Journal of Chemical Software, Vol.5, No.1 (1999)

AMBERの実行支援プログラムの開発

宇野健, 林治尚, 山名一成, 中野英彦

1 はじめに

　近年，コンピュータの性能の向上により，従来は大型コンピュータなどでしか実行できなかった分子科学計算が，ワークステーションなどでも手軽に行う事が可能になってきた．それに伴ってソフトウェアの数も増加しており，ワークステーションの低価格化による普及と相まって一般的な化学の研究室においても分子科学計算プログラムを用いての反応の予測などが行われるようになってきた．分子科学計算において最もよく用いられる手法の一つに，分子シミュレーションがあげられる．小さな分子から生体高分子に至るまで，様々な規模のシミュレーションに対応したプログラムが開発されている．生体高分子用の分子シミュレーションソフトではKollmanらのAMBER ( Assisted Model Building with Energy Refinement )[1]がよく知られており，タンパク質や核酸の構造の解析などに用いられている．
　しかし，AMBERの計算から得られる出力データ等は他の分子科学計算プログラム同様，膨大な数値データの集合であり，このままでは，実行結果を理解するのは困難である．また，分子科学計算では，入力等で大きな誤りを犯している場合でも，結果として正しい値と類似した数値データが出てくる可能性があり，それに気が付かずに更に計算を進めてしまうという可能性も十分考え得る．この様な問題を解決するため，InsightⅡ[2]，Cerius²[3]等のような，高度な可視化プログラムを有する総合的な分子モデリングパッケージ等が開発されている．しかし，これらのソフトウェアは非常に高価であり，さらにSGI等の専用のハードウェアを必要とすることが多いため，一般的な化学の研究室に導入するのは難しい．このため，我々は以前より開発を行っている生体高分子向けの分子構造表示プログラム，Modrast-P[4]に機能拡張を施し，AMBERの出力データに視覚的な処理を施す機能を付加することを試みた．また，作成が煩雑な入力データ作成支援インターフェースの開発も行い，入力データ作成の際にも視覚的に作業を行う事を可能にし，さらに分子動力学計算における初期構造作成のための簡単なモデリング機能を付加することにした．本プログラムはX-Window のライブラリのみを利用するため，InsightⅡなどのように高価で専用のハードウェア等を必要することなく，ほとんどのワークステーション，PC-UNIXがインストールされているパソコンなどでも利用可能となる．

2 ハードウェアとソフトウェア

本体：: 　HEWLETT PACKERD C110 9000 ( RAM : 128MB，HDD : 4GB )
OS：: 　HP UX Ver.9
ソース言語：: 　Ｃ言語
分子動力学計算プログラム：: 　AMBER 4.0

3 AMBERと今回開発したプログラムの関係について

　AMBERはUCSFのKollmanらによって作られた生体高分子用分子動力学シミュレーションプログラムである．エネルギー極小化，分子動力学計算，自由エネルギー摂動法計算等の機能があり，各目的ごとにモジュールが分割化されている．分子動力学計算は生体高分子の原子間相互作用のエネルギーから各原子に働く力の運動方程式を微少時間ごとに解いて原子個々の運動を求めるもので，生体高分子の分野において，分子の機能や物性に関与している熱ゆらぎのシミュレーションなどに用いられている．本プログラムで分子動力学計算を行う場合のモジュール構成をFigure 1に示す．これらの各モジュールにはいずれも入力ファイルが必要となる．今回はこの入力ファイルの作成を援助するプログラムを作成した．また，SANDERから出力される任意のステップにおける全原子座標が書き出されるトラジェクトリファイル（シミュレーションの途中経過を示す座標データ）の可視化と，それを用いたアニメーション等の機能を付加した．

Figure 1. Component Modules of AMBER.

4 プログラムの機能

　今回開発したプログラムの機能は次の３つに分けられる．

　AMBER入力ファイルの作成と実行
　初期構造のモデリング機能
　AMBER出力ファイルの可視化

　以下にそれぞれの機能について説明する．

4. 1 入力ファイルの作成

　PREP，LINK，EDIT，PARM，SANDERにはそれぞれ入力ファイルの作成が必要となる．その作成は通常，テキストエディタ等で行うが，実際にそれらを作成してみると，行間や空白一つで読み込みエラーが出る事が多く，また，入力パラメータを数字で指示する必要があり，その物理的，化学的意味まで把握するのは非常に困難であった．そこで，それらの簡略化を目的とし，入力データ作成支援プログラムを作成した．

4. 1. 1 PREP

　PREPは，標準残基以外の残基をAMBERで利用可能にするため，残基を定義し，それをデータベースに登録するモジュールである．新たに残基を登録するには，全原子の座標，AMBER 力場における原子タイプなど，多くのデータが必要となるため，AMBERで分子動力学計算を行うにあたり，もっとも入力ファイルの作成が困難なモジュールである．そこで今回はModrast-Pの分子表示機能を利用し，入力データ作成の簡便化を目的とした．
　残基の登録に必要なデータは，原子座標，形式電荷である．今回，原子座標はMOLDA[5, 6]で作成した．その原子座標から半経験的分子軌道計算プログラムMOPAC[7]の入力データ作成し，その入力ファイルを用いてMOPACを起動，計算を行い，最適化座標と形式電荷を得る．それをグラフィック化して，それを見ながら原子の固有名や原子タイプ，ループなどを入力するだけで入力ファイルが作成可能となった．

4. 1. 2 LINK

　LINKは分子の結合や原子種などのトポロジーを決定するモジュールである．その入力ファイルには分子のタイプや残基の並びを記入する必要がある．残基の並びは３文字略号で入力し，分子のタイプなどは数値で表されたフラグで入力する．
　今回開発したプログラムでは，残基の並びは３文字略号を入力するだけで自動的に行間等を調整して出力する．また，入力のたびにマニュアル等を見る必要が出やすい数値フラグの入力では，簡単な説明の後に，番号を選択する対話形式の入力法を採用し，フラグの数値を意識する事なく入力ファイルの作成が可能となった．

4. 1. 3 EDIT

　EDITは，LINKで決定された分子のトポロジーから計算にかけるための初期座標を作成するモジュールである．また，PDB形式の座標を読み込み，それをそのまま初期座標として利用することも可能である．このモジュールの入力ファイル作成においても，コマンド入力画面からの対話的な入力が可能となった．

4. 1. 4 PARM

　PARMは，分子内の全ての結合，結合角，二面角のパラメータをパラメータ・データベースから抜き出し，分子動力学計算で利用するためのファイルを作成するモジュールである．入力項目は利用するパラメータデータベースや，力場の系などであり，各モジュールの中では入力項目が少ない．これも他のモジュールと同様に，対話的な操作による入力ファイル作成が可能となった．

4. 1. 5 SANDER

　SANDERは，エネルギー極小化と分子動力学計算を行うモジュールである．入力ファイルは，それぞれ別々に作成する必要がある．今回は，不可欠なオプションと，よく用いられる基本的なオプションを対話式に入力することにより入力ファイルを作成する事が可能となった．

4. 2 初期構造のモデリング機能

　エネルギー極小化や分子動力学計算において，分子の初期構造は非常に重要である．例えばエネルギー極小化においては，一つの分子にエネルギー極小化をとる構造が幾つかあり，初期構造に最も近い構造に落ち着く．このため，あらかじめDNAなら二重らせんを，タンパク質なら折り畳み構造など，実際に計算しようとする分子の立体構造を用意する必要がある．しかし残基の並びだけでなく，分子の立体構造までを新たに作成する事は容易ではない．そこで今回は，PDBに登録されている天然高分子の一部を，化学修飾するような場合に有用なモデリング機能を作成した．これは以下のような機能から構成されている．

4. 2. 1 内部回転機能

　分子内回転を行う機能で，側鎖などを回転させるために用いられる．これには指定した２原子間の結合を軸として側鎖を回転させる方法と，結合角を変化させる方法がある．これらはModrastが持つリアルタイム回転機能のルーチンを応用し，分子全体だけではなく，官能基など分子の一部分だけを，特定の結合軸まわりの部分回転させる事を可能にした．また，Enter Keyを連続的に押す事による回転角度の微調整が可能となっている．

4. 2. 2 原子削除機能

　表示ウィンドウに表示されている分子から，一部の原子を削除する機能である．当然，表示上だけでなく，削除した原子に関する内部データもすべて削除される．削除する原子の選択は原子の通し番号の選択によって行う．１つ１つの削除から，範囲を指定してまとめて削除することも可能である．

4. 2. 3 分子接続機能

　Modrast-Pの２つの表示ウィンドウに表示されている２つの分子同士を結合させる機能である．PDB形式の他に，Modrast/Molda形式のファイルも読み込めるため，MOLDA等で作成した分子も利用できる．接続の操作は，それぞれの分子の結合に関係する２原子を指定する事によって行う．この際，結合距離は原子のタイプを判別し，自動的に割り当てられる．接続した後，既出の内部回転機能を用いて微調整する事が可能である．

4. 2. 4 分子の拡大，移動機能

　Modrastは座標データを読み込んだ後，表示ウィンドウの中に分子全体が収まるように，座標値を変換してから表示を行う．このため，大きな分子に対してモデリングを行う場合は，従来の全体表示では細部の判別が難しくなることがある．これを対応すべく，分子の拡大，移動機能を付加した．これはウィンドウのサイズを変えずに，表示されている分子の大きさと位置を変えるものである．これを従来からある回転機能と併用する事により，分子の接続位置や，接続後の形状の確認などが容易になった．

4. 2. 5 PDBファイル出力機能

　モデリング機能で作成した分子の全原子座標を，PDB形式で出力する機能を付加した．これによってモデリングで作成した分子をEDITから直接，初期構造として読み込ませることが可能となった．

4. 3 出力データの可視化

　SANDERで実行された分子動力学計算の結果等は，膨大な数値データとして出力される．そのため，そのままの状態ではシミュレーションの結果を理解するのは難しい．そこでそれらの出力結果を理解しやすい形にするための処理を行う，以下の機能を付けた．

　トラジェクトリファイルの可視化とアニメーション表示
　原子間距離計算
　出力ファイルからの任意のデータ抜き出し

4. 3. 1 トラジェクトリファイルの可視化とアニメーション表示

　SANDERには，任意のステップ毎に全原子座標をトラジェクトリファイルに出力するオプションがある．このファイルには各原子の x，y，z 座標が順に全ステップ数だけ並んでいるもので，この数値の羅列から原子の構造変化を理解することは，ほとんど不可能である．そこでModrast-Pの分子グラフィックス機能を利用してトラジェクトリファイルの可視化，さらにそれらを連続的に表示する事により，シミュレーションの様子をアニメーションによって表示する機能を付加した．このアニメーションでは，ワイヤーフレーム，球棒模型の他にスケルトンモデルで行うことが可能となっている．

4. 3. 2 原子間距離計算

　分子動力学計算による構造の変化は，トラジェクトリファイルの可視化によって大まかには理解する事が可能である．しかし，わずかな変化や，構造の変化を定量的に把握する必要がある場合，特定の部位の原子間距離の変化を利用するのが最も適当であると思われる．そこで指定した２原子間の距離をステップ毎に抜き出し，それをファイルに書き出す機能を付加した．このファイルを用いることにより，容易に原子間距離の時間変化を表すグラフを作成することが可能となった．

4. 3. 3 出力ファイルからの任意のデータ抜き出し

　SANDERの計算結果は座標を記したトラジェクトリファイルの他に，各ステップごとのポテンシャルエネルギー値や，温度，圧力などもファイルに出力する事が可能となっている．そこで，これらのファイルから任意のデータを抜き出し，それをステップごと，時間ごとにファイルに書き出す機能を付加した．ここでは，温度，トータルエネルギー，ポテンシャルエネルギー，運動エネルギーなどの時間変化を表すグラフを作成することが可能となった．

5 実行例

　今回開発したプログラムを用い，糖部２'位を化学修飾した uridine を持つ DNA をモデリングし，その構造をAMBERを用いて計算することを試みた．Anthraquinone( 1 )を糖部２'位に含むオリゴヌクレオチド( 2 )は，相補的な DNA あるいは RNA に対して，非常に高い親和性を有し，塩基配列特異性を損なう事なく，きわめて安定な二本鎖を形成する事が知られている[8]．
　今回の実行例の手順を以下に示す．

　残基の登録
　糖部2'位を化学修飾した uridine は，標準残基ではないため，PREPによる残基登録が必要であった．まず，PDBのソースファイルから uridine の座標だけを抜き出し，次いで，MOLDAで作成した 2-hydroxyl methyl anthraquinone と uridine を結合させた．この座標をModrast-Pに読み込ませ，その後MOPACを実行し，出力ファイルから最適化構造座標と形式電荷のデータを抽出した後，原子タイプ等を入力する事によってPREPの入力ファイルを作成した．これを用いて残基データベースへの登録を行った．
　初期構造のモデリング
　AMBERに付属しているDNA二重らせん構造座標作成プログラムNUCGENを用いて片側７残基（ 5'- AGTGTTGAT -3' ）のDNAを作成し，PDB形式で全原子座標をファイルに出力した．次に，この DNA を構成している thymidineのメチル基を削除して uridine とし，その糖部2'位に，MOLDAで作成した anthraquinone を分子接続機能を用いて接続した．(Figure 2) これによって得られた修飾 DNA（ 5' -AGTGU(AQ)TGAT -3' ）の全原子の座標データを，PDB形式でファイルに出力した．
　分子動力学シミュレーションの実行と，出力結果の可視化
　PREP以外の入力ファイルを作成し，２で作成した初期構造ファイルを用いてSANDERを実行し，エネルギー極小化と分子動力学シミュレーションを行った．エネルギー極小化では，ポテンシャルエネルギーの変化や，極小化構造など視覚的な確認を行った (Figure 3)．また，分子動力学シミュレーションでは，トラジェクトリファイルを用いたアニメーション表示を利用する事により，構造の変化を視覚的に把握する事が可能であった．

Figure 2. The initial structure of DNA containing anthraquinone groups.

Figure 3. The minimized structure of DNA containing anthraquinone groups after 800 cycles.

6 考察

　本プログラムはAMBERの実行支援を目的として開発された．まず，入力ファイル作成支援インターフェースの開発により，テキストエディタ等での作成が困難であったAMBERの各モジュールの入力ファイルの作成が，非常に容易となった．特に作成が困難であった残基登録モジュールPREP の入力ファイル作成においては，表示ウィンドウの分子構造を把握しながらの実行が可能であるため，非常に効率的になった．
　また，分子シミュレーションにおいて重要である初期構造の作成に関しては，分子のモデリング機能を付加することにより，分子の一部を化学修飾するなどのモデリングが可能となった．
　そして計算後の出力ファイルの処理では，エネルギー極小化計算後の分子構造や，分子シミュレーションの過程を，アニメーション機能によって視覚的に確認することが可能になった．また，定量的な知見を得るため，エネルギー値や原子間距離などのグラフ作成を目的とした出力ファイル中のデータの加工，出力を行う機能も付加した．
　これらを用い，実際に本研究室において合成された 2-anthraquinonyl 基を糖部2'位に有する DNA についてシミュレーションを行った．そこで各モジュールに対する入力ファイルの作成，モデリング機能を用いた初期構造の作成，そして計算結果のデータの可視化を実際に行い，プログラムが正常に作動することを確認し，本研究により開発されたツールが有用であることが示された．DNAのシミュレーションそのものの実行については，まだ予備的段階であり，最適なクーロン力のカットオフ距離の決定や，水分子の配置など，今後検討すべき課題が多い．
　なお，本プログラムは GUI に対応したインターフェースを持っておらず，X-Window がインストールされているすべてのワークステーション・パーソナルコンピュータで利用することが可能である．しかしその反面，GUI を持っていないため，モデリング等の作業の操作性が若干悪くなっている．これは今後，マウスの利用を主とした GUI インターフェースの構築により改善されるべきであろう．

参考文献

[ 1] Weiner, S. J., Kollman, P. A., Nguyan, D. T., and Case, D. A., J. Comput. Chem., 7, 230 (1986).
[ 2] http://www.msi.com/info/products/modules/Insight2.html
[ 3] http://www.msi.com/solutions/products/cerius2/
[ 4] Uno, T., Kawashima, Y., Zhang, J., Hayashi, H., Yamana, K., and Nakano, H., J. Chem. Software, 4, 1 (1998).
[ 5] Ogawa, K., Yoshida, H. and Suzuki, H., J. Mol. Graphics, 2, 113 (1984).
[ 6] Yoshida, H. and Matsuura, H., J. Chem. Software, 3, 147 (1997).
[ 7] Stewart, J. J., 内田希訳,, MOPACマニュアル Version 6, 日本化学プログラム交換機構 (1991).
[ 8] Yamana, K., Mitsui, T., Yoshioka, J., Isuno, T., and Nakano, H., Bioconjugate Chem., 7, 715 (1996).

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