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温故知新のコンピュータ・ケミストリー

福井工業高等専門学校 物質工学科教授 吉村 忠与志

(2002年9月15日 会告Vol.1, No.3)

科学技術立国の申し子である工業高専に奉職して間もない頃、文部省から高専に通達があり、コンピュータを教える教員を各専門学科で用意し、関連教科を学科科目として開講せよという命令が下った。当時工業化学科で30歳前後の若手教官4人に「誰かやりなさい。」という学科長命令が下り、4人でたらい回しした結果、私が引き受けることとなった。やるのならしっかりやるぞと心を引き締めた覚えがある。

当時、身近なコンピュータというとミニコンと呼ばれた時代で、今の電卓処理能力程度であったが、それでFORTRANでプログラミングを行ったものである。NEC,PC-8001なるパソコンがBASIC搭載で出現するや、100万円という大金をはたいて購入し、化学問題解決のプログラミングを楽しんだものであった。学生とのプログラミング成果が貯まったので、全国公開で学術活動を始めたのが「化学PC研究会」であり、1982年の出来事であった。その時の成果といえば、吉田弘先生開発の「MOLDA」で1984年の会報にBASICプログラムリストを公開したことである。Windows時代にも生きている国産プログラムの代表的なものであるプログラムリストを公開した学術論文として評価されたものであった。

1991年に化学教育のコンピュータ利用調査を目的に、ロンドン大学、モンクトン大学、ウィスコンシン大学、テキサス大学に外遊させていただき、研究会から学会への脱皮を模索した。1992年に「化学ソフトウェア学会」を設立し、下沢隆会長の指導もあって、日本学術会議にも学術団体登録を行い、引くに引けない学会運営をルーチンワークとするようになった。90年後半から化学とコンピュータに関連する学会活動がアクティブになる一方で、日本という狭い学術活動の中で過当競争しても世界には勝てないと思い、合併する相手を模索するようになった。

JCPEの田辺和俊先生に相談したところ、合併強化ということに意気投合して、次世代を担える事務局長として長嶋雲兵先生に重責をお願いして、「日本コンピュータ化学会」を2002年に設立した。そして、会誌「Journal of Computer Chemistry, Japan」をダブルタイトルで2号刊行し、今回の3号では、化学ソフトウェア学会の遺産発表も終わり、単独での研究成果の論文誌となることができた。

古きを愛し、化学分野にコンピュータ・ケミストリーなる学問体系を築き、そこに集まる新しい英知を大切に、この学会がキーとなり、日本の礎が出来上がればと願っている。

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