酸化チタン表面の触媒活性中心モデル

森 和英, 中野 隆, 松林 雄一, 香川 浩


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1 はじめに

この論文は本年1月に急逝された森和英氏が提唱された酸化チタンの触媒活性中心に関する研究をまとめたものである.彼は酸化チタンの活性中心モデルを提唱し,更なる研究を進めようとした矢先に亡くなられた.この論文は彼の提唱した酸化チタンの触媒活性中心モデルとモデルを用いて行った酸化チタンの光触媒作用に関する研究結果について,彼の資料に基づいて共同研究者がまとめたものである.
酸化チタン(TiO2)は光(紫外線)を吸収することによって強い触媒作用を示す固体触媒で光触媒と呼ばれている.代表的な現象は水分解反応であり,発見者の名をとって本田・藤島効果と呼ばれている[1].
今まで酸化チタンの触媒作用は半導体モデルによって説明されてきた.酸化チタンは間接ギャップ半導体であり,ギャップの大きさは3.8 eV (4.4 × 104 K)である.このエネルギーギャップに相当するエネルギーを有する紫外線を吸収することによって価電子帯の電子が励起され,電子−正孔対が生成される.この生成された伝導電子帯の電子が還元作用を,価電子帯正孔が酸化作用を示すというのが光触媒作用の半導体モデルによる説明である.
しかしながら,このモデルではいくつかの事柄が説明できない.第1は,間接ギャップの大きさが3.8 eV程度の半導体は多数存在するが,光触媒作用を示す半導体はきわめて限られる点である.第2は,水分解反応に必要なエネルギー(酸化還元電位として1.2 Vつまり1電子あたり1.2 eV)に比べて3倍近くのエネルギーを有する紫外線が,なぜ光触媒作用を発現するために必要なのかという点である.水分解反応に必要なエネルギーは可視光でも十分供給できるのにかかわらず,可視光を用いた水分解反応を行う光触媒はほとんど存在せず,存在したとしても紫外線と比べてきわめて効率が低い[2].即ち,物理モデル(固体を剛体的に捉えるモデル)による電子−正孔対励起では光触媒の真の反応機構を捉えているとはいえないのである.
真の反応機構を知る有力な方法として計算化学的手法がある.この手法を用いれば実験的には得ることが難しい具体的な反応経路についての情報を得ることが出来る.酸化チタンの物理モデルの場合,計算化学的手法は既に大きな成功を収めている.例えば平面波基底と密度汎関数法を用いた方法は,実験で観測される酸化チタン結晶構造の違いによるバンドギャップの差などを定量的に再現可能なレベルに到達している[3].このような成功例から,従来の光触媒反応機構の研究では固体触媒を真正面から扱い,触媒のモデルとして表面を有する半無限の大きさを持つ系を採用し,第1原理計算によって扱ってきた[4].そして,計算量節減の為,触媒側の原子の位置は固定された物理モデルが採用されてきた.
森氏は,光触媒の真の反応機構を知るためには酸化チタンを静的(剛体的)に捉えた物理モデルを考えているだけでは不十分であることに気付いた.即ち,酸化チタンの光触媒作用の説明には反応進行にともなう化学結合の変化による原子の再配置まで表現できる動的なモデルが必要である.以後このモデルを前述の物理モデルと対比する形で酸化チタンの化学モデルと呼ぶことにする.
しかしながら,化学モデルを正攻法で攻略しようとすると計算量に関する困難に直面する.遷移元素であるチタンは電子数が多いので,酸化チタン固体全体の原子の配置最適化を行いながら精密な量子化学的計算を行うには膨大な計算機資源が必要となる.このような膨大な計算を通常のデスクトップPCで十分な精度で行うことは非常に難しい.
系の大きさに起因する困難を解決する方法として,化学ではしばしば活性中心という概念を用いる.これは反応に重要な役割の部分(反応活性中心)だけを取り出して扱う,いわば分子モデルである.現象の本質を損なうことなく原子数を限定した分子モデル,すなわち触媒活性中心モデルを構成することが出来れば,限られた計算資源を用いても化学モデルの精密な計算を行うことは可能である.しかしながら,不適当な分子モデルでは,反応を支配する分子軌道であるHOMOがモデルの活性中心と仮定したチタン原子から構成されないといった現象が生じてしまう.どのような分子モデルが酸化チタンの活性中心モデルとして適当なのであろうか.
森氏はこのような諸問題を考慮に入れ,酸化チタン触媒作用の反応活性中心の分子モデルを提案した.この論文においては,このモデルの妥当性を示し,このモデルを用いて水分子の光触媒反応機構を研究した結果を報告する.
ところで,光触媒反応の研究にはもう一つの困難が存在する.光触媒は光吸収によって反応が進むわけであるから,反応の始状態近傍の電子状態は励起状態にある.従って,励起状態を取り扱える計算法がなくては反応機構の解析が出来ないように見える.励起状態は基底状態と比べて取り扱いが複雑であり,汎用のプログラムとPCでは分子モデルのように比較的小さな系においても,原子の動きまで考えて最適化し計算する場合には低い精度の情報しか得られない.
励起状態を直接扱わずに光触媒反応機構についての知見を得る手段はないものであろうか.以下の節で示すように,我々の研究の特徴の一つは基底状態の計算のみしか扱わないにもかかわらず,光触媒反応のように励起状態を始状態とする反応に関してもある程度の情報を得ることが出来る点である.
第2節ではモデルの概要と計算されたHOMOの特徴について説明する.第3節では水分子の吸着と分解反応のシミュレーション結果を反応経路の同定,反応の進行に伴う各々の原子の電荷密度とHOMOの変化の観点から捉える.第4節は議論と考察であり,波動関数変化の連続性に着目して,基底状態のみの計算から励起状態の情報を得る方法について述べる.

2 モデルの概要

我々が提唱するモデルはFigure 1のモデルである.このモデルはアナタース型と呼ばれる酸化チタンの表面第1層の一部分を取り出し,生じたダングリングボンドを水素によって不活性化したことに相当するモデルである.


Figure 1. Model of catalytic center of 5 units of TiO2 . Arrows show catalytic center atoms.


Figure 2. HOMO of model molecule. Arrows show positions of catalytic center atoms.

Figure 1において矢印で示した,2個のチタン原子と1個の酸素原子が触媒活性中心であると考えている.この仮定を実証するためにMOPAC [5]を用いて分子軌道を計算したところ HOMOはFigure 2に示すようになった.
Figure 2を見ると,化学反応において重要な役割を果たすHOMOが,我々が活性中心と考えた原子の原子軌道から構成されていることがわかる.このことから我々のモデルの妥当性が示され,ここで提案したモデルが,水の吸着,光の吸収に引き続き起こる水の分解反応の触媒活性中心として適当であることがわかる.
Figure 2よりHOMOは本来,酸化チタンの層間結合となるべき方向にも大きな寄与を与えていることもがわかる.このことから化学反応の進行によってHOMOの形に変更が生じれば,層間結合距離の変化,即ち原子位置の変化が生じることが考えられる.このことからも,酸化チタン水分解反応機構解析に際して,我々が提案した原子配置の最適化を行う化学モデルの必要性が示唆される.次の節では,このモデルに水分子を吸着させ,水分子の水素原子の解離反応経路を求めた結果を述べる.

3 結果

3. 1 水分子吸着と分解シミュレーション

水分子を分子モデルに吸着させると活性中心のどちらかのチタン直上に吸着することがわかった.Figure 3には右側のチタン原子に吸着させ,モデルの側面と上方から見た様子を示す.


Figure 3. Position of absorbed water molecule. Front view (left), Top view (right).

次に,活性中心のチタン原子に吸着した水分子の一方の水素を強制的に水の酸素分子から引き離すことによってポテンシャルエネルギー曲線の作成を行った.引離していく際に最も少ないエネルギーですむ極小経路の探索を行った.
最初に,酸化チタンユニットの全原子の位置は固定し,水素原子のみを動かし経路を求めた.次に,水素原子を移動させる際,他の原子の移動も許容し全系のエネルギーを最適化させながら経路を求めた.
その結果,どちらの場合も水素原子は最終的には活性中心のもう一方のチタン原子上に移動するが(Figure 4(c)),いずれの場合も直接チタン原子に向かうのではなく,いったん活性中心と考えた酸素原子上を通過し(Figure 4(b)),その後チタン原子へ向かうことがわかった.


Figure 4. Position of dissociated hydrogen atom. (a) Initial absorbed position, (b): Hydrogen atom on oxygen atom, (c): Final position of hydrogen atom on titanium atom.


Figure 5. Potential energy of dissociation of H-OH adsorbed on 5 units of TiO2. (A): Under layer fixed, (B): Under layer unfixed.

注目すべき点は酸化チタンユニットの全原子位置を最適化した場合の効果である.原子の位置を固定してエネルギーを計算した結果(Figure 5(A))では,系の総エネルギーはほとんど単調に増加してしまう.一方,原子配置を最適化した場合には準安定状態が出現する(Figure 5(B)).つまり,水分解反応に伴う触媒側の原子の移動が反応進行に本質的に重要であることが示された.このことからも我々の提唱した動的モデルの有効性がわかる.
ところで,我々の計算は基底状態のみを追跡している.実際の光触媒反応においては,酸化チタンは光を吸収し励起状態に遷移した後,緩和していくことによって反応が進行する.我々の解析によってどこまで実際のプロセスを追跡できているかについては考察の節にて論じる.

3. 2 原子の電子状態変化

次に反応の進行に伴う各原子の電子状態の変化を調べた.計算において各原子の位置は常に最適化した. Figure 6に反応の進行に伴う,各原子の電子密度変化を示す.「dissociated hydrogen」と書かれた青色の実線が水分子から解離する水素原子の電荷密度(マリケンチャージ)である.


Figure 6. Mulliken charge of dissociation of H-OH absorbed on 5 units TiO2 (Under layer unfixed). Black solid line: heat of formation. Mulliken charge: red solid line, oxygen in H2O; blue solid line, dissociated hydrogen; green dashed line, sum of TiO2 unit blue dashed line, sum of H2O; light blue dashed line, OH.

この水素原子の電子密度変化に関して注目してみる.最初解離し酸素原子上へ向かうとき,水素原子の電子密度は減少する.即ち水素原子はより酸化された状態へ変化していく.一方酸素原子上から隣接するチタン原子上へ移動する際に,電子密度は増加する.即ち還元され,最終的にチタン原子上に移動した後の電子密度は最初の電子密度より大きくなる.つまり水素原子が最終的には還元された状態になっていくことを示している.

3. 3 HOMOの変化からみた状態変化

電子密度やエネルギーは電子状態の変化に対して比較的穏やかに応答する.他の言い方をすれば電子状態の変化に鈍感な量である.反応経路において何が起こっているかをより正確に見るためには波動関数の変化を直接見る方が良い.Figure 7に反応の進行に伴うHOMOの変化を示す.HOMOの急激な変化は水素原子が酸素原子直上に移動した後(Figure 7(c))に生じていることが明確にわかる.つまり,この部分で波動関数の非断熱的変化が生じていることがわかる.この事からわかる我々のモデルの適用範囲については考察の節で論じることにする.


Figure 7. Change of HOMO in water dissociation. (a): O-H bond length 1.00 A (Initial State) (b): O-H bond length 1.68 A (H on O atom) (c): O-H bond length 2.12 A (d): O-H bond length 2.82 A (Final State)

4 考察

我々は,酸化チタンの光触媒反応機構の解析を,反応活性中心を取り出した分子モデルを用いて行った.対象とした反応は水の分解反応である.反応経路の決定は水の一方の水素原子を強制解離させ極小エネルギー経路を計算することによって行われた.酸化チタンに吸着した水分子の水素原子は直接隣接チタン原子に移動するわけではなく,活性中心酸素原子上を経由して最終的に隣接チタン原子に移動することがわかった.その際最初水素原子はより酸化された状態となって酸素原子上に移動するが,隣接チタン原子上に移動する際は酸化チタン側から電子を供給され最終的には還元状態になることがわかった.酸素原子上にある状態はエネルギーの高い状態であるから,この状態に移動するためには活性化エネルギーが必要である.このエネルギーも光吸収によって供給されなければならない.従って,水分解反応に必要な光エネルギーは単に電気化学的に水分解に必要な可視光程度のエネルギーでは足りずに,より大きくエネルギーを有する紫外線のエネルギーが必要となってくる原因がわかったといえる.
次に,我々の用いたモデルと結果の妥当性について検討する.我々の計算は全ての原子配置において(少数の原子から構成される)分子モデルの基底状態を取り扱っている.一方,実際の光触媒反応は(表面から下に半無限に触媒原子の続く非常に大きな系である)固体触媒の励起状態を介した反応である.従って,我々のアプローチは光触媒反応全体を網羅したものではない.そこで,次に我々の方法でどこまで酸化チタンの光触媒機構を捉えることができたかについて検討してみる.
まず,活性中心を取り出した分子モデルの妥当性を検討する.第2で述べたように,このモデルのHOMOは反応活性中心と考えたチタン原子と酸素原子の原子軌道から構成されている.従って,このモデルは反応活性中心の本質的な性質を抽出できていると考えられる.
次に,全反応経路の基底状態を計算している点について検討してみる.今回の水分解反応における水の水素原子の移動に伴う実際の反応のポテンシャルエネルギーはFigure 8のようになっていると考えられる.
まず,水が吸着した状態の酸化チタンへの光吸収によって電子が励起され(赤矢印),電子−格子緩和によってエネルギーを失っていき(緑矢印),非断熱遷移(白矢印)によって(準安定状態に向かう)基底状態に移り,その後再び電子−格子緩和によって連続的に変化し準安定状態へ向かう(青矢印)という経路である.
つまり,最初は電子的に励起状態にあっても,どこかの段階で電子状態は基底状態と連続的につながる電子状態へ遷移し(白矢印部分),それから先の電子状態は基底状態にありながら準安定状態へ緩和していくのである(青矢印部分).つまり真の反応経路の場合でも,電子状態は反応経路のどこかで基底状態になると考えられる.このことは反応の進行に伴うHOMOの変化を示したFigure 7をみると明確にわかる.HOMOの形が激しく変化する点はFigure 7(c)であることがわかるが,この点はFigure 8の(g)に対応している.即ちHOMOの変化から見ても,この点で電子状態に劇的な変化が生じていることがわかる.
このように考えると,我々の方法が実際の反応経路に対応している領域がわかってくる.即ち,我々の解析が実際の反応経路と一致しているのは青矢印で示された部分,即ち,Figure 8において(g)から(d)の間であることになる.


Figure 8. Potential energy of dissociation of H from water adsorbed by 5 units of TiO2.

ここまでの考察は主にエネルギー変化という観点からであった.一方分子軌道を構成する原子軌道の係数の連続性という観点から見ると,エネルギーという物理量の変化からだけでは得られなかった新たな知見が得られる.
分子軌道を構成する原子軌道の係数の連続性という観点に着目すると,緑矢印の励起状態の分子軌道と青矢印の基底状態の分子軌道が非断熱遷移(白矢印)部分で非常によく似た状態にあると考えられる.即ちこの部分に関しては基底状態の計算結果から励起状態に関する情報を得ることが出来る.つまり(b)の状態と(g)の状態は似た状態であり(g)付近における状態の変化傾向を外挿すれば(b)の状態についてもある程度の予測を行うことが可能なのである.
Figure 6の青実線,即ち水分子から解離する水素原子の電荷密度に着目してみよう.我々の結果が系の状態を正しく記述していると考えられる距離1.7 Aより長い領域において,水素は酸化された状態から還元された状態に変化していく.逆方向に外挿すれば,光を吸収し酸素原子に向かっていく際の水素原子はより電子の少ない,即ち酸化された状態にあると考えられる.このことと,反応進行にともなう酸化チタン側の電荷密度の変化を外挿した結果を考慮すると次のことがわかる.
つまり,水素は単純に還元されるのではなく,いったん酸化された状態で活性中心の酸素原子上に移動し,その後酸化チタンから電子を供給されることによって還元されるという多段階反応だったのである.
このように森氏が提唱した酸化チタン触媒活性中心のモデルは酸化チタンの光触媒機構解明に大きな役割を果たしている.しかし,このモデルは単に反応機構解析だけにとどまらない更なる可能性を秘めている.もしこの活性中心と同じ分子構造を有する分子を実際に合成することが出来れば,その分子は光触媒作用を有すると考えられるからである.即ちこの分子は均一触媒として光触媒作用を示すという,新たな触媒分野を開拓する可能性をも秘めているのである.
今回の研究において,触媒化学研究に対する計算化学的方法の有効性についても示すことが出来た.計算化学的方法を用いることによって直感的には想像しにくい反応経路を知ることが可能となった.この,分子モデルの手法を用いてより効率の良い光触媒などを開発していくことは残された我々の今後の課題である.

参考文献

[ 1] A. Fujishima, K. Honda, Nature, 238, 37 (1972).
[ 2] T. Kako, J. Ye, J. Mater. Res., 22, 2590 (2007).
[ 3] 中井 浩巳, J. Heyd, G. E. Scuseria, J. Comput. Chem. Jpn., 5, 7 (2006).
[ 4] M. Oshikiri, M. Boero, J. Phys. Chem. B, 110, 9188 (2006).
[ 5] J. J. P. Stewart, MOPAC 2002 manual, Fujitsu Ltd. (2001).


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