高次元アルゴリズム(HA: Hamiltonian Algorithm)を用いたEnkephalinの立体構造の分子動力学的研究
− HAに現れるmixing 係数の効果 −

土屋 恭平, 寺前 裕之, 渡邊 寿雄, 石元 孝佳, 長嶋 雲兵


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1 はじめに

全ての生体内タンパク質は20種類のアミノ酸が基本単位となっており、それらのアミノ酸が結合した生体高分子である。これら生体内タンパク質は通常揺らぎを持って存在していることが知られており、そのタンパク質のフォールディング(折れ畳み)過程の解析は近年のタンパク質研究の重要課題の一つである。これは、タンパク質である酵素や受容体などの構造はその機能と密接な関係があるため、フォールディング過程を知ることができれば、従来よりも副作用の少ない又は副作用のない薬剤の開発や遺伝病の治療が可能になると期待されるためである。
現在行われているNMRやX-ray結晶構造解析等の実験的手法によるタンパク質の立体構造解析では、単離されたタンパク質の平均的な構造を観測している。そのため生体内におけるタンパク質のフォールディング過程や挙動を知ることは困難である。そこで、近年重要視されているのが計算化学的手法の一つである分子動力学(MD: Molecular Dynamics)シミュレーションである。これは、計算科学的手法を用いることにより、実験的手法では知ることが困難な生体内におけるタンパク質の挙動をシミュレートすることが可能になるためである。また理論的手法により、タンパク質の挙動の解析に掛かる時間を従来の実験的手法に比べて短縮することが可能となるため、より早く、かつコストの掛からないタンパク質の解析が可能となる。更に、実際には実験することが難しい状況下における生体分子の反応、架空の分子と生体内分子の相互作用などの解析を行えることも理論的手法が重要視される理由の一つである。
これらの理由からタンパク質の構造、物性、機能相関の理論的解析に広く用いられてきたMD法であるが、生体分子のフォールディング過程や立体構造の解析は非常に困難な問題として残っている。その理由の一つに、生体分子が持つ局所安定構造と最安定構造の探索の困難さが上げられる。これは、莫大な自由度を持つ生体分子には多くの局所安定構造が広範囲に渡って存在しているためである。また、従来のMD法では、それら局所安定構造の一つに捕捉される傾向があり、一旦局所安定構造に捕捉されると他の構造への遷移が難しい。そのことから、従来のMD法では最安定構造を探索することは困難となる。また、他の構造に遷移できないため、1,2次構造から3次構造へのフォールディング過程の解析も困難となる。
その困難を解決するために、効率の良い空間探索により、最安定構造への到達を強力に推し進めるアルゴリズムの開発が行われてきた。その一つである高次元アルゴリズム(HA法: Hamiltonian Algorithm)[1 - 3]は、一般的な最適化手法であり、局所安定構造に補足されやすいMD法を改善し、最安定構造を探索しやすくする手法である。既に量子力学的手法と組み合わせたHA-MD法が開発され、グリシンオリゴマーのa-ヘリックスからb-シートへの構造変化の解析に応用されている[4]。
そこで本研究では、古典力場とHA法を組み合わせたHA-MD法を用いて、生体分子の一つであるEnkephalin (Figure 1)の立体構造探索を行い、HA法の有効性とHA法に出てくるmixing係数の効果を調べた。


Figure 1. Molecular structure of Enkephalin. A, B, C and D are labels of peptide bonds.

Enkephalinは初め豚の脳から抽出された物質で、内因性のモルヒネ様物質と呼ばれる鎮痛、鎮静作用を持つタンパク質である。EnkephalinはJ. Hughes等により初めて単離されて以来、人間の脳、脳下垂体等の周辺機能組織に存在が確かめられている[5 - 7]。そして、頻繁にX線結晶構造解析[8]やNMR[9]、コンピュータシミュレーション[6, 10]により研究されてきた。Enkephalinは一般的にTYR-GLY-GLY-PHE-Xの配列を持っており、XはLEU又はMETである。今後C末端がLEUのEnkephalinをLeu-Enkephalin、METのEnkephalinをMet-Enkephalinと記述する。
Enkephalinの構造はb-Sheetを構成し易い硬いアミノ酸であるTYR、GLYと比較的螺旋構造を構成し易い柔軟なアミノ酸のPHE、LEU, METにより構成されている[11]。
Enkephalinの重要性の一つはその鎮痛作用にある。糖化グリコシル化したEnkephalin類似体は、糖化グリコシル化していないものに比べてはるかに優れた鎮痛作用を示す。そのため、Enkephalinを基にしたドラッグデザインによって従来よりも鎮痛作用の強い薬剤の研究が行われている[12]。

2 計算方法

HA法はShinjo等によって開発された手法で、このHA法は多くの解の候補から、ある評価値が最適である解を求めるといった最適化問題を解く手法の一つである[1 - 3]。多くの解の候補は一組の変数で表され、その変数に依存して評価値を定める関数が設定される。この関数は評価関数、目的関数、コスト関数等と呼ばれるが、本論文ではコスト関数に統一している。最適化問題の解は、このコスト関数の最大値、又は最小値である。
HA法では、コスト関数をポテンシャル関数とみなして式(1)のような力学系を構成する。ここで、T(p)は運動エネルギー、V(x)はコスト関数である。

この力学系を用いて運動させるとポテンシャル関数が最小の場所で、粒子の滞在確率が最大となる。しかし規則性のある運動の場合、コスト関数がある程度以下には減少しない。そこで、コスト関数がある程度以下に減少していく工夫として混合性を擬似的に導入することにより、不規則な運動を可能にする。
混合性の導入には、多くの場合、コスト関数は一意的に決まっている場合が多いので、運動エネルギーの項T(p)を以下のように変形する。

ここでbijは混合性を表す正値対称行列(mixing行列)である。

ここで、fiは原子iに働く力であり、エネルギー勾配法で計算できる。また、運動方程式の解はベルレ法を用いることで得ている。
Mixing行列bijを得るための一つの手法として、式(6)と(7)を用いている。

ここで、Iは単位行列、Aは非対角要素がランダムに与えられた対称行列、λは適当な定数とする。これに対してシュミットの直交化を行い、行列Cを得る。正定値対称行列Bは固有値eiを用いることにより得られる。

ここで、(1 - ei) の最大値がmixing係数である。
ベルレ法において時刻tの速度は(8)式で表される。

この速度と前の構造から(9)式より次の配座が求められる。

しかしながら、2番目の構造についてこの計算では求めることができないため、(10)式を用いて求める。

分子動力学計算にはKomeiji等により開発されたPEACH ver5.8[14]に高次元アルゴリズムを組み込み使用した。力場はPEACHに組み込まれているAmber力場を使用した。計算は300、500Kの温度一定で行い、mixing係数 0.0-0.15まで0.05刻みで計算を行った。時間刻みは0.2fsとし、計600psのシミュレーションを実行した。また初期構造は平面構造とし、並進、回転は止めて行った。

3 結果と考察

Enkephalinの構造解析は、ペプチド結合と側鎖の二面体角の解析に焦点を絞った。これによりHA法を用いた場合、より広い範囲の角度を取っているかを確認することが可能である。ペプチド結合は4つ存在しているので、Figure 1に示したようにN末端からそれぞれA-Dと置いた。以下A-Dの結合を軸とする二面体角をA-Dと略す。

3. 1 ペプチド結合の相関関係

最初にEnkephalinの各ペプチド結合の二面体角A-Dの角度分布を調べた。Figure 2 にLeu-Enkephalinの二面体角ABの出現頻度(ヒストグラム) を示した。ここでは、二面体角を5°間隔で取り、z軸に二面体角の出現回数を表している。なお二面体角は0-360°の範囲で表している。


Figure 2. Histogram of dihedral angles A and B.Initial temperature is 300K. (a): mixing coefficient = 0.0 (corresponding to conventional method), (b): mixing coefficient = 0.1

(a),(b)はそれぞれ計算の初期温度を300Kとした際のmixing係数が 0.0(従来法に対応)および 0.1の場合である。
300K におけるLeu-Enkephalinでは、従来法(mixing係数 0.0)に比べ、mixing係数 0.1では二面体角の出現回数の最大値が減少しており、逆に裾の部分が広がっている。またAの150°付近、Bの200°付近の分布が増加しており、mixing係数 0.1 は従来法(mixing係数 0.0)に比べ、より広い角度を探索していることを示している。
他のペプチド結合の組み合わせにおいても同様の結果が得られたが、条件を変えると逆に探索の幅が狭くなる結果も得られており、必ずしもmixing係数を増加することで探索の幅が広くなるわけではないことが分かった。
次に、従来法(mixing係数 0.0)とmixing係数を増加させた場合で二面体角にどの程度の差があるかを調べた。そこで、Figure 2の結果より従来法から各mixing係数の場合の数を引き、差が1000以上の場合を数えた結果をFigure 3に示す。
Figure 3(a)に示すLeu-Enkephalin の300KではAB、ACを除いてmixing係数を増加させることにより、差は増加する傾向が見られる。しかし、mixing係数 0.1の時は差が減少する傾向も見られる。そのことから、広範囲な探索のためには単純にmixing係数を増加させれば良いというわけではないことが分かる。500K (Figure 3(b))においては、全てのペプチド結合の差が増加していることが分かる。これは初期温度が高いことで構造が変化しやすく、mixingの効果が現れ易くなっているためである。


Figure 3. Appearance of large dihedral angle difference between the conventional method and HA where mixing coefficients are 0.05, 0.1, and 0.15, respectively. (a) Leu-Enkephalin 300K (b) Leu-Enkephalin 500K (c) Met-Enkephalin 300K (d) Met-Enkephalin 500K


Figure 4. Energy trajectory of Enkephalin. Initial temperature is 300K. (a): Leu-Enkephalin (b): Met-Enkephalin

Met-Enkephalinの300K (Figure 3(c))では、Leu-Enkephalinとは異なり、mixing係数を増加させることでmixing係数 0.0との差は減少している。500KではLeu-Enkephalinと同様に各ペプチド結合の差がmixing係数 0.0に比べて増加する傾向が見られた。これはLeu-Enkephalinと同様の理由によるものと考えられる。Leu-Enkephalinでは300Kで差が増加する傾向が見られたのに対し、Met-Enkephalinでは差が減少する傾向が見られたことから、Met-Enkephalinに比べてLeu-Enkephalinは定性的に構造変化をしやすいといえる。

3. 2 ポテンシャルエネルギー分布

次に各mixing係数においてポテンシャルエネルギーの時間変化の様子をFigure 4に示した。初期温度300K では、mixing係数を増加させることにより、Leu-Enkephalin、Met-Enkephalin共に従来法(mixing係数 0.0)に比べて概ね低いエネルギー値を多く取っていることがわかる。この結果を詳しく見てみると、Leu-Enkephalinにおいてはmixing係数を増加させることにより、より低いエネルギー値をとる事が示されている。また、mixing係数 0.0に比べ、mixing係数 0.1の場合はより広いエネルギー分布を示し、より多くの構造を探索していると考えられる。これは、広範囲な空間探査を行うというHA法の特長が現れている事を示している。また、Met-Enkephalinにおいて、mixing係数 0.0に比べてmixing係数 0.1ではより早い段階でエネルギーの安定化が見られ、Met-EnkephalinにおいてもHA法の効果が現れている。


Figure 5. Histogram of energy along trajectory of Enkephalin. (a) Leu-Enkephalin 300K, (b) Leu-Enkephalin 500K (c) Met-Enkephalin 300K (d) Met-Enkephalin 500K

Figure 5にエネルギートラジェクトリをエネルギーのヒストグラムで表したものを示した。Leu-Enkephalinの300Kではmixing係数を増加させることでより低いエネルギー値を多く取っている。また、mixing係数 0.1-0.15では出現回数の最大値が減少しており、より多くの角度を探索していることがわかる。500Kにおいてはmixing係数 0.0-0.1では変化が見られないが、mixing係数0.15まで増加させると低いエネルギー値を多く取り、出現回数の最大値は減少するようになった。これもエネルギートラジェクトリに見られるHA法の効果である。
Met-Enkephalinの300Kではmixing係数 0.15の場合を除いて、mixing係数を増加させるとmixing 0.0に比べてより低いエネルギー値を多く取っている。500Kにおいてはmixing係数 0.05-0.15の間の変化はあまり見られないが、mixing 0.0に比べてより低いエネルギー値を多く取っている。このことからもHA法の効果が現れていることがわかる。

4 結論

本研究では、HA法を組み込んだMD法を用いて生体分子の一つであるEnkephalinの立体構造を解析した。
Leu-Enkephalinではペプチド結合の二面体角が180°付近からあまり変化していないことがわかった。mixing係数を増加しても180°付近から大きく外れないことから、4つのペプチド結合は変化し難いといえる。今後はf/y角の回転に対する探索効果を解析する必要があるかもしれない。しかし、mixing係数を増加することにより、より広い角度を探索する効果が見られた。
Met-EnkephalinではLeu-Enkephalinと同様にペプチド結合の二面体角が180°付近からあまり変化していないことがわかった。二面体角の差は減少する傾向があることから、mixing係数を増加した効果は同様に得られた。
エネルギートラジェクトリでは二種類のEnkephalinでmixing係数を増加した効果が見られた。また、mixing係数 0.0に比べてより低いエネルギー側へシフトしていることから、HA法の効果が現れているといえる。しかしながら、Met-Enkephalinのmixing係数 0.15において、期待通りの結果が現れなかった。mixing係数の効果を概観するためには、より多くの計算結果を提示する必要があると思われる。また、本研究で使用したHAでは、mixingの与え方ではなく他の方法を考慮する必要があるかもしれない。
本研究の場合、HA法は従来法に比べより広範囲な構造探索に有効であるといえるが、まだ経験が少なく確定的な結論を導き出すことはできない。今後はmixing係数の運動に及ぼす効果をより明確に説明する必要性とともに、実際に広範囲で、かつ安定な空間探索が行われていることの確証を提示する必要がある。mixingの与え方をさらに改良することにより、将来更に効率よく構造探索が可能な計算手法が確立できると期待される。

参考文献

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http://staff.aist.go.jp/y-komeiji/peach/peach.html


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