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教育改革は急がず慎重に

群馬大学工学部共通講座 中田 吉郎

(2005年6月15日 会告Vol.4, No.2)

先般、学力の低下が危惧されるという声をうけて文部科学省では「ゆとり教育」の見直しが検討されていることが報じられた。しかし「ゆとり教育」の実施は日が浅く、まだその成果などはわからない段階ではないかと思う。教育の真の成果は10年20年経って現れてくるもので、慎重に検討されなければならない。

私は大学に職を得て約30年、地方国立大学の初年次教育を受け持ってきたが、その間大学教育に関する数多くの改革がなされた。大学入試方法(共通一次、共通テスト、一期校二期校の区分の廃止)、カリキュラムの大綱化、教養部の廃止、国立大学の法人化などである。これらの改革で大学の状況が以前よりよくなったかと考えると、残念ながら悪くなった点が多いように思う。また教養教育に関していえば、大綱化にともない教養科目の単位数が減少し、教養部廃止によって教養科目の担当者の意識が専門科目中心に変化してきている。教養部の廃止が進められていた時期に、オウム事件が起きると文部省サイドからも教養教育が重要であり教養部廃止は間違いであったとの見方も出されたが、現実には教養部廃止の動きは止まらなかった。ようやく10年たった現在、再び教養部に類する組織(センター)が一部大学に設置され始めた。

話を移して、コンピュータ化学の教育についての考えを少し述べてみたいと思う。

私自身は卒業研究以来ずっとコンピュータを利用して研究を行ってきた。コンピュータに初めて出会ったのが、大学3年の夏休みであったと思う。夏休みの集中講義でUNIVACのミニコンピュータを使ってプログラミングの演習を行う講義を受講した。このときは機械語でプログラムを作った記憶がある。現在ソフトウェアやハードウェアが非常に発展してきているので、ほとんどの作業が既存のものでできてしまう。またそれらを自分で作ることを考えると非常にバリアが高い時代になった。

このような時代に、化学を専攻する学生に対して計算化学を教えるカリキュラムをどのようにすれば良いのか。大学の専門課程のカリキュラムは長年かかって作り上げられてきたものであり、そこに新しい分野の講義を増やすということは非常に難しい。多くの大学では1科目ぐらいを必修で置いてあとは選択科目として開設しているようである。現在の学生の学力(地方大学の場合)を考えると、修士課程の2年間を含めた6年間の一貫した化学教育のカリキュラムを作り直した方が良いのではないかと思う。またそのテキストも併せて作成しなければならない。これらの作業は本学会を初めとする関連学会の任務であると思っている。

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