密度汎関数法による馬心筋一酸化炭素ミオグロビン活性中心モデル計算
− 遠位ヒスチジンが電子状態に及ぼす影響 −

千葉 貢治, 平野 敏行, 佐藤 文俊, 岡本 正宏


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1 はじめに

ミオグロビン(Mb)は,脊椎動物の筋肉中で酸素の貯蔵・輸送に携わるタンパク質である.世界で初めて結晶構造解析が行われたタンパク質であり,構造・機能はじめ様々な面で詳細な研究がおこなわれている.MbCOはMbの配位子吸着状態の研究に盛んに用いられているが,その詳細な電子状態の解析はこれからの課題である.
MbCOの電子構造における興味の一つに遠位HISの関与がある.本来の基質である酸素分子が結合する場合,遠位HISのイミダゾール基のe位に水素が存在し,これが酸素分子と水素結合することによって,配位安定性に関与することが知られている.一方,MbCOでは唯一行われたマッコウクジラMbCOの中性子解析で,CO配位子とは反対側のd位に水素が付いていることが明らかにされた[1].マッコウクジラMbCOではCOのヘムへの配向がばらついているうえ[2, 3],CO伸縮振動に由来する赤外吸収スペクトルのピークが複数に分裂することから[3],COの配向はヘムポケット内で比較的自由であり,COの吸着状態(コンフォーマ)が複数あると考えられている.しかし,馬心筋MbCOの赤外吸収スペクトルはマッコウクジラMbCOのそれと異なり,一つのピークが大勢を占めることが報告されている[4].
これまで,pH依存性[5]やミューテーション[5 - 7],あるいは理論計算[3, 8 - 13]などにより各状態のアサインが試みられている.e位が水素化されていることを示唆する報告がある一方,実際の水素位置を特定できる中性子解析の結果は文献1のみであり,コンフォーマの構造に関しては未だ統一した見解には至っていない.
量子計算によるアプローチでは,多くの場合プロトヘムの置換基を水素に置き換えポルフィンとして取り扱われている[3, 8].計算技術ならびにハードウェアの進化もあり,RoviraはQM/MMによりタンパク質部分の効果を古典的に取り入れた計算[11]を行ったが,遠位HISはMMで取り扱われている.遠位HISの存在をあらわに取り扱った量子化学計算としてSigfridssonらの報告[12]が挙げられるが,遠位HISを模したイミダゾールの構造はタンパク質の立体構造を考慮せず最適化されており,その位置は結晶構造解析の構造から大きくずれている.またRoviraらは,遠位HISとヘム‐CO部位の相互作用を見積もるため遠位HISを取り入れた量子計算[13]も行っているが,その計算モデルは近位HISの取り扱いが不明なうえ,計算サイズが小さい.
筆者らは,CO伸縮振動実験において一つのコンフォーマが大勢を占める馬心筋MbCOにおいて,タンパク質の立体構造を反映した遠位HISがヘム鉄-CO結合状態に与える影響を調べる目的で,遠位HISを取り込んだ比較的大きな活性中心モデルを構築し,密度汎関数法による電子状態計算をおこなった.特に遠位HISの水素の位置の違いによる電子状態変化に着目した.

2 計算方法

計算に用いた分子構造モデルは,馬心筋MbCOのProtein Data Bankのエントリ1DWR[14]を初期構造とし,以下の手順で構築した.欠損C末端残基(GLY153)を付加後,AMBER8[15]のLeap機能で水素を付加した.ただし,遠位HISはマッコウクジラMbCO中性子線構造解析の報告[1]からd位に水素を付加した.Generalized Bornモデル[16]により溶媒効果を考慮したうえで主鎖に拘束(力定数:10,000 kcal/mol・A2)をかけ,AMBER8により構造緩和を行ったのち,解離残基に対してカウンターイオン(Na+, Cl-)を配置し電荷中性とした.配置したカウンターイオンは,密度汎関数計算では点電荷として取り扱った.得られた構造から,最終的に63-65(遠位HIS(HIS64)側), 88-101(近位HIS(HIS93)側)番目のアミノ酸残基ならびにプロトヘム,COからなる領域を計算対象とし, HIDモデルとした(Figure 1).e位が水素化しているHIEモデルは,水素化位置の違いに着目する観点から,d位の水素をe位に付け替えた以外はHIDモデルの原子座標を踏襲した.


Figure 1. Computational structure of HID model. In the case of HIE model, the hydrogen of imidazole ring in distal HIS was replaced at position as shown in the circle in this figure. Yellow, gray, blue, red, white, and green atoms are iron, carbon, nitrogen, oxygen, hydrogen, and counter ions, respectively.

電子状態計算にはRI法によるガウス型基底密度汎関数計算プログラムProteinDF/QCLO system[17] [18, 19]ver.1.2を用いた.基底関数は全般にスプリットバレンス基底を採用し,Feおよび配位子であるCOにはスプリットバレンス+分極関数規模の基底を用いた.詳細をTable 1に示す[20 - 22].計算方法はRKS法,交換相関汎関数にはsvwn[23]を採用した.Feの電子配置は3d6低スピン状態を指定した.

Table 1. Basis and auxiliary function sets for computation
AtomCGTOa set for molecular orbitalAuxiliary function set for the electron density and XC potentialb
Fe(43311/42111/311)c13s4p4d
S(6321/521/1)9s4p4d
C, O (ligand)(621/41/1)7s3p3d d
N, C, O(621/41)7s2p
H(41)4s1p
a CGTO stands for Contracted Gaussian-type orbital.b The 7s2p and 4s1p sets were prepared by removing d-functions [20 - 22].c Modified CGTO set was used. The three outer diffuse s-functions were replaced by two tighter functions with the exponents 0.25 and 0.10 from the original CGTO set (43321/4211/311) [22].d A1 fitting sets were employed.

3 結果と考察

3. 1 マリケン電荷の変遷

Table 2にヘム鉄,配位子COのマリケン電荷の値ならびにヘム部位(ヘム鉄を除く),近位HISのイミダゾール環のマリケン電荷の合計値を示す.比較のため,COのみ,近位,遠位両HIS側の残基数が少ない(あるいはイミダゾール環のみ)計算モデルにおける値も併せて載せた.モデル名は,COはCOのみ,FePor-Imd-COは鉄ポルフィンにイミダゾール環とCOが配位したモデル,92-94,88-101はそれぞれ近位HISを含む92-94番目の残基群(近位HISは93番目),88-101番目の残基群がヘム鉄に配位するモデルに対応する.HID,HIEは88-101モデルに63-65番目のアミノ酸残基群(遠位HISは64番目)を追加したモデルで,HIDはイミダゾール環のd位, HIEはe位に水素が付加されており,Figure 1に示した立体構造を持つ.行O,C,Feの値がそれらの原子のマリケン電荷,他の3行は各構成原子のマリケン電荷の合計値である.

Table 2. Mulliken charges around ligand and iron atom in the heme.
Model nameCOFePor-Imd-CO92-9488-101HIDHIE
Distal side-COCOCOCO, 63-65CO, 63-65
Proximal side-Imidazole92-9488-10188-10188-101
O-0.008-0.085-0.088-0.090-0.095-0.105
C0.0080.3790.3760.3790.4190.363
Fe-0.2460.2500.2470.2470.247
Porphyrin (except Fe)---2.647-2.530-2.564-2.496
Imidazole of proximal HIS--0.0410.1000.0870.0800.085
Imidazole of distal HIS-----0.050-0.047

COに着目すると,配位前の電荷はほぼ0であるが,ヘム鉄に結合することによりカルボニルCは正に,Oは負に分極する.本モデルにおいては,近位HIS部位のサイズ変化がヘム鉄,COに与える影響は比較的単調なうえ,88-101モデルで変化の割合もほぼ収束している.これらの結果より,遠位HISの影響を調べるには,近位HIS側に88-101モデルを採用することが妥当であると判断した.
遠位HISの導入による変化は,モデルにより異なる.HIDモデルの場合は,88-101モデルからカルボニルCの電荷が0.04正に増加し,Oは0.005とわずかに負に値が増加した.一方HIEモデルではC,Oともにそれぞれ0.016, 0.01負に値が増加した.また,ヘム鉄を除いたポルフィリンと近位HISのイミダゾール環の電荷は正に増加している.興味深いことに,ヘム鉄の電荷に変化はない.増加分の電子はポルフィリンと近位HISのイミダゾール環から供給されていることが明らかとなった.また,遠位HISのイミダゾール環全体のマリケン電荷の変化は0.003とわずかであり,上述の変化は水素位置の違いが大きく影響していることがうかがえる.

3. 2 軌道準位と静電ポテンシャルの比較

Figure 2にHID, HIE両モデルならびに遠位HIS側残基群(63-65残基)を含まない計算モデル(88-101モデル)のフェルミ準位近傍の軌道準位を示す.縦軸に固有値をとり,HID,88−101,HIE各モデルの軌道準位を左から並べた.固有値が-3.5〜-4 eVにある長い横線は最高被占準位を表す.88-101モデルを基準として,最高被占以下,数本の被占軌道に着目すると,HIDモデルでは準位が上昇,HIEモデルでは低下した.これらの軌道に対し遠位HISはHIDの場合は不安定化,HIEの場合は安定化に寄与したことを示している.最高被占軌道はヘム鉄の3dxy軌道が主成分である(Figure 3 (a)).また,次の2つの被占軌道ではヘム鉄3dyz,zxp*(CO)で表わされる逆供与が観測され(Figure 3 (b), (c)),ヘム鉄-CO結合部位由来の被占軌道がHIEモデルではともに安定化されることがわかった.


Figure 2. Eigenvalue plots of HID, 88-101, HIE models. Longer lines indicate the highest occupied states.


Figure 3. 3-dimensional pictures of the three highest occupied Kohn-Sham orbitals of HIE model. (a) The highest occupied orbital, (b) next highest one, (c) and the next. The isosurface value is ±0.02 .

これら安定化の要因として,水素の位置の違いによるヘム鉄-CO結合部位周辺の静電ポテンシャルの変化が挙げられる.Figure 4にHID,HIE両モデル間の静電ポテンシャル差(ESPHIE - ESPHID)の断面マップを示す.断面はヘム鉄とポルフィリン環の2つのNを含み,ポルフィリン環にほぼ直交する.COはわずかに面から図の手前にはみ出しており,遠位HISは静電ポテンシャル差が正である赤い領域の後ろに位置する.


Figure 4. Electrostatic potential difference (ESPHIE - ESPHID) map around the reaction center (color map: red 0.05, green 0.0, linear gradation). The map was shown on the plane perpendicular to the heme plane including Fe and two N atoms of the porphyrin ring. CO was slightly out of the plane. Distal HIS was placed behind the plane around the red colored area.

正に分極した水素の存在により,遠位HIS近傍の静電ポテンシャルが,HIDモデルに比べてHIEモデルの方が正に偏っていることが分かる.両計算モデルとも,先に述べた準位の高い被占軌道は主としてヘム鉄とCOに由来することから,近傍の静電ポテンシャルの差が軌道準位に影響を与えていることが強く示唆された.
共鳴ラマンの実験によるUnnoらの報告では,馬心筋MbCOでは遠位HISのe位に水素が存在する可能性が示唆されている[7].この報告では,e位に水素が存在し,かつCOのOとe位の水素の間に水素結合があると仮定すると,その水素結合がC-O間の結合を弱め,ヘム鉄-C間の結合を強めるため,測定されたヘム鉄-C伸縮振動のブルーシフトおよびC-O伸縮振動のレッドシフトが説明できると指摘している.Figure 3 (b) (c)で示した2つの軌道は,ヘム鉄からp*(CO)への逆供与である.本計算結果から,水素結合の有無によらずe位の水素の存在自体で軌道準位が下がり,ヘム鉄-カルボニル配位子の結合の強弱に対して同様の効果があることが示された.
88-101モデルと63-65残基群の全エネルギーをHID,HIE各モデルの全エネルギーから引き去ることで,63-65残基群の取り込みによるエネルギー利得を計算したところ,HIDモデルで-10.2 kcal/mol,HIEモデルで-10.7 kcal/molであった.両者の差は0.5 kcal/molとわずかではあるものの,HIEモデルの方が系を安定化したことが全エネルギーからも示された.

4 まとめ

馬心筋MbCOの活性中心モデルに対する電子状態計算を実行した.遠位HISをあらわに取り扱い,その水素の位置の違いによる電子状態変化について考察した.遠位HISのイミダゾール基の水素の位置の違いは,ヘム鉄-CO結合部位近傍の静電ポテンシャルを大きく変え,軌道準位や配位子の電荷に影響を与えることがわかった.Mbにおける配位子の結合状態を記述するためには,遠位HISを量子的に取り扱う必要が示された.
本研究による計算結果では,馬心筋MbCOでは遠位HISのイミダゾール基はe位に水素がつく方がエネルギー的に安定である.このことから,d位に水素がつくマッコウクジラMbCOとは異なる構造を持つ可能性が示唆された.さらに大胆に推論を進めると,d位に水素がある場合は相対的にヘムポケットが広くなるためCOの配向は自由になりコンフォーマの数が増え,e位に水素があるとポケットが狭くなると同時に静電的な効果でCOの配向が安定し,1つのコンフォーマが支配的になるというストーリーが浮かんでくる.
今後,本研究で得られた知見をもとに,振動解析計算を基にした理論研究が進展し,複数の振動ピークの由来となるコンフォーマの同定につながることが期待される.

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