ホタル由来ルシフェラーゼによるケトプロフェンの不斉判別に関する計算化学的解析

佐々 和洋, 加藤 太一郎, 宇野 健, 林 治尚, 中野 英彦


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1 緒言

現在、膨大な種類の物質が生成され、研究開発としてだけでなく産業や医療など分野を問わず利用されている。そして、物質を生産しようとする際には、必ずと言ってよいほど副生成物も発生するが、目的とする物質と副生成物の物性は、立体構造がわずかに違うだけでも全く異なる性質を示すことが非常に多い。この様な物質の生産過程において、いかに目的とする物質を選別・精製するかは大きな課題の一つである。そこで、物質を精製する手法の一つとして注目されているのが、酵素の基質選択性を利用した精製法である。これは、原材料となる基質がキラルである場合や目的とする物質と副生成物がキラルである場合など、立体的に非常に近い構造であっても、酵素反応において反応速度に違いが生じることを利用した方法である。この基質のキラリティによる反応速度の違いを利用した物質精製の応用が期待できる酵素として、ホタルが発光するときに作用する酵素、ルシフェラーゼが注目されている。
本酵素は発光反応時に、基質であるD-ルシフェリンをアシル-AMP中間体を経由してオキシルシフェリンに変換するが、その際に出るエネルギーを光として放出することが知られている[1, 2]。しかし最近の研究で、ヘイケボタルやゲンジボタル由来ルシフェラーゼが、発光反応とはまったく違う立体選択的なチオエステル化反応を起こすことが発見された[3]。例えばヘイケボタル由来ルシフェラーゼは、2-アリールプロパン酸に対して高い立体識別能力にて両鏡像体を分離し、一方を優先的にチオエステル体へと変換する。ケトプロフェンについてはR体の方がS体よりもおよそ20倍早くチオエステル体へ変換されることが明らかとなっている(Figure 1)。また、ゲンジボタル由来ルシフェラーゼも同様の不斉選択性を有することが確認されている。しかし、これらホタルルシフェラーゼによる不斉選択性の発現機構自体は明らかにされていない。そして、本反応の立体識別機構を解明することは、酵素を利用した物質生産の効率化につながると期待できる。
そこで本研究では、ホタルルシフェラーゼの不斉識別機構を解明することを目的とし、分子動力学シミュレーションソフトAMBER[4]を用いた酵素-基質複合体の動的解析を行うこととした。近年のホタル由来ルシフェラーゼについての計算化学的アプローチとして、NakataniやLiuらがルシフェリンとルシフェラーゼにおける精度の良い発光の理論計算結果[5, 6]が報告している。しかし、立体選択的なチオエステル化に関する理論計算は未だ報告されていない。


Figure 1. The thioesterification of ketoprofen in firefly luciferase.

シミュレーションを行うにあたり、標的酵素としてはゲンジボタル由来ルシフェラーゼ(PDB ID:2D1S)を用い、導入基質としては不斉点の絶対立体配置がR-体であるものとS-体であるものおよび不斉点を消去した基質を用いた。そして、各酵素基質複合体の基質および基質周辺アミノ酸の構造や挙動について比較検討を行った。

2 方法

本研究において、酵素基質複合体の初期構造の基として、すでにX線結晶構造解析により構造が判明している2DISを使用し、酵素の構造については結晶構造をそのまま利用した。また複合体解析のための導入基質としては、ケトプロフェンを基質とした際のアシル-AMP中間体アナログを用いることとした。これは、2D1S中にはジヒドロルシフェリンのアシル-AMP中間体アナログ、5'-O-[N-(dehydroluciferyl)-sulfamoyl]adenosine(DLSA)(Figure 2)が導入されており、本複合体の情報をもとにケトプロフェンとの複合体像を構築し、基となる結晶構造からの置換が最小限に抑えることにより、初期構造の信頼性が高められると考えたからである。そして、ケトプロフェンのアシル-AMP中間体アナログとしては、DLSAのジヒドロルシフェリン部位のみをケトプロフェンのR-体に置換したものを“KPF-R”、S-体としたものを“KPF-S”、そしてアリール酢酸タイプに置換したものを“KPF”として、それぞれの初期構造を構築した。
シミュレーションソフトには、Nakamuraらがルシフェラーゼとルシフェリンの複合体の構造最適化[5]おいて利用している生体高分子のシミュレーションに適したAMBER ver.7.0を用いた。KPFの構造や電荷などはAMBERのデータベースに登録されていないため、それらを登録するための入力ファイルを作成する必要がある。そこで入力ファイルの作成には、我々の開発したModast-PのAMBERに対する新規残基追加支援システムを用いた[7 - 10]。このシステムにおいて、形式電荷をMOPACにより算出した。また、修飾残基の各原子に対する原子タイプは、AMBERのparm94より作成した。
全てのシミュレーションには、force fieldとしてAMBERのff94 force fieldを適用した。まず、AMBERのLEaPモジュールを用いてモデリングを行った。モデリングでは、先にあるようにゲンジボタルの発光酵素とDLSAとの複合体の結晶構造から複合体の初期構造を作成し、複合体の周囲に水分子を配置することにより水中を模倣した系を構築した。水分子の配置は、AMBERの“solvatebox”コマンドを用い、複合体より、x、y、z軸の正負両方向へ10 AずつのSolvate Boxを作成し、AMBERのWATBOX216に基づいてTIP3P水分子を配置した。
エネルギー極小化計算と分子動力学計算は、AMBERのsanderモジュールを用いて行った。モデリングした系に対して、まずエネルギー極小化計算を実行し複合体の構造の安定化を図った後、分子動力学(MD)シミュレーションを行った。また、MDシミュレーションにおける温度は全て300 Kとし、シミュレーション時間は全て1ns(Time step 1fs)で行った。


Figure 2. Structures of KPR-R, KPF-S and KPF.

Table 1. Total energies and temperatures.
Total energies (kcal)Temperatures (K)
AverageRMS fluctuationAverageRMS fluctuation
KPF-R-113746.241945.01299.675.01
KPF-S-113752.481959.53299.665.02
KPF-113845.231931.82299.675.02

Table 2. Average distance of MD (and distance of optimization structure) in part III.
Average distance of MD (A) (Distance of optimization structure (A))
Substrate CO2 - Gly343CSubstrate CO2 - His247CE1Gly343C - His247CE1
KPF-R4.68 (4.61)8.35 (4.05)12.34 (8.64)
KPF-S4.78 (4.89)4.73 (3.96)9.32 (9.62)
KPF4.15 (4.70)4.67 (4.23)6.33 (5.46)

3 結果と考察

3. 1 シミュレーション結果と結晶構造の比較

本シミュレーションにおいて、系全体が安定した状態で行われていたかと基質の置換による酵素全体の大きな構造変移が引き起こされていないかを確かめるため、各シミュレーションのエネルギーおよび酵素全体の構造について考察する(Table 1)。系全体のトータルエネルギーの揺らぎは平均二乗変動(RMS fluctuation)でKPF-R、KPF-S、KPFの全てにおいて全エネルギーの約1.7%程度しかなく、安定した状態でシミュレーションが行われたことを確認した。系の温度についても、設定温度である300Kに対しておよそ±2 K、5 Kの範囲で揺れていることも確認した。また、酵素全体の構造も、MDシミュレーション全時間範囲における2D1Sと全Ca原子を比較した平均二乗変位(RMSD)がKPF-Rの場合では平均1.7 Aであり、KPF-Sで平均2.0 Aであった。このことから、シミュレーション中、酵素全体が変形してしまうような大きな構造変化を起こしていないことが示された。
以上のことから、本シミュレーションにおいて、基質を置換したことによる酵素全体における大きな構造変移は起こっておらず水中における安定した酵素基質複合体の系が再現されていることが確認された。そして、酵素全体に対してKPF-R、KPF-S、KPFの間で明らかな構造の違いは見られなかった。

3. 2 基質と周辺アミノ酸の関係

酵素全体の構造や挙動としては不斉による明らかな違いが見られなかったことは、酵素の一部だけが不斉選択性に関与していることを示唆する。そこで、最も不斉選択性に関与していることが考えられる基質とその周辺アミノ酸について解析を行った。
まず、各シミュレーションにおいて、基質が酵素から見てどのような挙動をとっているのか、そして、不斉の違いによる基質と周辺アミノ酸の構造の変化について調べた。Figure 3にあるように、Part Iでは、KPFの原子C6とそれに近接する Tyr342の原子CAとGly317の原子Cの2つを選び、これら3原子のそれぞれの距離を算出した。同様に Part IIでは、KPFのC3'と Leu344のCA、Gly318のC の3、Part III では、KPFのCO2、Gly343のC、 His247のCE1、Part IVでは、KPFのCA2、Gly341のCA、IIe288のCD1を選んだ。KPF、KPF-R、KPF-S での、このそれぞれの距離の時間変移を示したものがFigure 4である。これより、Part I、II、IVの3箇所においては、KPF-R、KPF-S、KPFの基質-アミノ酸間の平均距離を相互に比較しても大きな違いは見られず、MD計算開始から終了まで、基質-アミノ酸の距離は大きく変動することはなかった。このことは、基質や周辺アミノ酸が大きな挙動をすることなく、ほぼ同位置に留まっていることを示している。一方、Gly343, His247および基質分子のカルボニル基に着目したPart IIIでは各距離の値や挙動に明らかな違いが見られた(Figure 4)。まずモデリングの構造からエネルギー極小化を行った極小化構造において、基質-アミノ酸間の距離は3種の基質についてほぼ同様であった。これに対して、アミノ酸-アミノ酸間距離は明らかな違いがあり、KPFのアミノ酸間距離と比較してKPF-Rでは約3 A、KPF-Sでは約4 Aの増加が観察された(Table 2)。さらに、MDシミュレーションの結果から、KPF-RはKPF-SやKPFとは全く異なる挙動を示していることがわかった(Figure 4)。つまり、KPF-SおよびKPFの系では、MD中の各距離がほぼ一定の値から僅かに揺らぐ程度の挙動変化であったのに対し、KPF-RではMD開始後すぐに基質カルボニル炭素-His247およびGly343-His247間の距離がそれぞれおよそ4 Aずつ増加していく様子がわかる。これは、基質のカルボニル酸素が約3 AHis247側へ移動し、その影響を受けてHis247が4 A以上も基質から遠ざかるような形で移動した事が原因であると考えられる(Figure 5)。これに対し、他2つの基質では、基質のカルボニル酸素が移動するような挙動は現れなかった。


Figure 3. Positional relations of each part at KPF.


Figure 4. The distances between substrate and amino acids at part III in KPF, KPF-R and KPF-S.


Figure 5. The superimposition of two structures around substrate and His247 in KPF-R (yellow)and KPF-S (gray).


Figure 6. The superimposition of two structures around substrate and Ser200 in KPF-R (yellow) and KPF-S (gray).

3. 3 不斉選択性

KPF-Rのみカルボニル酸素の移動を起点とするHis247の変移が見られたが、この変移が不斉選択性を決定する要因のひとつではないかと考え、さらに、KPF-RとKPF-Sにおける基質周辺のアミノ酸の距離について比較検討を行った。その結果、酵素反応の上で求核原子となり得るSer201とSer200を含むループの挙動や配座に大きな違いが生じていることが明らかになった(Figure 6)。


Figure 7. The distances between substrate and Ser201 in KPF-R (a) and KPF-S (b), betweenSer201 and His247 in KPF-R and KPF-S (c) and between substrate and Ser200 in KPF-R and KPF-S (d).

まず、Ser201に関して考察する。KPF-Rでは、約0.17 ns以降Ser201の水素が基質のスルホ酸素と2 A以下の原子間距離を保持しており (Figure 7a)、Ser201はスルホ酸素とのみ水素結合を安定に形成している。一方、KPF-Sでは、同様の2原子の距離は3 A以下を示しており、水素結合を形成していることは確かであるが、KPF-Rで見られたような距離の保持はなく、KPF-Rに比べ揺らいでいる様子が確認されできる(Figure 7(a) および (b ) )。Ser201の挙動が基質の不斉によってこのような異なる挙動を示す要因としては、前述したHis247の変位が考えられる(Figure 7 (c) )。つまりKPF-Rの場合、His247はSer201と5 Aほど離れた位置に存在し続けており、安定な水素結合を形成できないためSer201への影響は少ないと推測できる。一方KPF-Sの場合には、His247はKPF-Rより明らかに近傍にあること、さらにMDシミュレーション開始後0.5ns以降ではその距離はほぼ3 A以下の値であることからKPF-Sの場合、Ser201は基質のスルホ酸素だけでなくHis247とも水素結合を形成しており、両者の間で遷移していると考えられる。
次に、Ser200を含むループに関して考察する。KPF-Sに対するシミュレーション終了時の構造を比較したところ、Ser200の配座が6.8 A異なっているが明らかになった(Figure 6)。そこで、Ser200の水素と基質のスルホ酸素との距離を示したのがFigure 7(d) のグラフである。これよりKPF-Rでは、Ser200が揺らぎながらも0.86 ns以降は基質から3 A付近という近傍まで近くことが確認できる。一方、KPF-Sの場合は、初期構造はKPF-Rとほぼ同様であったにもかかわらず、Ser200と基質との距離は徐々に遠ざかり、シミュレーション終了時にはその距離が10 A近くまで離れていることが確認できる。
以上のことから、基質の不斉によってSer200およびSer201が全く異なる挙動を示すことが明らかとなった。KPF-Rについてみると、Ser201は基質と非常に近い位置で水素結合により結ばれ、またSer200に関しても基質と水素結合が可能な位置まで移動し、それぞれのアミノ酸残基が基質分子に影響を与えていることが示唆された。一方、KPF-Sについてみると、Ser201はKPF-Rの場合ほど強固な水素結合を形成せず、またSer200に関しても基質分子に直接的な影響を与えるには困難な位置にまで移動していることが明らかとなった。したがって、今回のMDシミュレーションの結果から、これら2つのセリン残基が基質分子におよぼす影響の違いが、酵素活性における不斉選択性機構の要因のひとつだと考えられる。

4 結論

ゲンジボタル由来ルシフェラーゼ(PDB ID:2D1S)は、発光反応だけでなく、それとは全く異なる立体選択的なチオエステル化反応を触媒できることが報告されていたが、その不斉選択性の発現機構については未だ明らかとなっていなかった。そこで本稿では、R体、S体、および不斉点を有しないアリール酢酸タイプの基質を内包した3種類の酵素-基質複合体を作成し、それらに対して分子動力学シミュレーションを行い、活性部位周辺における酵素と基質の詳細な挙動を解析、不斉選択性発現機構の解明を試みた。
酵素全体の構造については、各シミュレーションで大きな構造変化および差異は無く、基質の置換や不斉による影響は僅かなものであることが確認された。次に、酵素内における基質の挙動について調べたところ、全ての基質で酵素内において大きな挙動を示すことなく留まっていた。しかし、基質周辺のアミノ酸残基では、その挙動に大きな違いがみられることが明らかとなった。具体的にはSer200, Ser201およびHis247に着目し比較検討を行ったところ、His247に関しては、R体基質の場合のみ基質から遠ざかるようにヒスチジン環が移動していくことが確認された。また、Ser201に関しては、R体基質とは常に水素結合を形成するのに対し、S体基質とは常時の水素結合の形成は見られず、基質とHis247との間で揺らいでいることが明らかとなった。Ser200に関しては、R体基質とS体基質の場合で状態が大きく異なり、R体基質に対しては徐々に近づいて行き、水素結合を生成し得る距離まで接近するのに対し、S体基質の場合には水素結合を形成し得ない距離にまで離れていくことが観察された。
以上の結果から、R体およびS体における不斉選択性の違いは、以下のようなプロセスが要因の一つでないかと考えられる。第一に、基質のカルボニル酸素の移動による影響で、R体のみSer201が基質のスルホ酸素とHis247の両方と水素結合を形成している状態から、基質とのみ水素結合を形成する状態へ移行する。第二に、R体ではSer201を含むループが基質側へ移動し、逆にS体では基質から遠ざかる。第三に、ループの移動によりR体ではSer200も基質のスルホ酸素と水素結合を形成する。この様に基質のスルホ酸素に水素結合したSerの側差はプロトン供与体等としてチオエステル化において重要な役割を担っているのではないかと考えらる。今後、これら2つのセリン残基を中心に変異導入等を行うことにより本残基の重要性が明らかになるものと考えられる。それによって、より立体選択性の高い変異酵素が作成されることが期待される。

本研究は、豊橋技術科学大学の高専連携教育研究プロジェクトの支援のもと行われたものである。ここに明記し、謝意を示す。

参考文献

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