DFT法による過酸化水素-金属イオン錯体の理論計算

江藤 功, 藤原 英夫, 秋吉 美也子, 松永 猛裕


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1 緒言

過酸化水素は有用な酸化剤であり,有機・無機化学プロセス,下水・工場廃水の処理,金属類の表面処理およびパルプや天然繊維の漂白等の様々な分野で使用されている.特に過酸化水素と2価の鉄イオンの組み合わせはフェントン試薬として有名であり,種々の有害な有機化合物を含んだ産業廃水の処理に広く用いられている.
過酸化水素は単体では安定である.しかし,不純物が混入すると直ちに分解され,熱と酸素ガスを発生する.発熱と放熱のバランスが崩れると,過酸化水素は予想外の急激な分解反応を引き起こし,熱爆発を生じる.これまでに,多くの事故事例が報告されている[1].
国内の事故例では次のようなものがある.1999年10月,過酸化水素水(濃度約28wt%,500L)を積載したタンクローリが,首都高速道路で突然爆発した.爆発の原因は,タンク内に残存していた塩化第二銅溶液が過酸化水素の分解を促進し,暴走反応を引き起こしたと推測されている.暴走反応とは,発熱と放熱の熱バランスがくずれ,発熱反応が制御できなくなることで,発火や爆発に至る危険性がある.
筆者らは種々の金属塩溶液を過酸化水素に添加して,過酸化水素を分解させ,そのときの温度挙動を測定した[2]. 首都高の事故で残存していた塩化第二銅溶液の濃度は不明であるが,過酸化水素を投入して爆発に至るまでの時間から,銅イオンの濃度は0.050〜0.100wt%付近であったと推測される.30wt%の過酸化水素に0.050wt%の金属塩化物(Fe2+,Fe3+,Cu2+,Ni2+およびK+)を添加すると,最高温度到達時間は,Fe3+(0.92min), Fe2+(1.25min), Cu2+(184.83min), Ni2+,K+(暴走せず)となった.これより金属イオンの反応性は,Fe3+,Fe2+ ≫ Cu2+ ≫ Ni2+,K+であった.
得られた反応性を実験的に解析するために,過酸化水素の分子振動の変化(混合溶液のラマン分光測定)や金属イオンクラスターの状態の計測(凍結X線回折)を試みた.しかし所有している分析機器による測定では,反応性を解釈できるような,溶液状態の計測はできなかった.そこで,金属イオンの反応性を分子レベルで解析するために,密度汎関数法(B3LYP)を用いて過酸化水素−金属イオン錯体について計算を行うこととした.
前述したように,Fenton試薬は,過酸化水素と2価の鉄イオンの酸化還元反応を利用している.これは,暴走反応となるような条件に比べて,過酸化水素濃度が低い条件で用いる.その触媒反応機構についてはWeissら[3]のラジカル説とKremerら[4]のFe3+HO2-中間体を経由するという説が議論されている.
計算化学においても,Fenton試薬の反応機構について研究が行われており,Barschら[5]は気相中の1価と2価の鉄イオンと過酸化水素によって形成される種々の錯体について最適化構造や相互作用エネルギーを計算している.3価の鉄イオンについては計算されていないが,Fe+については種々の遷移状態が紹介されている.Ensingら[6]は,2価と3価の鉄の水和錯イオンと過酸化水素によって形成される錯体について計算を行い,Fenton反応の反応機構を検討している.Ensingらによると,Fenton反応はヒドロキシルラジカルの発生は容易に進まず,フェリルオキソ錯体[FeIV(H2O)5O]2+を生成しやすいと報告している.いずれにしても産業的に良く用いられているFenton試薬についても,その反応機構は解明されていない.
一方,過酸化水素と鉄以外の遷移金属イオンについての計算を行った研究は現在のところ行われていない.遷移金属イオン以外では種々の錯体について計算が行われており,H2O2...water[7 - 9], H2O2...halogen compound[10, 11], H2O2...organic compound[12 - 17], H2O2...nitrogen[18], H2O2...(F-, Cl-, Br-, Li+, Na+)[19], H2O2...(NO+, CN-, HCN, HNC, CO)[20], およびH2O2...(He, Ne, Ar, N2)[21]等についての報告例がある.
本研究では,過酸化水素−金属イオン錯体の構造最適化と振動数計算を行った.得られた最適化構造や振動数解析結果をもとに,過酸化水素の周りに金属イオンが存在するときの,過酸化水素の構造の変化や,O-O結合強度の変化について検討を行った.

2 計算方法

計算はすべてGaussian03W[22]にて実行した.計算はすべてDFT法(B3LYP)にて行い,基底系は金属原子(M)に対してLANL2DZを,H, O原子にD95V,D95V+*,6-311+G*を用いた.以下,これをLANL2DZ(M)/D95V(O, H)基底系,LANL2DZ(M)/D95V+*(O, H)基底系,および,LANL2DZ(M)/6-311+G*(O, H)基底系と記す.
検討した金属イオン(Mn+)は,K+,Ni2+,Cu+,Cu2+,Fe2+およびFe3+である.金属イオンのスピン多重度はそれぞれ,K+(singlet),Ni2+(quintet),Cu+(singlet),Cu2+(doublet),Fe2+(quintet)およびFe3+(sextet)とした.過酸化水素は1重項で電荷0なので,すべての錯体の電荷とスピン多重度は金属イオンと同じになる.
計算した分子種は,過酸化水素-金属イオン1:1錯体[H2O2-Mn+],および過酸化水素-金属水和イオン錯体[M(H2O)m(H2O2)]n+である.過酸化水素と金属イオンの相互作用を考えるには,1:1錯体の最適化構造を求めることが最も簡単な方法である.また,水溶液中では金属イオンは水和している.従って,金属イオンに水を配位させた錯体モデルの方が,実際の溶液状態に近い.そこで,過酸化水素-金属水和イオン錯体についても計算を行った.
金属イオンの水和構造を計算する際に,配位数をいくつにするか決めなければならない.ここでは,経験的に知られている配位数[23]をもとにNi2+,Fe2+およびFe3+では6配位(正八面体型)とし,Cu2+は2(直線型),4(四角形型)となるため4配位を選択した.K+は4〜6配位で,Cu+の配位数は不明であった.このため,予備的にいくつかの水分子が配位したK+,Cu+の水和錯体を計算すると,K+では5配位以上で,Cu+では4配位以上で,金属イオンに直接配位していない水が存在する構造となった.そこでK+では4配位,Cu+では2配位と3配位の構造を検討した.

2. 1 構造最適化

遷移金属イオンを含む化学種の構造最適化は,遷移金属イオンの電子状態が複雑であるため,非常に困難である.もし初期構造が最適化構造とかけ離れていると,収束までに多数の計算ステップを要するので,まず,LANL2DZ(M)/D95V(O, H)にて最適化構造を求め,その構造を高い基底系の初期構造として計算した.
以下に構造最適化を収束させるために行った予備計算およびオプション指定について述べる.まず初期構造の候補を求めるために,Scanキーワードを指定しポテンシャルエネルギーの走査を行った.Scanでは,過酸化水素と金属イオンについて種々の構造で一連のシングルポイントエネルギー計算を行う.その計算結果から得られた全エネルギーについてエネルギーマップを作成し,最もエネルギーの低い構造を初期構造に指定した.
このような手順で初期構造を指定しても,遷移金属イオンを含む化学種では最適化構造までに多数の計算ステップを要する.Gaussianの構造最適化の計算ステップ数はデフォルトで20回なので,計算ステップ数を100回(MaxCycle=100) へと変更した.100回で収束できない計算については,最も最適化構造に近い構造から再計算(Restart)させた.
構造最適化の計算ステップで行われるSCF計算についてもオプションを指定した.まず二次収斂のSCF法を用いてSCF計算させるためにQCキーワードを指定した.計算回数は最高で1024回(MaxCycle=1024)まで計算できるように指定し,収斂条件を通常よりも厳しく(Tight)指定した.
その他に,すべての基底系の関数型にはカーテシアンの6成分のd関数(6D)を指定し,対称性を考慮させない(NoSymm)ように指定した.

2. 2 相互作用エネルギーおよびCounterpoise補正

過酸化水素,錯体の最適化構造およびMn+の全エネルギーをそれぞれ求め,以下のように過酸化水素と金属イオンとの相互作用エネルギーDEを求めた.
H2O2 + Mn+ → H2O2-Mn+
DE = EComplexEH2O2EMn+
H2O2 + [M(H2O)m]n+ → [M(H2O)m(H2O2)]n+
DE = EComplexEH2O2E[M(H2O)m]n+
相互作用エネルギーを求める際に,互いに相互作用した化学種の基底系によるエネルギー安定化効果を見積もり,その分を基底関数重なり誤差(Basis set superposition error (BSSE))として補正する必要がある.この補正を行うために,Counterpoise(CP)法によりBSSEを計算した.

2. 3 振動数計算

構造最適化により求めた構造について振動数計算を行った.得られた振動数から虚数振動数の有無を確認した.虚数振動数が一つ以上ある場合,その構造は最適化構造ではない.虚数振動数を持つ構造については再び構造最適化を行い,振動数について安定(vibrationally stable)であることを確認した.

2. 4 2次の力の定数

力の定数は化学結合の強度の指標である.Gaussian03Wでは,振動モードに沿った力の定数を求めることができる.しかしながら,多分子が配位したような錯体では振動モードを特定の結合と対応させるのは難しい.また,金属イオンと過酸化水素との相互作用はとても弱いため振動数計算で見積もることは困難である.そこで,金属原子と過酸化水素の酸素原子間,および過酸化水素の2つの酸素原子間の結合強度を求めるために,考えるべき2原子間ポテンシャルを調和振動子として近似し,以下の式により力の定数を求めた.

ここで,V(r)は原子間ポテンシャル,kは力の定数(mdyn/A),rは2原子間距離(A),reは最適化構造の2原子間距離(A)である.まず,最適化構造の全エネルギーE(reにおける全エネルギー)を求めた.次に,最適化構造のreに0.05Aだけ長くした距離をr1,0.05Aだけ短くした距離をr2として固定し,構造最適化を行って全エネルギーE1E2をそれぞれ求めた.式(1)を展開し,3点の全エネルギーから近似的に力の定数を求めた.
この際に,もし適切な最適化構造でなければ,力の定数が負の値となってしまう.そこで構造最適化が適切に収束しているか確認するために,さらに厳しい収束条件(Opt=Tight)にて構造最適化を行った.そのときの数値積分に用いた積分グリッドはpruned(99,590)グリッド(Integral=(Grid=UltraFine))とした.長さrに固定した構造の最適化についても,同じ条件(Opt=Tight, Integral=(Grid=UltraFine))とした.長さrの値はModRedundantキーワードを用いて固定させた.

3 結果と考察

3. 1 過酸化水素-金属イオン1:1錯体の最適化構造および分子間相互作用

1:1錯体では,K+,Cu+およびFe2+について最適化構造が得られた.一方,Ni2+,Cu2+およびFe3+については最適化構造が得られなかった.得られた過酸化水素-金属イオンの1:1錯体の最適化構造をFigure 1に示す.2面角のパラメータのとなりに,使用した基底系を示す.その他の特徴的な構造パラメータについても2面角と同じ順序で付記した.また全エネルギー,相互作用エネルギー,O-O結合の伸縮振動数をTables 1, - 3に,それぞれ示す.
過酸化水素単体の最適化構造パラメータについて,3つの基底系における計算結果と実測値(Potential minimumの値)[24]を比較した.実測との差が最も大きいのはLANL2DZ(M)/D95V(O, H)基底系である.LANL2DZはNe殻の有効殻ポテンシャル(Effective Core Potential(ECP))にsplit valence関数を加えた基底系であり,遷移金属の計算に適した数少ない基底系の内のひとつである.しかしながら,計算で得られたO-O結合距離はとても長い.過酸化水素の回転ポテンシャルは水素同士の反発と酸素原子上の孤立電子対同士の反発の結果,典型的なW型ポテンシャルになる.このため,実測の2面角sHOOHは113.7°という特異な値となる.この回転障壁は数kJ以下という小さなものであり,2面角の一致は基底系の質の尺度といえる.LANL2DZ(M)/D95V(O, H)基底系はこの点でも実測を十分に再現できていない.これはD95Vに分極関数が入っていないことが大きく影響している.D95V基底系はdouble zeta基底系,6-311G基底系はtriple split valence基底系という違いがあるが,計算結果にはあまり影響を与えていない.今回計算に用いた基底系よりも高級な基底系,例えば水素原子にも分極関数を加えたような基底系を用いたとしても,計算結果にあまり影響はないことが報告[25]されている.
Fe2+錯体についてはBarschら[5]がB3LYP/6-311+G*レベルで最適化構造を計算している.その文献値と比較すると,本研究の計算結果はよく一致している.これらの結果より,金属イオンに対しては遷移金属元素に適したLANL2DZ基底系を用い,水素および酸素原子についてはD95V+*と6-311+G*基底系のような高いレベルの計算を行うことが妥当と考えられる.LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)基底系とLANL2DZ(M)/6-311+G*(O, H)とでは,計算時間は後者の方が長時間を要した.
LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)基底系で計算したK+,Cu+およびFe2+錯体の構造について以下に述べる.過酸化水素の周りにカチオンが存在すると,O-H距離は伸び,∠OOHは広がった.また,今回計算に用いた金属原子のイオン半径[26]は,それぞれK+(1.42A),Ni2+(0.68A),Cu+(0.74A),Cu2+(0.71A),Fe2+(0.77A),Fe3+(0.63A)である.酸素原子のvan der Waals半径は1.52Aなので,イオン半径とvan der Waals半径の和(K+-O:2.94A,Cu+-O:2.14A,Fe2+-O:2.29A)と,最適化構造のM-O距離(rMO)を比較すると,K+,Cu+およびFe2+錯体ともにrMOのほうがわずかに短くなった.金属原子のイオン半径は,1:1錯体と配異数が異なるため,このような傾向となった.金属イオン種毎にM-O距離が異なる計算結果となったのは,イオン半径によるものであった.


Figure 1. Optimized structures of hydrogen peroxide and hydrogen peroxide-metal ion complexes

Table 1. Total energies of hydrogen peroxide and hydrogen peroxide-metal ion 1:1 complexes unit : Hartree
SpeciesLANL2DZ(M)/D95V (O, H)LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)LANL2DZ(M)/6-311+G* (O, H)
EECPEECPEECP
H2O2-151.54048278-151.58762534-151.58906484
H2O-76.41431754-76.44267367-76.44381059
H2O2-K+-179.54450036-179.54227451-179.58637731-179.58614096-179.59018704-179.58600818
H2O2-Cu+-347.48091000-347.43344045-347.47672740-347.47365159-347.48090994-347.47350519
H2O2-Fe2+-274.18652000-274.18153940-274.22366079-274.22083627-274.22580731-274.22054237
Total energies of metal ions (Basis set LANL2DZ) : K+ (-27.97062568), Ni2+ (-168.27855253), Cu+ (-195.82920173),Cu2+ (-195.06518856), Fe2+ (-122.48098596), Fe3+ (-121.29759608)

Table 2. Interaction energies between hydrogen peroxide and metal ion by Counterpoise correction unit : kJ/mol
SpeciesLANL2DZ(M)/D95V (O, H)LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)LANL2DZ(M)/6-311+G* (O, H)
DEDECPDECP -DEDEDECPDECP -DEDEDECPDECP -DE
H2O2-K+-87.7-81.85.9-73.8-73.20.6-80.1-69.111.0
H2O2-Cu+-292.0-167.4124.6-157.3-149.28.1-164.5-145.019.5
H2O2-Fe2+-433.3a-420.313.0-407.1a-399.77.4-408.9a-395.113.8
DE = E(H2O2-Mn+) - E(Mn+) - E(H2O2) , DECP = ECP (H2O2-Mn+) - ECP (Mn+) - ECP (H2O2)a: Reference [5] DE(H2O2-Fe2+) = 421.7kJ/mol (B3LYP/6-311+G*)

Table 3. Frequency of O-O bond unit : cm-1
Basis set
SpeciesLANL2DZ(M)/LANL2DZ(M)/LANL2DZ(M)/
D95V (O, H)D95V+* (O, H)6-311+G* (O, H)
H2O2905.2961.2941.1
H2O2-K+893.6 (-11.6)958.0 (-3.2)939.6 (-1.5)
H2O2-Cu+888.0 (-17.2)943.1 (-18.1)929.8 (-11.3)
H2O2-Fe2+858.7 (-46.5)925.2 (-36.0)908.9 (-32.2)

MullikenのPopulation解析によると,いずれも過酸化水素分子の電子が金属カチオン側に移動した.このため,カチオンの電荷の状態や過酸化水素と金属イオンの位置関係によって,2面角は90°に近づいた.
一般に結合距離は,距離が長くなれば結合が弱まり切れやすくなるので,結合強度の指標としてO-Oの結合距離を比較した.K+,Cu+,Fe2+錯体では,O-O距離はCu+,Fe2+錯体の方が,K+錯体よりも長くなった.Table 3の括弧には,O-O振動数の過酸化水素単体からの変化量を付記した.振動数は,値が増加すると結合強度が増して安定化し,値が低下すると不安定化する.Table 3に示されるようにO-Oの伸縮振動の振動数ではK+>Cu+>Fe2+の順で振動数が低くなった.相互作用エネルギーの比較でもK+<Cu+<Fe2+の順で安定化している(Table 2).BSSEの影響はLANL2DZ(M)/D95V(O, H)基底系のCu+錯体の場合で顕著であった.その他は大きくない.
Ni2+,Cu2+およびFe3+錯体については,いずれも最適化構造が得られなかった.これは過酸化水素から金属イオンへの電荷移動が大きく,2つの化学種が正電荷を帯びた状態,すなわち,[H2O2+q・M(n-q)+]のような状態になり,クーロン反発が生じるからである.例えば,H2O2-Fe3+錯体では,初期構造の電荷分布は[H2O2+,Fe2+]であった.Ni2+,Cu2+錯体についても同様の電荷移動が確認された.1:1錯体モデルは,過酸化水素と金属イオンの相互作用を考えるには最も単純なモデルであるが,価数の大きな金属イオンでは,電荷移動の影響により,構造最適化は困難である.実際の溶液では,金属イオンに対して大過剰の水と過酸化水素が存在しているため,このような過剰な電荷移動は起こらない.従って,これらの正電荷が大きい金属イオンに対しては,実際の溶液中の状態に近い,金属水和イオン錯体モデルについて計算が必要である.

3. 2 [M(H2O)m(H2O2)]n+錯体の最適化構造および分子間相互作用

LANL2DZ(M)/D95V(O, H)基底系,LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)基底系では,検討したすべての金属水和イオン錯体について,最適化構造が得られた.しかし,LANL2DZ(M)/6-311+G*(O, H)基底系では,[Ni(H2O)5]2+,[Cu(H2O)2(H2O2)]+,[Cu(H2O)3(H2O2)]2+,において,SCF計算が収束しなかった.LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)基底系で計算した過酸化水素-金属水和イオン錯体の最適化構造をFigure 2に示す.また,全エネルギー,および全エネルギーから求めた相互作用エネルギーをTable 4にまとめた. O-O結合の伸縮振動数をTable 5に示す.
3.1節で述べた,金属原子のイオン半径と酸素原子のvan der Waals半径の和(K+-O:2.94A,Ni2+-O:2.20A,Cu+-O:2.14A,Cu2+-O:2.23A,Fe2+-O:2.29A,Fe3+-O:2.15A)と,M-H2O2距離,M-H2O距離について比較した.また同様に水素原子と酸素原子のvan der Waals半径の和(2.72A)とH2O2-H2O距離についても比較した.
K+錯体では水が3分子配位した4配位構造が得られた.1:1錯体に比べて,M-O距離は伸びている.また,他の錯体に比べて水分子との分子間距離も長く,電荷移動もほとんど起こらない.このことは,K+が水や過酸化水素に対して強く相互作用しないことを示している.
Ni2+では6配位構造になった.配位している水や過酸化水素との分子間距離から考えると適度に相互作用しているといえる.
Cu+の水と過酸化水素が1分子ずつ配位した錯体についてはM-O距離が短く,1:1錯体として計算したものに近い.過酸化水素と強く相互作用している構造である.一方,水2分子と過酸化水素1分子が配位したCu+錯体についてはM-O距離は長く過酸化水素よりも水の方に相互作用が強い.4分子以上が配位したCu+錯体はCu+に過酸化水素が配位した最適化構造が得られなかった.Cu2+では4配位構造が得られた.M-O距離は短く,水とも強く相互作用している.
Fe2+およびFe3+錯体については期待された6配位構造が得られた.分子間距離も短く,強く相互作用している.Figure 2およびTable 4には,Ensingら[6]がDFT法で計算した結果を併記した.用いた基底系の違いによる小さな違いはあるが,最適化構造は良く一致している.

Table 4. Total energies of [M(H2O)m(H2O2)]n+ complexes and interaction energies between hydrogen peroxide and [M(H2O)m)]n+ by Counterpoise correction Basis set : LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)
SpeciesTotal energies / HartreeInteraction energies / kJ/mol
EECPDEDECPDECP - DE
[K(H2O)3(H2O2)]+-408.98496234-408.98279925-50.6-47.43.2
[Ni(H2O)5(H2O2)]2+-702.66305034-702.64240458-127.9-69.958.0
[Cu(H2O)(H2O2)]+-423.98655717-423.97971792-156.1-146.89.2
[Cu(H2O)2(H2O2)]+-500.46364180-500.45346750-71.6-65.16.5
[Fe(H2O)5(H2O2)]2+-656.81675114-656.79560811-108.6a-100.28.4
[Cu(H2O)3(H2O2)]2+-576.47611656-576.46453094-191.5-184.86.7
[Fe(H2O)5(H2O2)]3+-656.18598969-656.16544903-213.5a-200.113.3
[K(H2O)3]+-257.37808098-257.37711815-208.6-206.02.5
[Ni(H2O)5]2+-551.02669211-551.02813749-1404.0-1407.8-3.8
[Cu(H2O)]+-272.33948935-272.33616715-177.5-168.88.7
[Cu(H2O)2]+-348.84873993-348.84105198-352.3-332.120.2
[Fe(H2O)5]2+-505.18776632-505.16982261-1295.5-1248.347.1
[Cu(H2O)3]2+-424.81556864-424.80652184-1108.9-1085.223.8
[Fe(H2O)5]3+-504.51706358-504.50160517-2641.5-2600.940.6
DE = E([M(H2O)m(H2O2)]n+) - E([M(H2O)m]n+) - E(H2O2) , DE = E([M(H2O)m]n+) - E(Mn+) - mE(H2O)DECP = ECP ([M(H2O)m(H2O2)]n+) - ECP ([M(H2O)m]n+) - ECP (H2O2) , DECP = ECP ([M(H2O)m]n+) - ECP (Mn+) - mECP (H2O)a: Reference [6] DE([Fe(H2O)5(H2O2)]2+) = 95.4kJ/mol,DE([Fe(H2O)5(H2O2)]3+) = 194.1kJ/mol


Figure 2. Optimized structures of [M(H2O)m(H2O2)]n+ complexes Basis set : LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H

Table 5. Frequency of O-O bond [M(H2O)m(H2O2)]n+ complexes. Basis set : LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H)
Speciesn (O-O) / cm-1
H2O2961.2
[K(H2O)3(H2O2)]+967.1 (5.9)
[Ni(H2O)5(H2O2)]2+967.7 (6.5)
[Cu(H2O)(H2O2)]+941.7 (-19.5)
[Cu(H2O)2(H2O2)]+960.1 (-1.1)
[Fe(H2O)5(H2O2)]2+960.6 (-0.6)
[Cu(H2O)3(H2O2)]2+958.0 (-3.2)
[Fe(H2O)5(H2O2)]3+950.4 (-10.8)
( ) ... Difference from hydrogen peroxide

Table 6. Force constants of Metal-O bond or O-O bond. Basis set : LANL2DZ(M)/D95V+* (O, H).
SpeciesForce constants (O-O) / cm-1
kMOkOO
H2O24.656
[K(H2O)3(H2O2)]+0.0754.392 (-0.264)
[Ni(H2O)5(H2O2)]2+0.6384.388 (-0.268)
[Cu(H2O)(H2O2)]+1.1974.096 (-0.560)
[Cu(H2O)2(H2O2)]+0.0374.329 (-0.327)
[Fe(H2O)5(H2O2)]2+0.3744.329 (-0.327)
[Cu(H2O)3(H2O2)]2+0.7564.276 (-0.380)
[Fe(H2O)5(H2O2)]3+0.6594.200 (-0.456)
( ) ...Difference from hydrogen peroxide

各錯体に配位している水分子と過酸化水素の水素結合について検討すると,Cu+(2配位)以外の錯体のH2O2-H2O距離は,水素原子と酸素原子のvan der Waals半径の和(2.72A)よりも短いものがあった.これらの錯体では,水素結合の影響がある.
Ni2+,Cu2+,Fe3+錯体中の金属原子の電荷分布は,それぞれNi(0.410),Cu(0.733),Fe(0.292)であった.金属水和イオン錯体の最適化構造が得られたのは,1:1錯体の場合とは異なり,金属イオン上の電荷が適度に水分子に分散したためと考えられる.
過酸化水素-金属イオン錯体の相互作用エネルギーは,50〜200kJ/molとなった.(Table 4).1:1錯体と異なり,過酸化水素と金属イオンの相互作用だけでなく,水分子と過酸化水素との水素結合も影響する.そのため,イオン種毎の相互作用エネルギーの比較は難しい.また,2種類の配位数で計算した,Cu+錯体のエネルギーは大きく異なっており,配位数によって金属イオンの電荷が変化するため,金属イオンの水和による安定化の影響も考えられる.
Table 5より,過酸化水素のO-O振動数について金属イオン毎の変化量を比較すると,K+,Ni2+錯体中のO-O振動数は増加し,安定となった.一方,Cu+,Cu2+,Fe2+,Fe3+錯体では,振動数は減少して不安定となった.また結合強度の指標の一つであるO-O距離を比較したが,同じ傾向とはならず,むしろ逆にO-O結合が短くなる傾向を示した.

3. 3 過酸化水素と金属水和イオンの相互作用

過酸化水素-金属水和イオン錯体では,O-O結合強度を示すO-O振動数とO-O距離の傾向が異なる結果となった.そこで,M-O結合およびO-O結合の力の定数を求めて金属イオンと過酸化水素との相互作用について検討した.その結果をTable 6にまとめた.
K+,Cu+(3配位)以外の錯体において,kMOは相互作用としては大きな値であった.イオン種の違いによる傾向は,相互作用エネルギーと類似しており,電荷分布や水素結合,および配位数が大きく影響している.
過酸化水素の周りに金属水和イオンが存在すると,kOOは低くなった.イオン種で比較すると,K+,Ni2+錯体によりもCu+,Cu2+,Fe2+およびFe3+錯体の方が,kOOは低くなり,O-O結合強度が弱められていた.

4 結論

本研究では,金属塩添加時の過酸化水素の暴走反応について,分子レベルでの解釈を試みることを目的として,過酸化水素と金属イオンの錯体について量子化学計算を行った.計算はすべてDFT法(B3LYP)にて行い,基底系は金属原子に対してLANL2DZを,H, O原子にD95V,D95V+*,6-311+G*を用いた.過酸化水素と金属イオン(K+,Ni2+,Cu+,Cu2+,Fe2+,Fe3+)の1:1錯体について最適化構造を探索した結果,K+,Cu+,Fe2+錯体については最適化構造が得られたが,Ni2+,Cu2+,Fe3+錯体ではクーロン反発により最適化構造が得られなかった.水分子を加えた多分子錯体では金属原子の正電荷が水分子に適度に分散するため最適化構造を探索できた.過酸化水素と金属水和イオンの相互作用は,錯体の電荷分布や水素結合,および配位状態によって変化した.

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