C60結晶中における分子配向遷移に関する理論的解析

北 幸海, 小関 準, 岡田 勇


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1 緒言

フラーレン分子の中でも代表的な分子の一つが、炭素原子60個から成るC60分子である。C60分子の存在が初めて実験的に示唆されたのは、1985年のH. W. KrotoとR. E. Smalleyらによるレーザー蒸発炭素クラスターに対する質量スペクトル解析であった [1]。彼らはその報告の中で、レーザー蒸発させたグラファイト中に、非常に安定な炭素原子60個から成るクラスターが生成される事を示した。C60の幾何学的構造は接頭二十面体と呼ばれ、12枚の五角形 (五員環) と20枚の六角形 (六員環) から構成された、非常に高い対称性 (点群Ih) を持っている(Figure 1(a))。


Figure 1. (a) The molecular symmetry axis of C60 and (b) the structure of C60 crystal.

C60分子は、ほぼ球形という特異な形状から方位依存性が非常に弱く、固体状態では柔粘性結晶という特徴的な性質を示す。またC60結晶は、260 Kで格子定数と回転状態の変化を伴った一次相転移を引き起こす事が知られており [2 - 4]、260 K以上の高温相では、C60分子は高速な回転運動をする方位不規則相(面心立方構造:fcc)となる(Figure 1(b))。一方、260 K以下の低温相では、C60分子は分子方位に対しても秩序を持つようになり、結晶は方位規則相(単純立方構造: sc)に分類される。方位規則相における安定な分子方位としては、最安定方位である五員環(P-)方位と、五員環方位よりわずかに高いエネルギー持った六員環(H-)方位という、二つの特徴的な分子方位の存在が実験的に確認されている [5]。全てのC60分子がP-方位をとる時には、隣接する全てのC60分子対は五員環と二重結合を面した配置をとり、また全てのC60分子がH-方位をとる時には六員環と二重結合が面した配置をとる事が知られている。固体NMRやmSR等の研究から [6, 7]、この二方位間のエネルギーバリアは235~290 meVと見積もられている。C60分子は90~260 Kの方位規則相において、これら安定/準安定方位間を"回転ジャンプ"をしている事が示唆されているが (Figure 2)、その詳細はまだ明らかにはなっていない。


Figure 2. The molecular rotation jump between the P- and H-orientations. The values of energy barrier and energy difference are the experimental values reported in Refs. [3, 6, 7].

このような分子の複雑な方位特性・回転特性を明らかにするには、分子間の相互作用を顕に考慮した理論的解析が有効である。そのためC60分子が発見されて以来、非常に多くの分子間相互作用モデルが開発されてきた[8 - 13]。しかし従来の経験的モデルでは、定量的にC60分子の結晶中における方位特性を記述する事はできず、それから導かれる結果は十分信頼できるものとは言い難い。一方、Savin らは密度汎関数法(局所密度近似)から得られたC60分子の電荷分布を、分子間相互作用の重み関数として用いる事で、半経験的な分子間相互作用モデルを提唱している[14]。しかし彼らのモデルは高精度な反面、計算コストが非常に高いため、結晶中における方位特性・回転特性を解析するために必要となる十分大きな系には適用されていない。またHasegawa [15] らは経験的な手法を用いず、密度汎関数法を用いたC60結晶に対する第一原理計算を用いて、C60分子の方位解析を行っているが、Savin らのモデルと同様、計算コストの問題により十分大きな系には適用されていない。
このような背景から、近年我々はC60分子の結晶中における方位特性を定量的に正しく記述できる新しい分子間相互作用モデルの開発を行った[16]。開発した分子間相互作用モデルによるP-方位とH-方位間のエネルギーバリアは~ 260 meV、エネルギー差は14.7 meV、C60結晶の相転移温度はTC = 200~260 K であり、いずれも実験値を精度良く再現する事ができる。また開発したモデルを用いた理論的解析から、方位規則相における最安定方位であるP-方位の安定性が、結晶中のH-方位占有率 (pH) に依存し、高いH-方位占有率 (pH > 0.83) の場合には、P-方位とH-方位の安定性は逆転する事、そして結晶中におけるH-方位の不安定化がC60分子の幾何学的形状に起因したフラストレーションによる事などを明らかにした。
そこで本研究では、C60分子の結晶中における回転特性、特に結晶内に誘起される回転ジャンプ間の相関関係を明らかにする事を目的に、我々が開発したC60分子の分子間相互作用モデルを用いた分子動力学シミュレーションを実行し、方位規則相における回転ジャンプの発生確率に関する詳細な解析を行った。

2 方法

2. 1 分子間相互作用モデル

本節では、近年我々が開発した分子間相互作用モデルについて簡単に示す。詳細は参考文献[16] を参照のこと。
無極性分子であるC60分子の分子間相互作用は、交換斥力およびvan der Waals 力が支配的であると考えられる。実際、初期の研究おいてはC60分子の分子間相互作用を、炭素原子間のレナード・ジョーンズポテンシャル (60×60 対) の和で表している[8]。しかしながら、このような単純なモデル化では、C60分子の結晶中の方位特性を、定量的にも定性的にも正しく記述する事は出来ない事が知られている[16]。このような問題を解決するため、我々が開発した分子間相互作用モデルには、C60分子を構成する炭素原子近傍における局所的な電荷分布の異方性を考慮した二つの特徴的な項が含まれている。一つは異方性を持った斥力項、もう一つは二重結合に平行に配置された電気双極子相互作用項である。我々のモデルにおいて、分子I, J 間の分子間相互作用ポテンシャルは以下のように表される:

ここで第一項が異方性を持った斥力項、第二項がvan der Waals 力、第三項が双極子相互作用項である。また および は、分子J上の原子j から分子I上の原子i に向かう動径ベクトルとその距離である。 は、分子I 上の原子i の二重結合に平行な双極子ベクトルであり、原子iの二重結合に平行な単位ベクトル を用いれば、 (e :電荷素量、h:パラメータ) と表される。斥力項に導入されている は原子間距離に相当する量であり、原子i の2 本の一重結合に平行な単位ベクトルを および として以下のように定義される:

ここでfDfS は、それぞれ二重結合および一重結合周りの異方性を記述する関数であり、実験的に得られているC60分子の結晶中における方位特性を、定量的に正しく記述できるように選んだ:

またポテンシャル関数に含まれるパラメータd0lr0abghは、実験的に得られているC60結晶の方位規則相における結晶構造、およびその方位特性 (P-方位, H-方位間のエネルギーバリアとエネルギー差) を定量的に正しく記述できるようにフィッティングした (Table 1参照)。

Table 1. The value of potential parameters in our model.
r0 [A]d0 [eV]labgh
4.0372.193×10-313.6-8.125×10-3-3.20×10-2-3.25×10-25.50×10-2

我々のモデルによる純P-方位相(全てのC60がP-方位)の格子定数、および1 分子あたりの凝集エネルギーは、それぞれ14.033 A、1.741 eV であり、実験値14.033 A , 1.74 eV [17] を精度良く再現する事ができる。Table 2 には、我々のモデルおよび既存の経験的/半経験的モデルによる、P-方位とH-方位間のエネルギーバリア (Ebarrier)、およびエネルギー差 (DE ) を示した。Table 2 より、最も初期に開発されたLennard-Jones モデルでは、結晶中におけるP/H-方位のエネルギー差を、定性的にも再現する事が出来ていない事がわかる。またその他の経験的モデル (LLM, SCK1, SCK2) では、P/H-方位間の安定性を定性的には再現できているが、実験値と比較してDE を過大評価してしまっている。一方、我々のモデルおよびSavin らによる半経験的なモデルでは、Ebarrier, DE ともに実験値を精度良く再現しており、結晶中におけるC60分子の方位特性を解析する上で、十分な精度を持っている事がわかる。

Table 2. The energy barrier (Ebarrier / meV) and difference (DE / meV) between the P- and H-orientations in C60 crystal.
MethodEbarrierDE
LJaRef. [8]85-63
LLMbRef. [10]278236
SCK1cRef. [9]184112
SCK2dRef. [9]306194
Semi-empiricalRef. [14]25011
our method26015
ExpRefs. [3, 6, 7]235~290~11
a Lennard-Jones model b LJ model + point charges on single / double bonds c LJ model + additional interaction points on double bond d SCK1 model + point charge on double bonds

2. 2 分子動力学計算

我々の分子間相互作用モデルによるC60結晶の構造相転移温度は、およそ200~260 K となる事が、定温・定圧の分子動力学 (MD) シミュレーションによる格子定数やC60のphonon/libron の状態密度、そしてオーダーパラメータの温度依存性の解析から示されている[16]。また相転移温度近傍においては、C60分子の回転ジャンプが数多く観測される事も報告されている。
そこで本研究では、方位規則相における回転ジャンプを解析するため、相転移温度近傍における定温・定圧のMD 計算を行った。系の温度制御にはNose による熱浴変数を用いた定温アルゴリズム[18]、圧力制御にはRay-Rahman による平行六面体MD セルを用いた定圧アルゴリズム[19] を用いた。計算セルは7 × 7 × 7 のユニットセル (合計1372 分子)、圧力は1 気圧、温度は190 K とした。また計算セルには周期境界条件を課し、熱平衡に達した後300 ps シミュレートした。なお全ての分子の初期分子方位は五員環方位とし、C60分子には剛体近似を用いた。

3 結果と考察

本研究で実行した方位規則相(1気圧、190 K)における定温・定圧のMD 計算では、300 ps 中に計1016 回の回転ジャンプが観測された。シミューレーションで観測された、C60分子の典型的な回転ジャンプの様子をFigure 3 に示す。Figure 3 は、あるユニットセル内の4つC60分子の回転角度の時間変化を示している(角度0はP-方位に対応する)。図中Mol.2, Mol.3 では、それぞれ140 ps, 170 ps 付近で回転角度~ 42° を伴った急激な変化が生じており、これはC60分子の2回軸周りでのP-方位からH-方位への回転ジャンプに対応している。またMol.1 の回転ジャンプは、分子の2回軸でも3回軸でもない軸周りでの回転ジャンプであり、このような回転ジャンプも多数観測された。


Figure 3. The time dependence of molecular rotation angle of four neighboring C60's. The relative rotation angles from the P-orientation are plotted.

次に、このように観測された回転ジャンプ間の相関関係を明らかにするために、回転ジャンプの発生確率に関する解析を行った。Figure 4 は、ある分子が回転ジャンプを起こした後、その近接分子において初めに観測された回転ジャンプの発生確率を表している。図の横軸は基準となる分子の回転ジャンプ後の経過時間であり、縦軸は各経過時刻における回転ジャンプの発生確率である (全回転ジャンプに対する発生確率の平均)。Figure 4 より、結晶中においてある分子が回転ジャンプを引き起こした後、その周辺分子において生じる回転ジャンプの発生確率は一様ではなく、その分子からの距離や経過時間に強く依存している事がわかる。最も発生確率が高いのは、基準分子が回転ジャンプをした直後の第1近接分子である。経過時間0 ps 近傍における強い強度は、基準となる回転ジャンプから、ほぼ時間差なく回転ジャンプが発生している事を意味している。これは隣接するC60分子同士が、歯車のように"噛み合って" 回転している事を示している。一方、回転ジャンプの発生確率は、20 ps以降も比較的高くなっている事から、隣接分子間における回転ジャンプは、歯車運動のような直接的かつ短時間な相関以外にも、数十ps 程度持続する比較的長時間の相関も存在していると考えられる。


Figure 4. The time dependence of the event probability of the molecular rotation-jump induced at 190 K. The horizontal axis means the elapsed time after a rotation-jump.

一方、第2 近接分子においては、5 ps 付近に極大点を持った特徴的な分布をしている事がわかる。第1 近接分子とは異なり、経過時間0 ps 付近における回転ジャンプの発生確率は小さい事から、このピークは歯車運動のような"直接的な" 相関を反映したものではなく、回転ジャンプが結晶内を伝搬する現象を反映したものと考えられる。このような特徴的な分布は、第3 近接分子に対しては明確には見られないが、第4近接分子では9 ps 付近において観測されている。この第2, 4近接分子間におけるピークのシフトは、回転ジャンプが結晶内を伝搬している事を強く裏付けるものである。回転ジャンプが基準分子から最短距離で伝搬したと仮定すると、第2 (4) 近接のピークから見積もられる伝搬速度は、~ 3 (~ 2) A/ps である。なお第5 近接分子以降の分布は、解析した経過時間内ではほぼ一定であり (~ 0.5 %)、回転ジャンプ間の相関は、基準分子からの距離が遠いほど弱くなる事がわかった。時間に依存しない発生確率は、結晶内においてランダムに発生する回転ジャンプに対応していると考えられる。

4 結論

本研究では、結晶中(方位秩序相)におけるC60分子の安定/準安定方位間の分子配向遷移(回転ジャンプ)の詳細を明らかにするため、近年我々が開発したC60分子の結晶中における方位特性を精度良く記述できる分子間相互作用モデルを用いて、定温・定圧の分子動力学計算を行った。用いた分子間相互作用モデルによる構造相転移温度近傍(1 気圧、190 K)において生じた、C60分子の回転ジャンプの発生確率を解析した結果、回転ジャンプは隣接する分子間で生ずる確率が大きい事を明らかにした。また隣接する分子は、ほぼ時間差なく互いに回転ジャンプを起こす事から、分子同士は歯車のように"噛み合い" ながら回転運動をしている事が示唆された。また第2 近接分子は、歯車運動とは異なる相関を持ち、C60分子の回転ジャンプは~ 3 A/ps 程度の速度で、結晶内を伝搬している可能性が示唆された。

参考文献

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