合上、FMO-MO法を用いたLysozyme分子およびアデニンとチミンの対によるモデルDNA分子のMO計算に話を限ることとする。

2 計算方法

2. 1 FMO法

北浦によって開発されたFMO法[3 - 5]は、分子を20〜30個程度の原子で構成される小さなフラグメントに分割して、このフラグメントとフラグメントペアに対して、従来MO法を適用する。タンパク質においてはペプチド結合を切断することでフラグメンテーションを行うことが経験的に行われている。その結果得られる、フラグメント、ならびにフラグメントペアの密度行列(それぞれ、{DI} , {DIJ} (1 <= I, J <= Nf)。Nfはフラグメント数)を用いて、分子全体の密度行列を計算する。

また、各フラグメント(フラグメントペア)に対するFock行列中の核-1電子ハミルトニアン行列には、次に示すとおり、従来MO法で用いた行列に若干の補正が含まれる。

ここで、添字のXはフラグメント、またはフラグメントペア(それぞれI, IJ)を表している。和の中に含まれる添え字K, Aおよび{k, l}は、それぞれ(条件を満たす)フラグメント、原子、および基底関数の番号を表す。さらに、式中のZA, RAは、それぞれ原子Aの原子核電荷、核座標を示す。この補正された核-1電子ハミルトニアン行列の右辺第一項 ( ) は、従来MO法とまったく同じものであり、右辺第三項 (BX) は射影演算子と呼ばれ、フラグメントに分割する際に、その切断部分を適切に処理するために必要な要素である。残りの右辺第二項 (VX) は周辺のフラグメントに属する原子核や電子から受ける静電相互作用の効果を表す部分(フラグメント間相互作用項)で、「周辺のフラグメントからの影響は、静電相互作用のみを考慮する」というFMO法の方針を示している。この周辺のフラグメントからの静電相互作用項を表す式のうち、前半は原子核からの核-電子引力項であり、原子の座標が変わらない限り変化しない量であるが、後半の周辺フラグメントの電子との2電子間静電反発項は、周辺フラグメントの電子密度に依存する。
FMO計算を実際に行う場合には、すべてのフラグメントの電子密度行列 ({DI}) の初期値を与え、その電子密度を基にフラグメント間相互作用項 ({VI}) を計算したのち、フラグメントに対するMO計算を行う。そうすると、各フラグメントの密度行列がMO法の反復計算の間に変化するため、フラグメントの電子密度に依存するフラグメント間相互作用項も変化することになる。したがって、フラグメントのMO計算は、フラグメントの電子密度分布(あるいはエネルギー)が収束するまで繰り返し行い、FMO法におけるフラグメントの電子密度分布を求める。こうして得られた密度分布を、Self-Consistent Charge (SCC)と呼ぶ。フラグメントペアに対しては、SCCを用いてフラグメント間相互作用項の計算を行い、1度だけMO計算を行う。
各フラグメントやフラグメントペアに対するMO計算は独立に行うことができるため、FMO法では並列処理による高速化を効率よく行うことができる[5]。また分子全体を一度に扱うことがないため、計算量はフラグメント数をmとするとO(m(N/m)4)O(N2)程度になり、HF法のO(N4)に比べて大幅に減少する。この結果、FMO法では大規模分子のエネルギー、ならびに電子密度分布を、HF法に比べて非常に短時間に、しかも精度よく求めることが可能である[3, 13]。その一方、FMO法では各フラグメント、フラグメントペアの軌道エネルギー(固有値)や軌道(固有ベクトル)の計算は行うが、分子全体に広がるMOを求めることはない。このため、タンパク質などの大規模分子のフロンティア軌道を求めるためにはFMO法によって得られる密度行列を用いて、全系のフォック行列を再構築して、それを対角化すれば、近似的なMOを求めることができる。

2. 2 FMO-MO法

FMO法では、分子全体の電子密度行列を得ることはできるが、MOを求めることができなかった。FMO法で計算できる分子のエネルギーや電荷分布なども反応メカニズムを理論的に解明するための有効な情報ではあるが、活性部位などの議論のためには、やはりMOを求める必要がある。フラグメントの軌道で分子全体の軌道の代用することも提案されているが、比較的小さな分子でもフラグメントの軌道エネルギーの準位がHF法の結果と違うことがある [10]。そこで、われわれは、FMO法で得られる分子全体の密度行列を基に、分子全体に対するFock行列と重なり行列を一度だけ計算し一般化固有値問題を解くことで、分子全体における分子軌道ならびに軌道エネルギーを近似的に求める計算方法を提案した[8]。こうして得られた分子軌道をFMO法における分子軌道(FMO-MO)と呼び、これまでにFMO-MOがHF法で得られる分子軌道とほぼ一致することが示されている。FMO-MO計算ではHF法にみられる反復処理(SCF計算)が必要ないため、分子全体に対するFock行列をただ一度だけ作成するだけでよく、高速な計算が可能である。またフロンティア軌道に対応するごく一部の固有値、固有ベクトルのみを計算すればよいこともFMO-MO計算の特徴の一つである。もちろん本法で得られるMOは厳密な意味でのSCF-MOではなく、SCF-MOが満たさなければならないビリアル定理等も満たさない。あくまでも近似的なMOである。本法ではHF法だけでなく、CI法などで得られる密度行列からFock行列を再構築して、近似的なMOを得ることが可能である。もちろん、そのMOは、CI法などで得られた密度行列を対角化して得られる自然軌道(Natural Orbital: NO)とは異なる。
FMO-MO計算の主な3つのステップ、(1)FMO計算による密度行列作成、(2)分子全体のFock行列作成、および(3)Fock行列の対角化、のうち、(1)は、並列処理による高速化が可能である。また、(2)の計算では、必要となる2電子積分計算の計算量がO(N4)となりコストが大きいが、個々の2電子積分は独立に計算できるため、こちらも並列計算による高速化が可能である。また、(3)の行列の対角化に対しても、化学的には固有値が0.0(HOMO-LUMO)付近の数個の固有値・固有ベクトルのみが必要であるので、固有値の範囲の指定ができる櫻井-杉浦法[9]のような並列化によって高速化が可能な方法の利用ができる。
本研究で用いている櫻井-杉浦法はn次対称行列A Î Rn× n、及びn次正定値対称行列B Î Rn× n をもつ大規模一般化固有値問題:Ax = lBx (1)の解法の一つである。本法は(1) を複素平面上の指定した領域内の固有値のみをもつ小規模一般化固有値問題に帰着させ、固有値、及び固有ベクトルを求める方法である。行列A, B, 及び非零ベクトルw, b Î Rn で構成される関数 f(z) を、 f(z) @ wH(zB - A) -1b と定義し、複素平面上に中心g Î R, 半径r の円周G を配置する。ここで、G 内にはm 個の相異なる固有値l1, l2,..., lm が含まれているとする。さらに,G 上にN 個の等間隔点w0,w1,...,wN-1 をとり,これらの点における関数値f(w0), f(w1),..., f(wN-1) を計算する。N 個の関数値は、G 内のm 個の固有値のみをもつ小規模一般化固有値問題に帰着させる際に用いられる。関数値f(w0), f(w1),..., f(wN-1) の計算には、複素対称行列をもつN本の連立一次方程式:(wj B - A)yj = b, j = 0, 1,..., N-1の求解が必要となる。これにより、大規模固有値問題が、固有値の範囲を限った小規模固有値問題に帰着され、高い並列性をもつようになる。
以下では大規模なクラスタ型並列計算機であるAIST Super Cluster(ASC)[11]を用いたLysozyme分子とアデニンとチミンの核酸対で作られたモデルDNA分子に対するFMO-MO計算を報告する。

3 FMO-MO計算

3. 1 プログラムと計算機

FMO法の計算には、国立衛生研の中野らが開発した並列FMO計算プログラム、ABINIT-MP[12]を用いた。ABINIT-MPはFortran90でコーディングされている。FMO-MO計算における全系のFock行列作成には、著者らが作新たに成した2電子積分プログラム[13]を用いた。本プログラムはC言語で記述されている。これら2つのプログラムは、MPI[14]によって並列化されている。
計算は、すべてASCを用いて行った。ASCは3つのクラスタ計算機システムで構成されており(Table 1)、FMO計算による密度行列生成は、通信量が計算量に比べて比較的小さいため、Gigabit Ethernetで結合されたF32クラスタで計算を行った。またFock行列生成は、並列化効率の高い2電子積分計算で多くのプロセッサを利用したいこと、ならびに行列のリダクションの際に大きなネットワーク負荷がかかるため、2048プロセッサが高速なネットワークMyrinetで結合されたP32クラスタを用いた。一般化固有値問題の求値はP32クラスタ中の1プロセッサを用いて行った。F32クラスタでは、コンパイラとしてIntel Fortran Compiler (version 8.0)[15]を、またMPIライブラリはMPICH(version 1.2.5.2)[16]を用いた。一方、P32クラスタでは、コンパイラとしてPGIコンパイラ(バージョン5.1.3)[17]を、また、MPIライブラリは、高速なクラスタとしての利用を容易にするためにP32クラスタに導入されているScoreクラスタシステムソフトウェア[18]が提供するものを用いた。

Table 1. Detail of three clusters on AIST Super Cluster
ClusterCPU#proc(node)Memory (GB/node)
P32Opteron2048(1024)6
(model 246, 2.0GHz)
M64Itanium2512(128)16
(1.3GHz)
F32Xeon536(256)4
(3.06GHz)

3. 2 モデル分子

モデル分子は、卵白Lysozyme(PDB ID=1LZT、アミノ酸129残基、1961原子)と40個のアデニンーチミン対で作られたモデルDNA分子である。Lysozymeは脊椎動物の細胞や分泌物中に広く分布し、植物性細菌の細胞壁を破壊する、殺菌作用のある酵素である。機能がよく知られており、タンパク質の中では比較的小規模ではあるが、それでも従来のMO法では計算が非常に困難な大きさを持つ分子である。モデルDNA分子はLysozyme分子のほぼ半分のサイズの系である。
Lysozyme分子では、まずProtein Data Bank(PDB)の構造に水素を付加し、対イオンとしてのCl-イオンと水分子を加えて古典分子動力学計算を行って平衡化した溶媒和構造を得た。このとき、ポテンシャルはAmberポテンシャルを仮定した。それぞれの溶媒和構造を用いてLysozyme及び対イオンから最近接距離が3.5, 5.0, 10.0A以内の水分子のみを取り込んでFMO-MO計算に用いる構造を作成した。溶媒和構造に含まれた水分子の数はそれぞれ365, 713, 2096分子であり、Lysozymeを含めた全原子数はそれぞれ3062, 4109, 8258原子となった。またFMO/HF/STO-3G基底関数の数は最大で20758であった。またLysozymeのみの系の計算も行った。Figure 1にLysozyme に対イオン及び5.0A以内の水713分子を加えた構造を示した。
モデルDNA分子の構造は、アデニンとチミンの核酸対40を用い人工的に作成した。Insight II[19]によって作成した標準的なB型二重螺旋構造に、対イオンとしてNa+を付加し、対イオンの位置を古典力場charmm22[20]を用いて最適化した。C2の対称性をわずかに崩してある。全原子数は2636、基底関数は10108(FMO/HF/STO-3G)であり、Lysozymeと水分子2096分子系の約半分の規模である。


Figure 1. Structure of Lysozyme with 713 H2O (<3.5 A)

Table 2. E-time of FMO-MO calculation for Lysozyme and 2096 H2O system
CPU#procE-time
FMO Calc.Opterona1281.7h
Fock Matrix Gen.Opterona2563.9h
Eigen Value & Vector
Cholesky decomposition+
Householder-bisecOpterona14.1h
Sakurai-SugiuraXeon b144.5m
Xeon b1281.9m
aOpteron :model 246, 2.0GHz, bXeon :3.06GHz

Table 3. E-time of FMO-MO calculation for a model DNA system
CPU#procE-time
FMO Calc.Opterona64019.7m
Fock Matrix Gen.Opterona25630.7m
Eigen Value & Vector
Sakurai-SugiuraOpterona165.7m
aOpteron :model 246, 2.0GHz


4 計算結果

4. 1 FMO-MO計算の経過時間

Lysozyme分子と水分子2096分子系(20758基底関数)のFMO-MO計算の経過時間をTable 2に示す。FMO計算にOpteron 128CPUで2時間、全系のFock行列生成にOpteron 256CPUで4時間ほどかかっている。固有値問題を従来法でOpteron 1CPUで行うとさらに4時間必要である。これは、ほぼフォック行列生成と同じ経過時間であり、従来はフォック行列生成の陰に隠れていた固有値の計算時間が、行列生成の並列処理による高効率化によって顕在したことに他ならない。幸いなことに必要最小限の固有値、固有ベクトルの計算が可能で、高度な並列処理が可能な櫻井-杉浦法を用いると1CPUで1時間、128CPUではほんの2分ほどで終了する。
2万次元ほどの分子軌道計算がたかだかOpteron 256CPUのクラスタを用いると6時間ほどで実行できることが判る。残念ながらこのサイズの系はもはや1CPUで実行される従来法のプログラムでは様々な制限のために解くことができないサイズである。
Table 3には、モデルDNAの経過時間を示した。Fock行列の計算は256CPUを用いて、ほぼ30分で終了しており、Lysozymeと水分子2096分子系の計算のほぼ8分の1の計算時間となっている。この程度の系のMO計算がOpteron 640CPUのクラスタで1時間程度で実行可能である。

4. 2 分子軌道と溶媒和

Figure 2にFMO-MO計算によって得られたLysozymeのHOMO及びLUMOを示した。SCF-MOとFMO-MOのようにVirial定理を満たさないMOは、軌道エネルギーの値が違うが、ノード関係や空間的広がりは全く同じである。水分子を含めることによって、HOMOやLUMOの位置が大きく異なってくることがわかる。水を多く取り込むことで巨大分子のHOMOやLUMOのエネルギー準位の付近には、多くのMOができてきており、そのため、HOMOやLUMOのみの軌道エネルギー、及び一つ溶媒和構造からその位置や安定化の議論をすることは非常に危険である。溶媒分子を陽に考慮するSuper Molecule法を用いて水和構造を見る場合には、十分な溶媒分子を考慮することが必要であることを伺わせる。Figure 2は、2007年現在世界最大の系のMOである。
モデルDNAのHOMOとLUMOをFigure 3に示した。この系では、HOMOがDNA鎖の中央に大きな振幅を持ち、LUMOがDNA鎖端に大きな振幅を持つ。C2の対称性が完全に満足されれば、LUMOはDNA鎖の両端に大きな振幅を持つが、わずかにC2の対称性を崩してあるので、片方によっている。ここでは図示しないが、LUMOの一つ上のLUMO+1は、LUMOとは反対側のDNA鎖端に大きな振幅を持つ。


Figure 2. HOMO-LUMO of Lysozyme with H2O


Figure 3. HOMO-LUMO of model DNA

4. 3 軌道エネルギーレベルと溶媒和

FMO-MO法によって得られた一つの溶媒和構造におけるそれぞれのモデルでのLysozymeのHOMO-LUMO近傍の軌道エネルギー分布をFigure 4に示した。占有軌道と非占有軌道、それぞれ40本ずつの軌道エネルギーを示し、特にHOMO近傍20本とLUMO近傍20本、合計40本を黒で示した。まず、Lysozymeのみ(真空中のモデル)の場合には、HOMO-LUMOギャップが-0.2 hartree近辺なのに対して、対イオンを取り込むことにより、モデルの全系の電荷が中和され、HOMO-LUMOギャップが0.0 hartreeの位置へ移動した。また、3.5A以内の結果では、HOMO近傍の3本のMOが非常に高い軌道エネルギーを示しているが、これは対イオンのCl-イオン上に局在化しており、対イオンへの溶媒和が不十分であることによる結果である。溶媒和の定量的の議論には十分な量の溶媒分子を考慮する必要がある。
HOMO及びLUMO近傍の20本のMOがLysozymeのみの場合はそれぞれ0.130, 0.091 hartreeのエネルギー幅の間に分布しているのに対し、10.0A以内の水分子を取り込んだ系では、それらがそれぞれ0.062, 0.044 hartreeとより狭い領域へ分布していることが分かる。
またHOMO-LUMOエネルギーギャップもLysozymeのみの場合は0.125 hartreeなのに対し、10.0A以内の水分子を取り込んだ系では0.376 hartreeと大きく、広がっている。これは、対イオン及び水分子を含まない系では、荷電アミノ酸が溶媒和による安定化を受けないため、不安定な軌道エネルギーを持っているためである。
HOMO及びLUMO近傍の軌道エネルギーが密になっているのは、LysozymeのMOに加えて、溶媒分子や対イオンのMOも加わったことも一因である。

5 まとめ

まず小さなタンパク質であるLysozymeとモデルDNA分子の分子軌道を、我々が開発しているFMO-MO法を用いて640CPU程度のクラスタ計算機で求め、その経過時間と溶媒和について報告した。


Figure 4. MO energy level close to HOMO-LUMO region. (a) Lysozyme, (b) Lysozyme with 365 H2O (<3.5 A), (c) Lysozyme with 713 H2O (<5.0 A), (d) Lysozyme with 2096 H2O (<10.0 A)

その結果、これまでは計算が困難であった、基底関数が20,000を越えるような巨大分子に対するMO計算が、数時間程度という非常に短い時間で行うことを示すことができた。タンパク質やDNAなどの生体分子の反応に対して、分子軌道計算による理論的な反応性予測が、FMO-MO法を用いることで比較的短時間に行える可能性があることがわかった。
また、従来のMO計算では2電子積分計算(Fock行列作成)の計算量に紛れて見えていなかった一般化固有値、固有ベクトルの計算時間が、分子サイズが大きくなると大きなウェイトを占めることがわかった。今回のLysozymeに対する計算では、無視できない計算時間を固有値、固有ベクトルの計算に費やしており、並列化効率の高いFMO計算、ならびにFock行列作成のためにより多くの計算機資源を使った場合には、さらに固有値、固有ベクトルの計算時間の割合が増加するはずである。したがって、高速なFMO-MO計算のためには、Fock行列作成の高速化のみならず、一般化固有値問題を高速に解く手法が求められており、櫻井―杉浦法の一層の改良を進めている。
溶媒分子の取り扱い方により、HOMO-LUMOの位置が大きく変わり、溶媒和の定量的の議論には十分な量の溶媒分子を考慮する必要があることが判った。より大規模な系の計算の必要性が増している。

本研究は独立行政法人科学技術振興機構(JST)が行う戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究領域「シミュレーション技術の革新と実用化基盤の構築」の 研究プロジェクト「グリッド技術を用いた大規模分子シミュレーションプログラムの開発」の支援による。また、すべての計算は独立行政法人産業技術総合研究所(AIST)のAIST super clusterを用いて行った。

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