分子動力学/自由エネルギー計算によるF-ATPase 触媒部位への基質結合親和性の算出

末永 敦, 梅津 倫, 安藤 格士, 山登 一郎, 村田 武士, 泰地 真弘人


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1 序

生体内のエネルギー通貨とも呼ばれるATP は, その大部分が膜タンパク質であるATP 合成酵素により作られる. ATP 合成酵素は, 真核生物ではミトコンドリア内膜, 原核生物では細胞膜にそれぞれ位置し, 呼吸鎖の酸化的リン酸化過程で作られたH+濃度勾配を利用してADP とPiからATP 合成を行う. 膜外突出部位F1 は触媒反応を担い, H+の輸送は膜内在部位Fo で行われる [1, 2](Figure 1). 膜外突出部位F1 のサブユニット構成はa3b3gde であり [3], ATP 合成活性だけでなく加水分解活性も持つことから, F1-ATPase と呼ばれている. 加水分解活性を持つ最小単位はa3b3g であり, 棒状のg サブユニットを中心にa, b サブユニットが交互に3 つずつ並んだ構造をとっている [4] (Figure 2). さらにそのX 線結晶構造解析から, 触媒を担う3 つのb サブユニットは, ATP のアナログAMP-PNP を結合したATP 結合型bTP, ADP 結合型bDP, 何も結合していない空のbE と, それぞれが異なる構造を取ることが分かっている [4].


Figure 1. Schematic representation of F-ATPase. a3b3g is the catalytic unit of ATP hydrolysis. F1 part consists of a3b3gde and F0 part of a, b2, and c. H+ is transported through channel in a subunit and the interface between a and c. Red circles on c subunits represent H+ binding sites on c. The positive charge on a is important for the transport activity.


Figure 2. Three dimensional structure of F1-ATPase. The model was constructed based on the structure determined [4]. a-, b-, and g-subunits are represented by ribbon model in pink, gray, and blue, respectively. ATP and ADP are represented by green and yellow spheres. bTP represents ATP bound form and bDP represents ADP bound form.

F1-ATPase の触媒反応についてBoyer らのグループは,基質親和性の異なる3 つの触媒部位が存在することを見出し, binding change mechanism と呼ばれる反応機構を提唱した [5]. これは, 基質親和性の異なる3 つのb サブユニットが交互に反応に参加し, 後から結合した基質が隣接した触媒部位に先に結合していた基質の反応を促すように働くというものである. さらにBoyer らは, 3 つのbサブユニットが平等に役割を交替するために, 1 つずつしかないd, g, e は酵素複合体中で回転するという回転触媒説を提唱した[6]. その後, 吉田らのグループにより, 加水分解反応に伴うg サブユニットの回転が一分子観察により接確認され, この仮説が実証された [7]. 吉田らの実験において, g サブユニットは細胞質側から見て反時計周りに回転し, この回転方向は結晶構造から考えられる方向と一致していた. 以上の事実から, 加水分解反応において, ATP の結合・加水分解・加水分解産物の放出に伴い3 つのb サブユニットの構造が, 結晶構造中で見られた構造へと交互に変化し, それによってg サブユニットの回転が引き起こされると考えられている. またこの過程におけるエネルギー効率はほぼ100%であることが分かっており [8], そのエネルギー変換機構や力学的な共役機構に興味が集まっている.
さらに吉田らは一分子観察を続け, ATP 低濃度の条件下でg サブユニットの回転は120°単位で止まることを確認した(120°dwell) [9]. これはb サブユニットの数と一致している(360°/3 = 120°). ATP 濃度上昇に伴いdwell の時間が短くなることから, 120°dwell はATP 結合待ちの時間であり, 結合により回転のエネルギーが生じるものと考えられている. さらに120°dwell は80°, 40°の単位に分かれ [10], 80°dwell は加水分解待ち, あるいは加水分解産物であるPi の放出を待つ時間であると考えられている[11, 12].
現在考えられる加水分解モデルをFigure 3 に示した [12 - 14]. まず空のbE にATP が結合し, bTP への構造変化と共にg サブユニットが120°回転する. さらに加水分解を生じて80°の回転が起こり, 次にPi が放出され, 40°の回転と共にbDP へと構造が変化する. 最後に120°の回転とbE への構造変化により, ADP が放出される. または, 二度目の120°回転で加水分解が生じ, その後Pi の放出に伴って80°の回転が起こり, 最後に40°の回転でbE に戻るとされる. これらの反応が, 120°単位で3 つのb サブユニットにおいて並行して進行する.


Figure 3. Model of hydrolysis process by F1-ATPase. (1) The conformational change of b-subunit is induced by ATP binding, and g-subunit rotates 120°. By ATP binding and conformational change of the b-subunit from bE to bTP structure, energy for the rotation is generated. (2) After the rotation, hydrolysis of ATP proceeds. The g-subunit rotates 80°. (3) Accompanying with the release of Pi, the rotation of g-subunit is promoted and b-subunit takes structure of bDP. (4) The g-subunit rotates 120°, and ADP is released.

このように触媒反応と構造変化, 回転が密接に関連して機能するF1-ATPase であるが, これらが熱力学的に, あるいは構造学的にどのようにして共役しているのかは未知な部分が多い. この共役機構を解明するためには, 以下の2 つの疑問を解く必要がある.
(1) Binding change mechanism の「基質親和性の異なる3状態」は, 結晶構造中で見られたどのb サブユニットの構造に該当するのか?
F1-ATPase の加水分解反応において, ATP 加水分解のエネルギーはほぼ100%の効率でg サブユニットの回転エネルギーに変換されることが知られている[8]. これは, 「bサブユニットにおける基質親和性の変化は, 構造変化のエネルギーに対応し, 構造変化のエネルギーは回転のエネルギーへと1:1 で変換される」ことを意味する. 従って,各構造の異なる基質親和性を見積もることで, その自由エネルギー差からどれだけのエネルギーが変換されるのかを議論することが可能となる. 現在, bTP, bDP, bE のATP に対する親和性が実験的に得られており, それぞれ-12.41 kcal/mol, -8.31 kcal/mol, -6.25 kcal/mol である[15, 16]. しかし, ADP に関して-9.95 kcal/mol, -6.19kcal/mol, -6.19 kcal/mol の3 つの基質親和性が得られているものの [15], これらがどの構造に相当するかは実証されていない.
(2) 基質変化−b サブユニットの構造変化−g サブユニットの回転は, どのような分子機構で共役するのか?
触媒反応とg サブユニットの回転を結びつけるのは,基質の変化に伴うb サブユニットの構造変化である. 構造学的にこれらがどのように共役しているかを知るには, 原子レベルかつリアルタイムな観察が必要であるため, 実験による解明は困難である.
本研究では分子動力学/自由エネルギー計算により以上 2 つの疑問を検証した. (1)の疑問について, 過去にYangらによってb サブユニットの各構造におけるATP とADP+Pi の親和性の差を見積もる自由エネルギー計算がなされた [17]. しかし, bDP ではADP 結合状態であるとするモデルも提案されている (Figure 3) [12]. そこで今回, b サブユニットの各構造におけるADP の親和性を見積もった. また(2)の疑問に関して, 実験的に実証することが難しいことから, これまでに分子動力学法による解析が盛んに行われてきた [18 - 22]. しかし, 基質の変化に伴うb サブユニットのどのような構造変化がg サブユニットの回転を引き起すかという分子機構は, 未だに明らかになっていない. そこで今回, 基質変化の自由エネルギー計算に伴う構造変化を観察し, その分子機構を検証した.

2 方法

2. 1 初期構造

初期構造にはAbrahams らによるX 線結晶構造解析で得られたウシ心筋ミトコンドリアF1-ATPase a3b3g 複合体(PDBID:1BMF)を用いた [4]. この構造は120°dwell に相当する構造と考えられ, 3 つのb サブユニットはAMP-PNP を結合したATP 結合型, ADP 結合型, 空の構造を取る(Figure 2). AMP-PNP のg 位とb 位をつなぐN原子をO 原子へと置き換え, ATP とした. 立体構造からATP+Mg2+, ADP+Mg2+を抜き出し, TIP3P 水分子モデルを, 基質を中心に球状に発生させ(直径30A), ATP+Mg2+の系では総電荷-1, ADP+Mg2+の系では電荷0 となるように生理食塩水濃度(0.9%)に対応する量のNa+, Cl-イオンを7~8 個ずつランダムに配置した. これらを基質−溶媒の系とした(Figure 4A). タンパク質複合体の系は, bTP, bDPとそれぞれと隣り合うa サブユニット複合体を抜き出してa1b1 とし, b サブユニットの基質を中心にTIP3P 水分子モデルを球状に発生させた(直径35A). ATP を結合したbTP においては系の電荷が-1, ADP を結合したbDP においては総電荷が0 となるように, Na+を約30 個、Cl-13 個を荷電性アミノ酸側鎖の近傍に配置した. これらをそれぞれ複合体の初期構造とした(Figure 4B). 以上の初期構造は分子動力学計算用プログラムパッケージ, 「Amber ver.8」のLEaP モジュールにて作成した [23].


Figure 4. The initial structures for the simulations. A: The system of ligand-solvent. Water molecules are shown by sticks. The ligand (ATP in this figure) is represented by green spheres. B: Protein-solvent system. a- and b-subunits are colored in pink and gray, respectively. ADP and ATP are shown by green and yellow spheres, respectively. C: The structures of ligand molecules. C (Cyan), N (blue), H (white), O (red), S (yellow), Mg2+ (green) and dummy atoms (gray).

2. 2 分子動力学シミュレーション

複合体において, 基質から35A 以上離れた各原子を50 kcal/mol/A2, 30~35A に位置する原子を10 kcal/mol/A2, 真空との境界面に位置する水分子については蒸発を防ぐため1.5 kcal/mol/A2の調和振動子型ポテンシャルで束縛してシミュレーションを行った. H 原子を含む共有結合をSHAKE アルゴリズムにて固定し, 力場にはAmber parm99 を使用した[24, 25]. 2,000 ステップのエネルギー極小化計算を, カットオフ半径を12A としてIBM HS21クラスターシステムにて行った. これまでに行われた自由エネルギー計算において、本方法のように球状の水分子を用いた孤立系で精度良く自由エネルギー差を求める場合, 静電相互作用のような長距離相互作用を厳密に考慮する必要があることが示されている [26]. そこで本研究では,静電相互作用の計算はMD-GRAPE3 システム [27]を用いてカットオフ無しで高速かつ精密に行なった. また, vdW ポテンシャル関数にはSoft core ポテンシャルを用いた[28]. タイムステップを1 フェムト秒とし, 0 K から300 K まで20 ピコ秒かけて昇温した後, 300 K の定温条件下で200 ピコ秒の平衡化を行った.

2. 3 自由エネルギー計算

本研究では, 以下の熱力学サイクルを設定した.

DG3 は, F1 と基質が相互作用しない, つまり基質−溶媒における基質変化の自由エネルギー差である. 対してDG4 は, F1−基質複合体中における基質変化の自由エネルギー差である. 自由エネルギー計算によりDG3, DG4を求めることで, DDG(=DG3-DG4)を得て, 既に知られているATP に対する親和性(DG2)を基に, 以下の式からADPに対する親和性(DG1)を見積もることができる.

熱力学サイクル(1)のDG3, DG4を求める自由エネルギー計算には, 熱力学積分法(Thermodynamic Integration:TI)を用いた [29].
TI において, 状態X とY を考えたとき, カップリング定数l を用いてX をl=0, Y をl=1 と定義すると, この2状態間の自由エネルギー差は以下の式により求められる.

V はポテンシャルエネルギー, <>l は各l におけるアンサンブル平均を表す. ここでポテンシャルエネルギーV(l)は

と表される. V0 は状態X におけるポテンシャルエネルギー, V1 は状態Y でのポテンシャルエネルギーである. 計算機シミュレーションにおいては, (3)式の積分を数値的に解かなければならないが, Gauss 求積法から

によりDG を求めることができる. n は, 設定する中間状態li の数を, wi は各li に対応した重みを示す.
自由エネルギー計算において, bTP では基質をATP®ADP, bDP ではADP®ATP と変化させ, その自由エネルギー差を求めた. TI により基質を変換する際に, 原子の発生・消滅が起こる. 計算機シミュレーションにおいてこれらを直接再現することはできない. そこで, ADPにおいて電荷, van der Waals (vdW)パラメータを持たず,他の分子と相互作用しない架空の原子(ダミー原子)を設定することで, 原子が存在しない状態を再現した(Figure 4C). vdW 相互作用が生じない状態で部分電荷を発生させると, エネルギーが発散してしまった. そこで, vdW パラメータの変化と部分電荷の変化を二段階に分割して再計算したところ, 安定に計算が行われた. そこで, 本研究ではADP®ATP において, まずダミー原子のvdWパラメータをATP のものへと変化させ, 続いて部分電荷をATP のものへと変化させた. 事前に行った計算では, vdW 半径の変化において, 原子が発生・消滅する瞬間のV/l は大きく揺らぎ, 誤差の原因となった. そこでvdW半径の変化では, l を20 分割し, 直線的にV/l が得られる部分電荷の変化についてはl を7 分割した. 積分点liは, ルシャンドル多項式を解くことで求められ, そのliに対応した重みwi は, 以下の式によって求められる[30].

使用したn, wi の組み合わせをTable 1 に示した. また,各l において平衡化・サンプリング時間を4 セット用意し(Table 2), それぞれのセットで数回ずつの計算を実行した.

Table 1. Combination of li and wi.
n = 20n = 7
liwiliwi
0.003440.008810.025450.06474
0.018010.020300.129230.13985
0.043880.031340.297080.19092
0.080440.041640.500000.20898
0.126830.050970.702920.19092
0.181970.059100.870770.13985
0.244570.065840.974550.06474
0.313150.07105
0.386110.07459
0.461740.07638
0.538260.07638
0.613890.07459
0.686850.07105
0.755430.06584
0.818030.05910
0.873170.05097
0.919560.04164
0.956120.03134
0.981990.02030
0.996560.00881

Table 2. Simulation time
Equilibration10 ps100 ps100 ps100 ps
Sampling50 ps200 ps250 ps500 ps
Total3.44 ns16.4 ns19.1 ns32.6 ns
Total time includes equilibration and TI (Forward, Reverse). ps indicates picosecond and ns means nanosecond.

例えば, ADP®ATP のシミュレーションにおいて, ADPからATP への変化を前進(Forward)シミュレーションとすると, 本研究では後退(Reverse)シミュレーションも行った. つまり, ADP®ATP(Forward)とした後に, ATP の状態で200 ピコ秒の平衡化シミュレーションを行い, 次いでATP®ADP へと戻す逆過程(Reverse)を計算した.
以上の計算は, Amber ver. 8 プログラムパッケージのsander モジュールにて行った. 本研究の計算過程を, Figure 5 に示した.


Figure 5. Process of our calculations. Step for the free energy calculation is shown in the blue box.

3 結果と考察

3. 1 F1 とADP の結合親和性予測

自由エネルギー計算の結果をTable 3 に示した. 各シミュレーションにおけるDG の平均値を見ると, 基質−溶媒の系ではForward, Reverse のDG の絶対値に差が見られないのに対し, 複合体の系ではその差が大きかった. 本来それらは, 逆過程の自由エネルギー差であるため, 絶対値は等しくなるはずである. シミュレーション時間を長くすることによりその差が縮まった. つまり, シミュレーション中で系が平衡化しきれていないことが, Forward とReverse の差を生じさせる原因であると考えられた. これまでに, 遅い時間スケールで起こるタンパク質の構造変化, あるいはタンパク質近傍のイオンの再配置がDG の誤差になるという報告がなされており [31, 32], 本研究でも同様の理由により誤差が生じていることが自由エネルギー差の成分分析より確認できた(Table 4). しかし, Jarzynski の等式 [33]

Table 3. Summary of results of free energy calculations
50 ps250 psAveErr
ADP(6)(4)
F-205.1-206.7-206.2
ATPR211.3205.8207.6
Ave-208.2-206.3-206.90.8
50 ps250 ps500 psAveErr
ATP(8)(5)(2)
F210.2207.0208.9208.7
ADPR-205.8-207.7-205.2-206.2
Ave208.0207.3207.1207.50.2
bDP50 ps200 ps500 psAveErr
ADP(3)(2)(1)
F-191.0-195.4-199.6-193.9
ATPR217.9214.9214.8216.4
Ave-204.5-205.1-207.2-205.10.3
bTP50 ps250 ps500 psAveErr
ATP(3)(2)(1)
F232.4220.3220.2226.5
ADPR-193.7-197.5-206.0-197.4
Ave213.1208.9213.1211.91.0
The numbers in the parentheses are numbers of trials. F, R, Ave and Err mean forward, reverse, averaged value and error, respectively. The unit is kcal/mol.

Table 4. Differences of the free energy components obtained from forward and reverse simulations.
50 ps250 ps
bDPProtein11.07.4
Mg2+14.414.4
Water0.30.8
Counter ion1.20.6
bTPProtein26.517.2
Mg2+11.96.7
Water0.10.2
Counter ion0.90.2
Numbers written in bold letters indicate that they are greatly dependent on the simulation time. The unit is kcal/mol.


から, 非平衡系においても, Forward とReverse の平均値はDG を精度良く表すことが理論的に説明されており, また複数回のシミュレーションを繰り返すことでDG の誤差は素早く0 へ収束することが示されている [34] (式(7)において, b は1/kbT, W は仕事, バーは平均を示す). これらの理論的考察から, 今回の計算ではTable 3 中の青色で示したDG が, より正しい値に近いと考えた.

Table 5. Results of free energy calculations -DDG
DDGStandard deviation
bDP1.770.86
bTP4.450.98
All values are estimated from thermodynamic cycle (1), DG(complex)-DG(ligand-solvent). The unit is kcal/mol.

得られた結果より, bTP, bDP におけるDDG を求めた(Table 5). この値から, bDP 構造はATP よりもADP を1.77±0.86 kcal/mol 相当結合し易く, bTP 構造はADP よりもATP を 4.45±0.98 kcal/mol 相当結合し易いことが分かった. 得られたDDG を基に, (2)式よりADP に対する結合自由エネルギーを求めると, その値はbDP 構造では -10.08 kcal/mol, bTP 構造では -7.96 kcal/mol と見積もられた(Table 6). 実験により得られているADP 結合親和性 -9.95 kcal/mol, -6.19 kcal/mol, -6.19 kcal/mol のうち, 最も高い結合自由エネルギーがbDP構造の値と対応した. この結果から, bDP 構造はADP を最も結合し易い構造であることが分かった.

Table 6. ADP binding affinities of various b-subunit structures
bTPbDPbE
ATP (exp)-12.41-8.31-6.25
ADP (calc)-7.96-10.08
The experimental binding affinities of ATP are referred from [15]. The unit is kcal/mol.

3. 2 ATP 加水分解反応における基質結合親和性の自由エネルギープロファイル

得られた計算値と既に知られている実験事実から, F1-ATPase の加水分解反応(Figure 3)における基質結合親和性の自由エネルギープロファイルを作成した(Figure 6). まず0°においてbE 構造にATP が結合し, その結合自由エネルギーは -6.25 kcal/mol である [15]. 続いて, bTP 構造への変化により, ATP 結合親和性は -12.41 kcal/mol へと -6.16 kcal/mol だけ変化する [15]. このとき, g サブユニットの回転角度は120°である. 続いて加水分解反応が起こり, 80°の回転の後にPi の放出が起こるが, 本研究では「Pi の放出はbDP で起こる」と仮定した. bDP:ATP の自由エネルギーは, Table 6 より-8.31 kcal/mol [15]であり, Yang らの計算(参考文献12 のTable 1)からbDP の状態でのATP+H2O®ADP+Pi の変化の計算値-9.2 kcal/mol を利用すると, bDP:ADP:Pi は-8.31-9.2=-17.51 kcal/mol となるが, Yang らの使用しているATP の加水分解の標準自由エネルギー-10.8 kcal/mol をFigure 6 で使用している-7.3 kcal/molで換算しなおすと, -17.51+10.8-7.3=-14.01 kcal/mol と計算される. すると, bTP:ATP との差は, 1.60 kcal/mol となる. 続いて, Pi の放出を伴って, g サブユニットは240°まで回転する. このとき, bDP 構造におけるADP に対する結合親和性は, 計算値から -10.08 kcal/mol であるため, 自由エネルギーは -10.08-7.3 = -17.38 kcal/mol となる. bDP:ADP:Pi との差を取ると, -3.37 kcal/mol である. このPi の放出の自由エネルギー差は, 実験により見積もられた加水分解時のPi に対する高親和性には対応せず, むしろATP 合成反応におけるPi 結合の自由エネルギーの見積もり, 約3 kcal/mol に対応する [12]. このbDP:ADPは, 加水分解時のADP 阻害に関わる構造なのかもしれない. ここで, bDP:ADP の代わりに, bDP:ADP:Pi と考えることもできる (Figure 6, 点線). この場合, Pi 放出は240°回転の後の80°回転で起こることになり, 加水分解時にはbDP:ADP は関与していない可能性がある. g サブユニットは360°= 0°まで回転し, bE への構造変化に伴いADP 結合親和性は -6.19-7.3 = -13.49 kcal/mol となる. 次いで, ADPが溶媒中へ放出されることで, bE のADP 結合親和性だけ自由エネルギー差が生じ, 最後に自由エネルギーはATP加水分解標準エネルギーと同等な -7.3 kcal/mol となる.


Figure 6. The free energy profile of F1-ATPase hydrolysis focused on a b-subunit. The free energy differences (DGs) obtained from experiments are indicated by purple arrows. The DG predicted by combination of experimental and our computational values is shown by red arrow. The DGs estimated indirectly from our calculation are shown by green arrows. The DG estimated from result of Yang et al. (Table 1 in ref. 12) is shown by black arrow. The alternative profile in which the structure at 240° rotation is bDP:ADP:Pi instead of bDP:ADP is shown by broken lines. The unit is kcal/mol.

F1-ATPase において, 加水分解エネルギーは, 効率100%でg サブユニットの回転エネルギーへと変換される[8]. 従って, b サブユニットの構造変化のエネルギーは, 基質の結合や変化, 解離のエネルギーに1:1 で対応し, さらにそのエネルギーは, g サブユニットの回転エネルギーへと1:1 で変換されると考えられる. すなわち, Figure 6 で描いた基質親和性の自由エネルギープロファイルは, g サブユニットの回転エネルギーに対応すると考えられる.
以上の結果, この自由エネルギープロファイルにより加水分解モデルを熱力学的に上手く説明できると考えられる.

3. 3 加水分解反応に伴うb サブユニットの構造変化

加水分解反応と, b サブユニットの構造変化の共役機構を調べるために, 始めに, 結晶構造中のbDP, bTP 間のアミノ酸残基毎の構造の差異(positional displacement, PD)を調べた(Figure 7). PD は以下の式で求められる, 2 つの構造を最小二乗法で重ね合わせたのちの各アミノ酸間のずれを示す物理量である.


Figure 7. The positional displacement of residues between bTP and bDP X-ray structures. The Ca was considered as the residue. The DELSEED (yellow ribbon in the structural model) and Phe418~Gly426 (purple ribbon in the structural model) regions are highlighted by orange and green circles, respectively. In the structural model, bTP, g-subunit and ligand (ATP, red spheres) are shown.


ここで, ri, Ri は各構造のアミノ酸i のCa原子の座標である. 最もPD の大きい残基は, DELSEED (Asp-Glu-Leu-Ser-Glu-Glu-Asp)と呼ばれる部位であった. DELSEED は, g サブユニットの回転とb サブユニットの構造変化を結び付ける配列であると考えられている [35]. また, DELSEED 近傍にあり基質のアデニン部位と密接するPhe418~Gly426 も, 特にPD の大きい部位であった.
続いて, シミュレーション中の各残基毎の揺らぎ(root mean square fluctuation, RMSF)をFigure 8 に示した. 残基 j におけるRMSF は,


Figure 8. The residual RMSF of bTP. The region of Phe418~Gly426 is highlighted by green circle. The RMSF of the regions with constraint are not shown.


で表される. bTP のATP®ADP のシミュレーションにおいてRMSF の最も大きかったアミノ酸(群)は, 結晶構造中のbDP, bTP 間で大きなPD が見られたPhe418~Gly426 のへリックス構造部位であった. セカンドピークの領域(残基番号340 近辺)は,基質結合部位から離れたループ部位であり, PD の結果との相関は見られなかったため解析から外した.
上記から, DELSEED と, 基質のアデニン部位と密接するPhe418~Gly426 の動態と基質変化の関連性が示唆された. そこで, DELSEED とPhe418~Gly426 の構造変化と基質変化(加水分解反応)の関連性を詳細に調べるために, bTP のシミュレーション中のPhe418~Gly426 へリックス上のPhe418 と, DELSEED の切れ目に存在するLys401 間のCa 原子同士の距離を測定した(Figure 9). その結果, Phe418-Lys401 間距離は, 基質がATP からADP へと変化することで結晶構造中のbTP の距離からbDP の距離へと移行していることが分かった. これは, DELSEED を引っ張るような方向のものであり, この距離の変化は特にg 位リン酸基が部分電荷を失うときに起こった. さらに,Reverse シミュレーションで基質をADP からATP へ戻す際にも同様な変化が見られた.


Figure 9. The time course of distances between Lys401 Ca and Phe418 Ca during bTP forward and reverse simulations (A) [See also (E)] and the snapshots highlighted around ATP and Phe418~Gly426 helix region (B~D). (A) The distance plot obtained from the forward simulation is colored in blue, and that from the reverse simulation is colored in red. The averaged values during 250 ps period are also plotted and shown by thick lines with their colors. The distances obtained from X-ray structures of bTP and bDP are shown by thick straight lines with blue and red, respectively. (B) The final structure of b-subunit bound with ATP obtained from MD simulation. (C) The final structure of b-subunit bound with ADP obtained from forward simulation. (D) The final structure of b-subunit bound with ATP obtained from reverse simulation. In B~D, Phe418~Gly426 helix is colored in orange, and Phe418 Ca is shown by pink sphere. (E) The positions of Lys401 (red) and Phe418 (green). Phe418~Gly426 helix and DELSEED regions are colored in orange and yellow, respectively. ATP is shown by sticks and balls, and g-subunit is colored in purple.

さらに, シミュレーションの各段階における基質とPhe418~Gly426 へリックス周辺の構造を見ると, ATP からADP となるとき基質が触媒部位内部により深く入り込む様子が観察された. Reverse シミュレーションにおいて, ADP からATP へ戻したとき, 基質の位置は変化前と同様な位置となった (Figure 9). また, Phe418~Gly426 へリックス上の基質のアデニン部分と相互作用するPhe424 の挙動を観察すると, 基質が触媒部位内部に入り込むのに伴いPhe424 の側鎖も基質に引っ張られるように動くことが分かった. Reverse シミュレーション完了後には, Phe424 の側鎖は基質変化前と同様な位置へ戻った(Figure 9).
以上の結果より, 基質変化とg サブユニットの回転が共役する分子機構が示唆された. それは, 以下のように要約される. まず, 基質の変化(加水分解)により, b サブユニット中のPhe424 と基質の相互作用が変化する. その相互作用の変化に伴い, Phe418~Gly426 へリックスの位置が変化する. Phe418~Gly426 へリックスの位置変化は,DELSEED を引っ張るような変化であり, それがDELSEED とg サブユニット間の相互作用に何らかの影響を及ぼし, g サブユニットの回転が生じるという機構である. 過去に, g サブユニットをATP 合成方向に120°強制回転させたシミュレーションがなされ, DELSEED の構造変化に伴いPhe418~Gly426 へリックスが今回のシミュレーションと同様に構造変化することが報告されている[18].
これらのことから, Phe418~Gly426 へリックスは, 基質変化とg サブユニットの回転との共役を担う要因であることが強く示唆された. ADP を触媒部位内部へ引き込む要因を調べるため, シミュレーション中に基質中のg位リン酸, b 位リン酸と水素結合を形成しているアミノ酸残基を調べた. その結果, bTP においてATP からADP へと部分電荷を変化させる際に, b サブユニットのLys162とg 位リン酸との間の水素結合が消失すると共に, b 位リン酸との水素結合が安定して存在するようになることが分かった(Figure 10).これまでのLys162 に関する変異実験では, Glu あるいはGln へ変異させたときATP 加水分解活性が著しく低下する結果が得られている [36]. これらの事実から, Lys162 はADP を触媒部位内部へと引き込むことでb サブユニットの構造変化を誘導し, g サブユニットの回転を促す役割を担うと考えられる.上で述べた構造変化は, ATP が加水分解されPi の放出が完了した後の構造変化に相当する. つまり, Pi の放出によってADP が触媒部位内部へ移動することで, bDP への構造変化が促されると考えられる. 実際に, 触媒部位にADP+Pi 状態を模倣した結晶構造(ADP とAlF4 を結合した構造)において, Lys162 はAlF4 と水素結合を形成していた [14]. さらに, ADP のb 位リン酸原子とLys162 側鎖のNe 原子との距離は, 今回使用したADP のみを結合したシミュレーション構造よりもADP + AlF4 を結合した結晶構造中の方がわずかに長かった(0.12A). これらのことは, ADP + Pi の状態ではLys162 によるADPの触媒部位内部への引き込みは起こっておらず, Pi の放出によって始めて生じるものと考えられる. これらの事実は, 本研究で予測された「Lys162がPi の放出が完了した後にADP を触媒部位内部へと引き込む」という結果と一致する.


Figure 10. The freequency of hydrogen bond formation between Lys162 and b-phosphate or g-phosphate of the ligand.

4 総括

本研究では, 触媒反応と構造変化, 回転が密接に関連して機能するF1-ATPase の共役機構を解明するために, F1-ATPase の触媒部位への基質結合親和性を見積もる分子動力学/自由エネルギー計算を行った. その結果, 自由エネルギー計算により, bDP 構造が最もADP 結合親和性が高いb サブユニット構造であることが分かった. それら計算結果を基に, F1-ATPase の加水分解反応における基質結合親和性の自由エネルギープロファイルを作成し, 加水分解モデルを熱力学的知見から裏付けることに成功した.
さらに, ATP の加水分解とPi の放出に伴う回転を引き起こすと予想されるb サブユニットの構造変化が, シミュレーションにより観察された. それは, 基質変化と分子の回転とを結び付ける分子機構を示唆するものであった.

本研究は, 文部科学省の私学学術フロンティア(平成17 年度~平成21 年度) (to T. A.), ハイテクリサーチセンター整備事業(平成18 年度~平成22 年度) (to T. A. and I. Y.), および科学研究費補助金(19042022 と18770122)(to T. M.)による助成を得て行われた.

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